大原の遅い春 宝泉院
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
市内の桜が散りかけた4月19日、大原に行ってきました。大原も左京区なのですが、山里だけあって桜や菜の花がまだ見頃でした。
大原のバス停から呂川沿いの三千院参道を行くと、すぐに菜の花畑があります。「志ば久」の紫蘇畑ですが、初夏に収穫した後に裏作で菜の花を栽培しています。
「菜の花漬け」として蕾を収穫した後でしたが、残った花が満開となっていました。
4月26日頃には、次の赤紫蘇畑の準備のため刈り取ってしまうそうです。
呂川沿いの参道の一番上 かってマスコット猫のあんずちゃんがいたアクセサリーのお店は健在でした。
いつもは賑やかな三千院の参道ですが、この日は閑散としています。
拝観するのは三千院だけのつもりで、とりあえず勝林院と宝泉院の山門の写真を撮りに行きました。
律川の手前に「大原問答」の遺跡があります。浄土宗開宗から10年余り、法然上人の名が日ごとに高まっていった文治2年(1186)秋、後の比叡山第61代座主となる顕真法印から勝林院での浄土教についての「談論(討論会)」を依頼されました。
いつも法然上人のお供をする蓮生は、集まる聴衆のなかに「念仏停止」を訴える過激な僧徒がいて法然上人を襲撃するかも知れないという噂を耳にします。そこで、蓮生は法然上人に一大事があってはならぬと、帯に鉈(短刀)を忍ばせて出かけました。
法然上人一行は、勝林院手前で石に腰掛け一休みしました。蓮生の姿を法然上人は見咎め、蓮生はやむなく鉈を近くの竹藪の中に投げ捨てたと伝えられています。蓮生は武将・熊谷直実の出家後の名です。上が「熊谷腰掛石鉈捨薮」、下が「法然腰掛石」です。
三論宗の明遍、法相宗の貞慶、天台宗の智海・証真らの高僧との問答では、法然の専修念仏が他派を論破し、集った多くの人々が信服して、それより3日3晩念仏を唱え続けたと伝えられています。(勝林院)
宝泉院に来ると山門の向こうで桜が咲いていたので、急遽中に入ることにしました。「宝泉院」は、天台仏教の中心道場といわれた勝林院の僧坊として、平安時代中期の長和2年(1012)に創建されました。
明治時代(1868年)になって、勝林院がかっての本堂だけを指す呼び名となり、宝泉院はその塔頭寺院となりました。右に「法然衣掛け石」があります。大原問答に臨んだ法然が、勝林院の前で腰掛けて、ここに衣を掛けたと伝わっています。正面に五葉松があります。
山門の右手の庫裏から入ります。
庫裏から客殿への廊下の天井は伏見城の遺構の血天井だそうです。吊るされている駕籠は、かって住職が使用したと思われる立派な造りです。
廊下の右手にある「囲炉裏の部屋」 正面の庭は「鹿野苑」といい、滝から水が流れてきます。
廊下の左にある中庭の「鶴亀庭園」 江戸中期の作で、池の形が鶴、築山が亀、左奥の山茶花の古木を蓬莱山とみるのだそうです。 樹齢300年の沙羅双樹があります。
鶴亀庭園は、客殿の格子窓から鑑賞するのが一番よい景色だといわれています。
建物の中にはあちこちに花が飾られています。
拝観料にはお茶券(お茶菓子付き)がついていて、客殿の毛氈の上でいただきます。この庭は「盤桓園(ばんかんえん)」といい、盤桓とは立ち去りがたいという意味だそうです。
中央は、近江富士を型どった樹齢700年の五葉松。京都市指定の天然記念物で、市内にある3つの著名な松の一つです。あとの二つは、金閣寺の「陸舟の松」と善峯寺の「遊龍の松」だそうです。
こちら側は竹林になっていて(TOPの写真も)、右に理智不二(りちふに)と名付けられた珍しい二連式の水琴窟があります。
付書院にはいつも花が活けられています。
建物から出て、山門の左にある庭園「宝楽園」に行きました。平成17年に園治(えんや)により作庭された新しい庭です。途中で客殿が見えます。
中央が谷底のような低地になっていて、白砂の上に置石、立砂、蹲、石橋などが配置されています。
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コメント
山手の春と都市側の春。
京都は二回春が楽しめて全体的に長い春となりますね。
一粒で二度美味しいような嬉しさがありますよね。
投稿: munixyu | 2017年4月30日 (日) 09:35