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2017年6月19日 (月)

石清水八幡宮 表参道から南総門へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

八幡市の寺社で、最後に訪れたのは石清水八幡宮です。「石清水八幡宮」は男山山頂に本殿があり、京都の西南の裏鬼門に当たり、王城守護、国家安泰のために祀られ、伊勢神宮に次ぐ「国家第二の宗廟」とうたわれました。

一の鳥居はかって木造でたびたび作り変えられました。寛永13年(1636)に寛永の三筆とうたわれた松花堂昭乗によって石造りに改められ、鳥居の額は、平安時代に書道の名人とうたわれた藤原行成の筆跡を松花堂昭乗が書き写したものです。

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かって男山山中から湧き出る清泉を神としてまつっていたといわれています。(放生池)

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平安時代始めの貞観元年(859)、南都(奈良)大安寺の僧・行教和尚は豊前国(大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱心に祈祷をしていると、「お前の祈祷に感服した。だまっておけないので、都の近くに出かけて国家を鎮護しよう。」と神託がありました。(頓宮の「北門」)

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その後、行教が平安京に向かう途中の山崎離宮(大山崎町)で、再び「王城鎮護のため、男山に祀るように」と神託がありました。(「頓宮殿」、は1915年に建立され、石清水祭(9月15日)のお旅所として使われます。向こうは「南門」。)

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行教はこのご神託を朝廷に報告すると、時の清和天皇は男山に八幡宮の創建を命じました。木工寮権允橘良基が宇佐宮に准じて、正殿三宇、礼殿三宇からなる神殿六宇の造営に着手し、翌貞観2年(860)に宇佐八幡宮から八幡神が遷座されました。

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当初は「石清水八幡大菩薩」あるいは「石清水八幡宮護国寺」と呼ばれ、神仏混淆の霊地でした。清和天皇の嫡流である源氏一門は八幡大神を氏神として尊崇したので、八幡信仰は全国に広まりました。源義家は当社で元服し自らを「八幡太郎義家」と名乗りました。

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摂社の「高良神社」 行教が石清水八幡宮と同時期に創建したといわれ、慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いの兵火で炎上、その後幾度かの再建・移築を経て、現社殿は明治39年に再興されたものです。

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石清水八幡宮はもっぱら国家や朝廷の守り神でしたが、高良神社は八幡地区の氏神として住民たちの信仰を集めてきました。徒然草で仁和寺の法師が山麓の極楽寺・高良神社などを本宮と勘違いし、山上まで上がらずに帰ってしまったという逸話が残っています。

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源頼朝は49歳のとき、鎌倉から持参した6本の松の苗木を当地に植え、帰路は当地より持ち帰った松を鶴岡八幡宮の境内に植えたといいます。この「六本松」の唯一の生き残りの松が昭和22年に落雷により焼失、現在の「頼朝松」は昭和30年に奉納された2代目です。

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上の写真の二の鳥居をくぐると、表参道は石段となり「七曲り」を経て山頂に至ります。鳥居の前の右に裏参道があります。

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表参道は石段の段差は高くなく、傾斜も緩やかでなので、比較的楽に上っていけます。

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「影清塚」 表参道と石清水社の方へと向かう道の分岐点にあります。祓谷という谷筋の流れが向きを変える曲水の所に当たり、谷を隔てた向かいには、かつて祓谷社があり、現在は山上の祓所で行われている夏越大祓と年越大祓が行われていました。

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かつて当宮へ参詣する人々は、この清水に自分の影(姿)を写して心身を祓い清め、長くて幾度も曲がる参道を上がるうちに心を整え、山上の本宮への参拝に臨んでいたといいます。

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平安時代中期の「平将門・藤原純友の乱」(935-941)では、朝廷から請願があり八幡大神の神威によって速やかに平定されたといわれます。以来、国家鎮護の社として皇室の崇敬が厚くなり、天皇や上皇の行幸・御幸は、240余度にも及んだといいます。

