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2017年4月 3日 (月)

大徳寺塔頭・興臨院 春の特別公開 

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の大徳寺塔頭の龍源院を出て、もう一筋西の通りの興臨院を訪れました。通常は非公開の塔頭ですが、3月18日(土)から6月11日(日)の期間に特別公開されています。

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「興臨院」は、足利時代の大永年間(1521- 1528)に、能登国の大名・畠山義総が大徳寺86世の小渓紹?(しょうけいじょうふ、仏智大通禅師)を開山として迎えて建立しました。以来畠山家の菩提寺となります。

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上の「表門」(重文)は、創建当時の唯一の遺構で、大徳寺山内でも有数の古い門です。下は「唐門」(重文)で、唐破風と檜皮葺は室町時代の特徴を表し、波形の連子窓と客待の花頭窓は禅宗様式を踏襲しているとされます。

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畠山家が没落した後。天正14年(1586)に加賀百万石の基礎を築いた前田利家によって本堂屋根の改修が行われ、以後前田家の菩提寺となりました。昭和50年から本堂、表門、唐門の解体修理が行われ創建当時の形に復旧し、併せて庫裡が新築されました。

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本堂は方丈形式で、檜皮葺の屋根は現在の建物より低く、内部も簡素で寺院建築らしくなく、書院の間には日本最初の床の間が見られます。これらは、民家住宅への過渡期の特徴だそうです(部屋の内部は撮影禁止なので写真がありません)。

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方丈の前庭は、文献をもとに昭和を代表する作庭家・中根金作により復元されました。白砂、築山、石組、石橋、松などから構成される枯山水庭園です。中根金作は妙心寺塔頭・大心院の阿吽庭などの復元も手がけました。

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奥には二つの築山があり、その谷にかかる橋は、唐代の僧・寒山と捨得が生活していた天台山の国清寺のものを模しているとか。立石と松とともに、理想郷の蓬莱世界を表現しているそうです。

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西の築山の中に「貝多羅樹(ばいたらじゅ)」が植えられています(ヤシ科の木)。貝多羅は梵語で木の葉を意味し、葉の裏に竹で字を書くと黒く跡が残るそうです。古代インドで経文を書写するのに用いられ、貝葉経として重宝されたそうです。

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庭の東は方丈の附玄関で唐門が入り口になります。、

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方丈の西は苔庭になっています。

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「爪塚」 前住職の奥さんが琴の先生であったこともあり、古くなった琴の爪を納めて供養しています。

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「琴心塔」 お琴奏者の粉骨を埋葬して供養しているそうです。

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北西の隅に鎮守社があります。

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方丈の北庭は、苔地に置石、塀際に植栽があります。秋は華やかな色になると思われます。向こうに茶室の「涵虚亭(かんきょてい)」が見えます。

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この茶室は昭和3年(1928)に山口玄洞によって建立され、中国北宋代の蘇東坡の詩から名付けられました。茶人・古田織部好みの四帖台目に「隅板」(格子組を補強するために四隅に付ける三角形の力板)を加えたものになっています。


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山口玄洞は、明治から大正中頃まで活躍した尾道出身の実業家で帝国議会議員も務めました。(方丈の東の庭には飛び石が茶室へと続いています。)

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このあたりの縁側の板にいろんな形のはめ込みがありました。節穴を埋めているのだと思われますが、形は大工さんの趣向だそうです。

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方丈の外縁を一周しました。

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庫裏と方丈を結ぶ廊下の途中から茶室にも行けます。

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山口玄洞は、大正6年(1917)に56歳で引退すると、京都の本邸で静養するかたわら、信仰に没頭して資産の多くを寄付につかったそうです。こちら側にも小さな坪庭があり、手抜きがありません。

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この蹲踞(つくばい)にはいつも季節の花が飾られています。

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玄洞は数寄者としても過ごし、表千家の後援者としても活躍したそうです。昭和12年(1937)死去すると、大徳寺塔頭・龍翔寺に葬られ、故郷尾道の西國寺にも分骨されました。

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涵虚亭は、「給仕口」(給仕人の出入り口)を入ったところが板敷きとなっていて、さらにその右が床の間で、中が洞のように見えることが特徴でだそうです。(下は以前の写真です。)

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山口玄洞は公共事業、慈善事業、寺院に多額の寄付をしたので、「寄付金王」と呼ばれました。故郷の尾道では上水道がほどんど玄洞の寄付で整備されたほどです。寄付した総額は当時で500万円以上(現在では数十~百億円)といわれています。

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寄付が評判になると、寺から嘆願が殺到したので、由緒正しい、景勝の地にある、住職の人品が優れている、という条件を課したそうです。由緒や景勝の地という条件も、その方が人々を仏教に導くのに都合がよいと考えたようです。

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この興臨院は玄洞の条件にかなったということになります。

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コメント

板のはめ込み、おもしろいですね。
春の庭は光と影、どちらに趣きがあっていいですよね。

投稿: munixyu | 2017年4月 3日 (月) 14:06

興臨院の特別公開ということは。。。黄梅院や総見院もやってる時期でしょうか。。。しばらく行ってないんですが、興臨院は入った時にちょうど法要かなにかで、奥まで行けなかったので、茶室の中などはちゃんとみれていないのを思い出しました。
床の間は後ろのが壁ではなくて襖になっているって言ってましたね。。。
そういえば興臨院の扁額はだれか有名な人の筆じゃなかったかなぁ。。。解説の人が言ってた気がしますが、覚えてない!(;´д` ) トホホ

投稿: ばるさろ | 2017年4月 3日 (月) 22:03

★ばるさろさん こんばんは♪
お返事が遅れてごめんなさい。
大徳寺で通年公開している塔頭は、龍源院、瑞峰院、大仙院、高桐院の四つです。黄梅院と総見院は5月下旬まで春の特別公開になっています。この記事のときに黄梅院も訪れましたが、拝観受付を入ると(庭園も)写真が撮れないので記事にし難いところです。総見院はいずれ行こうと思っています。
扁額は天啓和尚のものだと、都林泉名勝図会に書いてあるそうです。

投稿: りせ | 2017年4月 8日 (土) 00:48

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