天龍寺 春の花咲く2017
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渡月橋を渡り、天龍寺にきました。総門には、枝垂れ桜と三つ葉つつじが見頃の看板が出ていました。向こうに見える中門は工事中です。
「天龍寺」は、室町時代の暦応2年(1339)足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として創建したのが始まりです。
春は山内に様々な花が咲き華やかになります。総門の左にある「勅使門」の前から。勅使門、放生池(蓮池)、向こうに見える法堂、唐門、大方丈が、東から西に一直線に並んでいます。。
創建以後の歴史は別の機会に紹介するとして、今日は今咲いている花を見て歩きます。南側の参道横には塔頭が並んでいます。
北の参道に来ました。総門がらまっすぐ庫裏に向かう道で、やはり塔頭が並んでいます。
正面の庫裏にはお堂の拝観受付がありますが、この日は庭園だけを見て回ります。
庫裏の左手にある庭園の拝観受付を過ぎると、大方丈とその前庭があります。
中央に唐門、手前に白砂、塀際に苔地と松が植えられているシンプルな枯山水庭園です。
庭園の端に一本だけ三つ葉つつじが咲いていました。
大方丈の裏(西)にある「曹源池庭園」。中央から右手は亀山が借景となっていて、右手に小方丈が見えます。
夢窓国師が作庭した池泉廻遊式庭園で、国の史跡・特別名勝の第一号です。向こう岸の中央に石組からなる滝(龍門瀑)があります。
この地は、かって亀山上皇が離宮「亀山殿」を建てた場所で、後の後醍醐天皇も学問所として幼少期を過ごしました。(小方丈の前から、池の左(南)は嵐山が借景です。)
小方丈の横の石段を上ると「多宝殿」があり、小方丈とは回廊で結ばれています。多宝殿には後醍醐天皇の尊像が祀られています。現在の建物は昭和初期に建立されたものですが、後醍醐天皇の吉野行宮(あんぐう)時代の紫宸殿の様式を伝えています。
多宝殿の前を通って左に行くと、道が分かれていて一方は池の裏(西)を通って大方丈の南に戻ります。もう一つは斜面に上る道で北門の方に行けます。
道が一番高いところは「望京の丘」といい、展望台になっています。先ほど通った多宝殿が下に見えます。
この枝垂桜は、吉野で亡くなった後醍醐天皇の霊を慰めるために、夢窓国師が吉野から取り寄せて移植した桜の子孫だといわれています。庫裏の屋根についた煙出が見えます。
斜面から下りたところに、「愛の泉」と「平和観音」があります。夢想国師の母親は、観音菩薩を信仰していて、その夢を見て国師を生んだそうです。夢想国師が南北両朝の和平に尽力したことにちなみ、この像を平和観音と名付けたそうです。
多宝殿から北門までは「百花苑」とよばれる庭園となっていて、様々な植物が四季を通じて花を咲かせます。「木瓜(ぼけ)」、この木の花びらは紅と白です。
これから後は、目についた花を見て歩きます。「黒光木瓜(こっこうぼけ)」
百花苑は、昭和58年(1983)に北門が開設されたときに整備された庭園です。「雪柳」
北門に向かって緩やかに上る斜面に苑路が東西に作られ、その間の苔地に同じ種類の植物がかたまらないように植えられています。(三つ葉つつじはあちこちで咲いています。)
春に花が一斉に咲くと、様々な色がまじりあって美しい色模様になります。「山茱萸(さんしゅゆ)」
よく手入れがされていて、それぞれの植物には英語、中国語、ハングルで名札がたてられています。「木瓜」 この木には紅、白、斑の花が咲いています。
あちこちに点在する同じ種類の花それぞれに名札がついているので、歩いていると自然に名前を覚えてしまいます。「連翹(れんぎょう)」
「白妙(しろたえ)桜」、純白のぽっちゃりした花びらでした。
昨日は大原に行ってきました。ちょっと肌寒く感じられ桜や菜の花が見ごろの状態で、山里の遅い春を楽しむことができます。
この後北門から竹林の小径に出て、大河内山荘に向かいました。
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コメント
桜が終わりに近づけば
今度はつつじたち
春は花続きで嬉しいですよね。
投稿: munixyu | 2017年4月20日 (木) 10:38