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2017年5月30日 (火)

今宮神社 あぶり餅と摂社たち2017

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の大徳寺を出て、今宮神社を訪れました。東参道から入ります。この地には平安建都以前から疫神(えきしん)を祀る社があったといわれています。

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東参道には2軒の「あぶり餅」のお店があり、この日は最初に立ち寄りました。右の「一和」(一文字屋和輔)さんに入りました。創業は長保2年(1000)とされ、一条天皇の子が疫病を患った時、疫除けの願いを込めてあぶり餅を供えたのがはじまりだとか。

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応仁の乱や飢饉のときには庶民に餅を振舞ったといわれています。それ以来、今宮神社を参拝の際には、あぶり餅を食べると病気・厄除けの御利益があるとされます。

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こちらは、江戸時代から創業400年を迎えた「かざりや」さん。2軒は向かい合っていますが、お店の入り口が少しずれていて、参拝に来るときは「一和」、帰りには「かざりや」が入りやすくなっています。

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遷都によって平安京が栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされました。人々はこのような災難はすべて、不慮の死を遂げた者の怨霊(御霊)の所業と考え、それらを鎮める儀式「御霊会(ごりょうえ)」が行われました。

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東門を入って左にある「宗像社」は江戸時代中期の元禄年間の建立で 素盞鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれた宗像三女神を祀ります。 元来は海上交通の守り神でしたが、今では交通安全の神とされています。

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御霊会は都の各地で盛んに営まれ、このあたりでも紫野御霊会が行われました。(祠の台石の側面に鯰の彫り物があります。宗像社の祭神は俗に「弁天さん」と呼ばれ、鯰はその使いとして彫られたとされています。)

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一条天皇の時代の正暦5年(994)6月に、当社地に祀られていた疫神を二基の神輿に乗せて船岡山に安置して、それらを慰め奉って悪疫退散を祈りました。これが紫野御霊会で、現在の今宮祭の起源です。手水舎も元禄時代の建立。

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紫野御霊会の際には、都中の老若男女はこぞって神輿の供をして船岡山に登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江(大阪湾)に流したといわれます。これが「やすらい祭」の起源です。「力石」

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平安時代中頃の長保3年(1001)、ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられました。これが今宮神社の起源です。

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創設以来庶民の信仰を集める一方で、室町時代には将軍家の若宮(生まれた皇子)の守護神となり、足利将軍の加護を受けました。その後、豊臣秀吉によって御旅所が再興されました

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江戸時代には、徳川綱吉の生母・桂昌院は、出身地・西陣への愛郷の念とともに今宮神社を崇高して、荒廃していた社殿を造営しました。また、やすらい祭の復活にも尽力し、かっての盛況を取り戻したそうです。桂昌院のレリーフが境内の中央にあります。

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「拝殿」 向こうの本殿ともに明治時代(1896年)に焼失して、1902年に再建されました。

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本殿には三つの御座かあり、中御座は大己貴命(おおなむちのみこと)、東御座は事代主命(ことしろぬしのみこと)、西御座は奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)が鎮座しています。奇稲田姫命は、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治して救った娘を妻にした女神で、

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子孫繁栄・五穀豊穣の神です。2神の間に生まれた子が大国主神で(大己貴命はその幼名)、国造り、農業、商業、医療、縁結びの神です、事代主命は大国主神の子で、託宣神のほか、海の神、五穀豊穣・商売繁盛の神とされています。

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古来からこの地にあった疫神は、本殿左横の摂社「疫社」に祀られています。疫神は祇園精舎の守護神・牛頭天王(ごずてんのう)といわれ、素戔嗚尊と同一視されてきました。明治の神仏分離令以降は、仏教の神の牛頭天王を祭神とすることが憚られました。

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「織姫社」 本殿の左、境内の西北の隅にあり、祭神の栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は織物の祖神で、七夕伝説の織女に機織を教えたとされます。機織などの技芸上達だけでなく、最近では七夕伝説にちなんで縁結びの神としても信仰されています。

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「阿呆賢(あほかし)」さん 本社前の広場にある神占石は、叩くと怒り、撫でて軽くなれば願いがかなうとか。

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「八社」 織姫社の南(左)にあり、大国、蛭子、八幡、熱田、住吉、香取、鏡作、諏訪社を一棟に祀っています。このように全国の有名な社が祀られているのは、大勢の参拝者がある神社がその便宜を図ったと考えられます。左隣にも、八幡社があります。

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「大将軍社」 かって平安京の鎮護のため四つの方角に大将軍社が建てられ、大徳寺門前にあった一つがここに遷されたといいます。牛頭天王とその八大王子が祀られています。牛頭天王と同一視される素戔嗚尊にも五男三女の八神があるのは不思議です。

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「日吉社」 近江の日吉大社の祭神、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(おおものぬしのかみ)を祀り、今宮神社の産土の地「上野村」に祀られていた上ノ御前、下ノ御前の両社も明治初年に合祀しました。この前でやすらい祭の踊りがあります。

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「若宮社」 賀茂斎院の若宮を祀ります。斎王を奉る館を賀茂斎院といい、この近くに在ったので紫野斎院とも呼ばれました。「若宮」とは、激しい祟りをする霊を弱めるため、より強い神格の下に祀った状態だとされます。 「今宮祭」の牛車で巡行するのはこの若宮です。

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「稲荷社・織田稲荷社」 上の社がある道の東側にあります。稲荷社の祭神は伏見稲荷大社と同じ宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)、 その右にある織田稲荷社は織田信長を祀ります。信長の墓所・阿弥陀寺の移転跡地にあったものを昭和62年に遷したそうです。

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境内西に石段があって、かなり上った場所に二つの摂社があります。

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石段の途中にある「地主稲荷社」 倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)・猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀ります。

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これらは天孫降臨に関わる神として知られ、今宮神社の地を守護する地主神です。

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「月読社」 石段の上にあり、月読尊(つきよみのみこと)を祀ります。月読尊は太陽を象徴する天照大御神の弟神にあたり、夜を司る月の神とされます。ただし、神話でもその記述が少なく、ちょっと影が薄い神でもあります。

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「絵馬舎」 境内の南西にあります。かなり古い絵馬が多くあります。

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楼門は1926年の建立です。楼門の正面は今宮通で向こうに船岡山が見えます。

ところで、あぶり餅を食べたときに気が付いたのですが、一和さんの屋根に鐘馗(しょうき)さんが乗っていました。

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中国唐の玄宗皇帝が病気にかかり、夢の中に鬼が出てきてうなされました。すると、鬼より恐い形相の鐘馗という大男がその鬼を退治し 夢から覚めると病気は全快していました、皇帝は絵師を呼んでその大男を書かせて災厄祓いの守り神としたとされます。

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一方、向かいのかざりやさんの屋根にはお多福が。鐘馗さんは、向いの家の鬼瓦を睨み返して災いを防ぐとされますが、向かいにすでに鐘馗さんがある場合、その睨みを笑いかわす意味でお多福が据えられることがあります。

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2軒のお店は400年の間ライバルですが、互いに支え合ってあぶり餅の伝統を守ってきたともいえます。ちなみに定休日(水曜日)も同じで、1日、15日、祝日が水曜の場合は営業して、翌日がお休みです。

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コメント

あぶり餅と言えば、向かい合う二軒。
結局どっちが売り上げが多いんだろう
名前的には「かざりや」さん?
どっちも美味しそう。

投稿: munixyu | 2017年5月30日 (火) 10:11

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