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江戸時代までは参道沿いに「男山四十八坊」といわれる宿坊や寺院、僧房が建ち並んでいました。明治初年(1868年)の神仏分離令後の廃仏毀釈によって、ほとんどの建物は破却され、仏像も周辺の寺に引き取られました。このあたりは「豊蔵坊跡」。

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坂を上ったところに「神馬舎」があります。

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「三の鳥居」 ここには南北朝が統一されてまもない応永7年(1400)から約200年間大木を用い鳥居が建てられ、朱塗りに金で飾られたそうです。正保2年(1645)石造りに改められ、何度か倒壊の後、現在の鳥居は第二室戸台風の翌年(1962)に再建。

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鳥居の先に「一ッ石」があります。かつて、正面の南総門下に「五ッ石」があり、この石が走馬・競馬の出発点になっていました。また、「お百度石」とも呼ばれ、百度参り・千度参りの起点でもありました。江戸時代には、本殿参拝の後、この石の前で再び本殿に向かい拝礼するという習わしがあったと伝えられています。

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正面の参道から左に入ると、「清峯殿」(青少年文化体育センター)があり、研修、食事、宿泊、挙式などの施設があります。

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「エジソン記念碑」 八幡の竹を使って白熱電球の長時間点灯、実用化に成功した発明王エジソンを記念して昭和9年に建てられ、昭和59(1984)年に移転・新調しました。毎年エジソンの誕生日と命日に、エジソン生誕祭・碑前祭が行われます。

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「都山流尺八楽会初代宗家中尾都山顕彰碑」 中尾都山は枚方市に出生し、全国を行脚してその普及につとめ、明治29年に都山流を創始しました。秘曲「岩清水」は、初代宗家が当宮に参籠して作曲した不朽の名作で、毎年5月28日の春季献茶祭で奉納されます。

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「宇宙桜」 平成20年(2008)に高知県のひょうたん桜の種200粒が、スペースシャトルエンデバーによって国際宇宙ステーションの実験棟で約8か月滞在して、若田光一さんとともに地球に帰還しました。その種から発芽した桜を接ぎ木によって50本のうちの一つです。

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「涌峯塔」は昭和59年に研修センターと同時に建設された給水塔です。デザインは彫刻・陶芸で高名な清水九兵衛氏によるもので、神刀や神職の使用する笏・冠などをイメージして、本殿より高くならないよう配慮されたそうです。手前はボーイスカウト像

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もう一度正面参道に戻って、右手にいくつか建物が並んでいます。そのうちの書院には書院の昭和27年に重森三玲によって作庭された石庭があります。門が閉まっているので、塀の隙間から覗いてみます。

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八幡大神の「海神」にちなんだ海洋を表す白砂の上に男山に散在していた石14個を島に見立てて配しています。石庭の東南の角には鎌倉期の石灯籠が配置され、当宮の450基の石灯籠のなかで唯一、国の重要文化財に指定されています。

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「手水舎」 「石清水 つきぬみいつを とこしえに くみて あがめむ 神の御光」と書いてあります。「みいつ」は「御厳」、神の威光のことだそうです。

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南総門の前では「水無月大祓式」の準備をしていました。

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コメント

躑躅かな
いい赤色ですね。
それにしても雨降らずですよね。
真夏の水不足が心配です。

投稿: munixyu | 2017年6月19日 (月) 10:23

今でも立派で堂々とした建物がいくつもありますが、その昔は僧房もいっぱいで、もっと賑わってたのかもしれませんねぇ。。。ケーブルはどのあたりまで来てるんでしょう。。。途中の階段にも味があって面白そうなので、とりあえずケーブルで登ってから下ってくるようにしようかな~~

投稿: ばるさろ | 2017年6月19日 (月) 22:01

★ばるさろさん こんばんは♪
石清水八幡宮のケーブルカーは、ほとんど本殿と同じ高さまで登ります。駅が本殿の北にあるので、南に回り込むのに少し歩きますが、大したことはありません。表参道沿いに僧坊跡がいくつもありますが、松花堂跡は裏参道にあります。表参道の影清塚(分かれ道)から少し上れば松花堂跡に行けるので、表参道を下るのがよいかも知れません。

投稿: りせ | 2017年6月20日 (火) 23:13

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