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2017年6月16日 (金)

神応寺 男山の名刹

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

久しぶりに神応寺に行ってきました(拝観は要予約)。石清水八幡宮の一の鳥居の前を右に行くと、山際に山門があります。「神応寺(じんおうじ)」は山号を糸杉山(ししざん)という曹洞宗の寺院です。正式には神應寺と書くようです。

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神応寺は、平安時代前期の貞観2年(860)、石清水八幡宮を勧請した行教が建立した寺で、はじめは応神寺(應神寺)と称し、応神天皇の御牌所として建てられたといわれています。(山門を入ると急な石段が続きます。)

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創建当初は、四宗兼学(天台、真言、法相、律)の道場で、石清水八幡宮の別当寺だったといわれています。別当寺は神仏習合の時代に、神社を管理するために置かれた寺院で、神宮寺や神護寺なども同様です。

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鎌倉時代以降は曹洞宗峩山派となり、その際に天皇の号をはばかって神応寺と改称したといわれています。(石段を上り切った平地に建物が建っています。)

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室町時代になると足利将軍家によって禅宗に改められ、本尊として釈迦如来像を安置しました。行教作といわれる。旧本尊の不動像は奥の院(杉山不動)に遷されました。(「豊川稲荷」は荼枳尼天を祀ります。)

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安土・桃山時代の「征韓の役」(文禄・慶長の役、1592-1598、)の際に、豊臣秀吉は石清水八幡宮に参詣し、軍の先鋒に神官を望みましたが、神社側は恐れて命令に従いませんでした。(本堂)

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秀吉は機嫌を損ねましたが、神應寺の住僧の機転で、征韓に出陣するにはまず応神天皇の御寺に参詣すべきだと進言しました。秀吉は機嫌を直して、神應寺に止宿して参拝しまし、その後寺領200石を寄進しました。(本堂の玄関)

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安土・桃山時代から江戸時代にかけて、曹洞宗の弓箴善疆(きゅうしんぜんきょう)が住持となり寺を再興しました。善疆は生没年が不詳ですが秀吉と同郷といわれ、征韓の役では肥前名護屋陣所まで随従しました。この頃尾張の曹洞宗正眼寺の末寺になりました。

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秀吉の死後、豊臣秀頼は、衣冠束帯姿の秀吉木像を寄進して寺を擁護しました。弓箴善疆は1607年に秀吉の正室・北政所の菩提寺・高台寺を創建しました。高台寺が現在のように臨済宗建仁寺派になるのは後のことです。(本堂左のお堂)

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江戸時代には、3代将軍・徳川綱吉が帰依して、奥の院不動尊像に帽額戸帳(もこうとちょう)が奉納されました。帽額(もこう)と戸帳(とちょう)はお堂を飾る調度です。(かってここで寺子屋が開かれていたそうです。)

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以後、徳川家が代々帰依し、幕府により江戸、大坂、堺などでの托鉢勧化の免許を得て寺は隆盛となりました。(庫裏の玄関が拝観入り口です。)

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建物の中は撮影できませんが、広い本堂には江戸時代の道之の時に改められた本尊・薬師如来像、聖観世音菩薩像、厩戸王(聖徳太子)像、束帯姿の豊臣秀吉坐像、中興の伝・弓箴善彊像坐像、普賢菩薩騎象像などが安置されています。

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上の写真は本堂横の新しい部屋で、手前に京阪八幡市駅前が見えます。神仏分離令によって明治6年(1873)継弓社(石清水八幡宮の旧開山堂)が廃され、行教律師坐像が当寺の本堂に遷されました。下は書院で伏見桃山城の御殿の遺構だそうです。

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ご住職には、寺の歴史やそれぞれの仏像について詳しく教えて頂きました。本堂を出て、鐘楼の横から上にある墓地に向かいました。

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江戸時代の豪商「淀屋」の墓 淀屋は中ノ島を開拓、淀屋橋をかけ、米市を開くなど大阪の発展に貢献しました。特に5代目辰五郎のときには幕府や西国33ヵ国に総額15億両も貸しつけ、その威力は百万石の大大名も凌ぐといわれました。

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町人に過ぎたる豪奢として辰五郎は全財産の没収・所払の処分を受けましたが、後に恩赦され、八幡の田地が返還されてそこに住みました。らくがき寺からここに来る途中に屋敷跡がありました。上の一番左の墓に眠っています。手前に本堂の屋根が見えます。

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淀城主・永井家の墓 その他に、先日紹介した飛行機の先駆者二宮忠八やその一族、江戸城大奥総取締・右衛門佐局などの墓があります。

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石段を途中まで下りて、奥の院に向かいます。

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奥の院へは一旦下って小さな谷を越します。

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再び石段を上ります。

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「奥の院」 行教作という旧本尊の「南無大聖不動明王」が祀られていて、脇仏に「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」と「制多迦童子(せいたかどうし)」を安置しています。いずれも(八幡市指定文化財です。

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こちらには平安時代作の「十一面観世音菩薩」をはじめ、弁財天、弘法大師、波切不動明王、水子地蔵菩薩が祀られています。

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奥の院への参道の上を京阪電鉄男山ケーブルの「男山橋梁」が通っています。1955年にかけられ、ケーブルカーの橋梁としては日本一の高さ(50m)だそうです。

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参道の途中から滝行の場所への道が分かれます。このあたり昼でも薄暗くて、ちょっと勇気がいります。

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かなりの高さがあり、岩にはたくさんの石像が置かれています。ここから、谷沿いの道を下っていくと、

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奥の院へ参道入り口にあたる鳥居がありました。

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コメント

最後の花はなんていうんだろうか。
花だけは覚えきれないですよね。

投稿: munixyu | 2017年6月16日 (金) 09:28

雰囲気のあるお寺ですね~。奥の院はまさに最奥という感じでひんやりしそう!予約が必要となるとちょっとハードル高いかなぁ。。と思うのですが、
修学院や桂離宮などは一人で参加してる人も結構多くて気にならないと聞きましたが。。。こちらはどうなんでしょう。
まだ石清水八幡宮も行ってないので、セットで行ってみたい所です!

投稿: ばるさろ | 2017年6月16日 (金) 22:50

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