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2017年4月21日 (金)

龍安寺 春の石庭と鏡容池

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事は嵐山の天龍寺でしたが、今日は別の日に訪れた龍安寺にしました。現在では石庭が有名ですが、昔から池を中心とした池泉回遊式庭園も名所として知られています。

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「龍安寺」は、山号を大雲山という臨済宗妙心寺派の寺院です。石庭に行く途中に池の横を通りますが、後で回ることにします。

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このあたりは、平安時代中期の永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺・円融寺の寺域でした。

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後に円融寺は衰退し、平安時代末に藤原北家の流れをくむ徳大寺実能(さねよし)の山荘が建てられました。

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方丈の前庭(石庭)は室町時代に寺が再興された際に作庭されたといわれていますが、詳細は不明です。左から、石が5、2、3、2、3個ずつかたまっていて、様々な解釈がされています。

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室町時代に、徳大寺家からこの山荘を幕府管領の武将・細川勝元が譲り受け、寺院とするため初代住職として妙心寺8世住持・義天玄承(玄詔)を迎えました。塀の向こうのソメイヨシノは満開、その左の枝垂桜は開花したばかりでした。

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玄承は、尊敬する師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは寺を開く実務にあたりました(そのような僧侶は創建開山といわれます)。

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細川勝元らと守護大名・山名宗全らが争った応仁の乱(1467-1477年)で龍安寺は焼失しましたが、勝元の子・細川政元と4世・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興されました。

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安土桃山時代に豊臣秀吉は、蒲生氏郷と前田利家を連れて龍安寺を訪れ、方丈の西庭の糸桜の花見をして和歌の会を催しました。その後秀吉は3度にわたり寺領を寄進しました。現在の西庭は、龍安寺特有の「びろうど苔」でおおわれています。

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江戸時代の初めには板倉勝重と金地院崇伝によって朱印722石が寄進され、最盛期には塔頭が23院もありました。方丈の北庭に水戸光圀が寄進した「吾唯足知」と刻まれた手水鉢(蹲踞)があります。

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東庭の右手に豊臣秀吉が賞賛したという侘助椿が植えられています。その後ろは龍安寺垣とよばれ、透かしの部分にひし形に組まれた割り竹が張られた背の低い垣です。

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明治初年の神仏分離令後の廃仏毀釈により塔頭は3院だけになり、上知令によって寺領の大部分は没収されて国有地となり、障壁画などの寺宝も散逸してしまいました。

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1924年に石庭を含む庭園が国の史跡・名勝に指定され、1954年には特別名勝となりました。1994年には龍安寺は「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録されました。境内に出て池泉回遊式庭園をめぐります。、

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最初に中の島の「弁天島」に渡ります。

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「大弁財天尊」 弘法大師が刻んだとの伝承がある弁財天、毘沙門天、大黒天を祀り、豊臣秀吉が信仰したといわれています。

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「鏡容池(きょうようち)」 国の名勝「龍安寺庭園」の中心にあり、かっては石庭よりも有名でした。石庭が人気となったのは、欧米諸国における禅ブームと1975年にエリザベス2世が龍安寺を公式訪問して石庭を称賛したことがきっかけといわれています。

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この池は平安時代に円融天皇が建立した円融寺の園池で、その跡地に山荘を建てた徳大寺実能と孫・実定が庭園を作庭しました。

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池の周囲の道を西に行くと、石段の上に第二次大戦中にビルマで戦死した兵士を供養する「バゴダ」と「涅槃堂」があります。それらは1970年に58世住職・松倉招英と野戦自動車廠戦友会によって建立されました。

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涅槃堂の横に「桜苑」と「梅林」があります。このあたりは高台となっていて、中の道は鏡容池のほとりの散策路と並行に南に向かいます。

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ここの枝垂桜は背が高いことが特徴です。

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桜苑を抜けると池の西に出ます。ここには、塔頭の一つの「西源院」が経営する湯豆腐屋さんがあります。精進料理に豆腐を加えた「七草湯豆腐」が名物で、野菜を散りばめて目にも美しいそうです。

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塔頭の「大珠院」も池のほとりにあります。その前に無名の中の島があり、そこに建つ五輪塔は真田幸村の墓といわれています。大珠院から石橋で島に渡れます。

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池の向こうに「霊光祖堂」が見えます。安土桃山時代の1583年に月航玄津によって塔頭の霊光院が創建され、織田信長の妹「お犬の方」が祀られました。霊光院は「お犬の方」の法名で、現在ではこのお堂だけが残っています。

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大弁財天尊がある中の島。

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「水分石(みくまりいし)」 池の水がこの位置を境に南東と南西に分かれたとされます。また、この石が水沈すると水門を開くなど、池の水かさを調整するのにも使われたたそうです。かっての徳大寺の遺構といわれます。

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池の東には「伏虎(ふしこ)島」があります。今までに紹介した三つの中の島はほぼ一直線に並んでいます。

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天龍寺を訪れた後、枝垂桜が見頃を迎えた妙心寺の塔頭まで歩きました。

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2017 桜3」カテゴリの記事

コメント

桜は終わり、緑が前に出て光が強くなってくる。
初夏の近づきを感じます。

投稿: munixyu | 2017年4月21日 (金) 12:47

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