妙心寺塔頭・退蔵院 名勝庭園と枝垂桜
先日龍安寺を出た後、妙心寺まで歩きました。お目当ては枝垂桜が見頃の塔頭・退蔵院です。山門のあたりがかすんでいるのは、お隣の塔頭からの煙です。
「退蔵院」は、室町時代の応永11年(1404)に越前(福井県)の豪族・波多野重通が、妙心寺3世の無因(むいん)禅師を開山として創建したのが始まりです。
当初は、波多野家の下屋敷(千本松原)に建てられましたが、その後移転や応仁の乱による焼失などがありました。(いつもは非公開でしたが、この日は方丈に上がることができました。)
現在の方丈(重文)は、慶長年間(1596-1615)の建築です。伝承として、織田信長が足利義昭のために建立した将軍邸を移築したともいわれています。この日はすべての戸が開いていました。(6間ある中で一番西の「鞘の間」。)
この部屋は江戸時代中期に改造されたといわれています。
鞘の間の西の窓から「元信の庭」が見えます。室町時代の絵師・狩野元信(もとのぶ、1476-1559)の作庭とされ、国の史跡・名勝に指定されています。
50坪ほどの広さの石組主体の枯山水庭園です。一見無造作に石や橋が配置されているようにみえますが、全体としてみごとに絵画的な調和を保っている名園とされています。
回遊式庭園ですが、この鞘の間から見る鑑賞式にもなっています。
左は、寺宝の瓢鮎図(ひょうねんず)(国宝)。瓢箪でなまずを押えるという禅の公案(こうあん)を絵にあらわしたもので、如拙(じょせつ)が足利将軍のために描いたものです。如拙は相国寺の僧でしたが、中国水墨画の新様式を学び、我国水墨画の先駆者となりました。
鮎の漢字は本来なまずの意味だそうです。ただでさえ滑りやすいなまずを、滑りやすい瓢箪で捕まえるという公案は、この寺を訪れた宮本武蔵も興味をもったようで、刀の鍔(つば)に瓢鮎の意匠を施したそうです。瓢鮎図は国立博物館に寄託していて、下は複製。
方丈から庭に下りて、南にある余香苑に向かいます。「余香苑」は造園家の中根金作が1961年に作庭した池泉回遊式庭園です。
中門(薬医門)を入った正面にある大きな枝垂桜が満開でした。左右に二つの枯山水があります。
左の「陽の庭」、砂地の奥に曲線を描いて苔地が造られ、いくつかの石が配置されています。それぞれの石を中心として砂紋が描かれています。
こちらは右の「陰の庭」
枝垂桜の左右に道が分かれ、その左(南)の道沿いに「羅漢石」があります。
ここから西の視界が開けます。余香苑は東から西への傾斜地に作られ、途中の滝口から水が西に流れていきます。西の端には茶室、藤棚、待合などがあります。
江戸時代に造られた水琴窟。
右手に売店と休憩所があり、正面は非公開の茶室です。売店では、なまずをモチーフにした様々なお土産や、桜や紅葉の「余香」という線香を販売しています。
「大休庵」 売店で受付をしていて、ここで抹茶と茶菓子をいただけます。
茶菓子の「もちどら」は、丹波大納言小豆の粒あんを、はちみつともち粉でもっちりと焼いた生地で包んだ、退蔵院オリジナルの半生菓子だそうです。
西の端にある藤棚から東の風景は、空が借景だといわれています。右の方から水が池に流れ込みます。
近畿各地からの集められた石の配置は洗練されていて、様々な樹木や草花が四季折々に彩りを添え、「昭和の名園」ともいわれています。さつきや楓の紅葉の頃の眺めも見事です。
この後の夕方は平野神社、夜は二条城を訪れました。
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コメント
桜の後ろからだんだん緑が濃く、前に出てくる。
初夏への移り変わりが楽しいですよね。
投稿: munixyu | 2017年4月25日 (火) 09:13