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2017年3月20日 (月)

神泉苑 平安の面影を求めて

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、二条城とともに神泉苑も訪れました。この日は御池通の鳥居から入りました。

延暦13年(794)、桓武天皇が平安京の造営に際して、大内裏の南の沼沢を開いて苑池を設けました。その池は、常に清泉が湧き出すことから神泉苑と名づけられました。

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その範囲は南北に四町、東西に二町という広大なもので、苑内には大池と中の島のほか、乾臨閣(けんりんかく)や釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が舟遊、観花、賦詩、弓射、相撲などの行事や遊宴を行ったといわれています。

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天長2年(824)、淳和天皇の勅命により弘法大師空海は神泉苑の池畔で祈祷を行い、北印度(チベット)の無熱池の善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を勧請(神様を招くこと)しました。

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密教の修法により雨乞いをした結果、日本国中に雨が降り、民が大いに喜んだといわれています。これ以降、神泉苑の池には善女龍王が住むようになったとされます。

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「善女龍王社」 池の中の島に建てられ、善女龍王が祀られています。今なお雨を降らす功徳があるとか。

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「歳徳神(さいとくじん)」 恵方(その年の幸運の方角)を礼拝する社(恵方社)で、その年の方角は陰陽道によって決められます。今年の恵方は亥子(北北西)で、社は南南東を向いています。このように方角を変える恵方社は日本で唯一だそうです。

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「法成(ほうじょう)橋」 弘法大師空海が雨乞に成功したことから、弘法大師の法力が成就した(法力が成就→法成)として名付けられました。お守りを抱いてこの橋を渡り、善女龍王社にお参りすると、一つだけ願い事をかなえてくれるそうです。

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地下鉄東西線の建設に伴う発掘調査によって、 大池の北岸、泉から池に流れ込む小川(遣水)など庭園の北部が検出されました。その小川河口のすぐ西側の池の北岸には、長さ約4mの厚い板材が設置されており、船着き場の足場板と見られています。

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この結果から、平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き、貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されています。 ちなみに、池の名は御池あるいは法成就池で、御池通の起源となっています。

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本堂に祀られている本尊とご利益は、聖観世音菩薩(病気平癒)、不動明王(所願成就)、弘法大師(学業成就)です。

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方丈の「臨泉閣」 境内の西南隅にあります。

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下は「増運弁財天」 屋根瓦には弁天様の眷属神として鯰(なまず)が安置されていて、池の水音が弁天様の奏でる琵琶の音色に聞こえるそうです。

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下は「矢劔(やつるぎ)大明神」 法成池の東側のほとりにあり、大正年間の建立とされています。

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貞観5年(863)に疫病が大いに流行り、神泉苑で多くの御霊を鎮めるため御霊会が行われました。全国の国の数の66本の鉾を立てて、神泉苑の池にくりこみ、厄払いをしました。

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後世には、これが町衆の祭典として、鉾に車を付け、飾りを施して京の都を練り歩く、祇園祭へと発展しました。「鯉塚」と「亀塚」、捕まえた鯉や亀を殺さずに、この池に放つと願いがかなうという信仰から塚が造られたようです。

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平安時代末頃から池の汚濁がすすみ、鎌倉時代になると神泉苑は衰退していきました。室町時代の応仁の乱(1467-1477)では、庭石が奪われ苑内に田畑が開かれるなど荒廃したといいます。

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「京都 神泉苑平八」 上の建物は平安殿。秘伝の薄味でこくのある上品な「お出し」で煮込んだ、日本一太い「うどん」のうどんちり、しゃぶしゃぶ、京懐石などがあります。お取り寄せ商品の「梅花ちりめん」や「桜花ちりめん」も好評だとか。

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先日の記事のように1602年に徳川家康の二条城築造により、神泉苑の北側の大半が削られ、湧水は城の堀に使われました。

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江戸時代初め1607年、筑紫の僧・快我が神泉苑の復興のために勧進を行い、所司代・板倉勝重、片桐且元らの協力によって東寺に属する寺院として再建され、寺領40石を与えられました。船館の「龍王船」でお食事を頂くこともできます。

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家光の時代にも二条城の拡大・改築が行われ、神泉苑の北側が削られました。神泉苑平八では結婚式や披露宴、両家顔合わせ、結納などもできるそうです。

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明治以降は真言宗の道場として再興され、昭和10年(1935)には境内が国の史跡「神泉苑」に指定されました。神泉苑平八がこの地に出店したは昭和40年(1965)です。

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「中島」 善女龍王社の北方にあり、 浮かんでいて少しずつ移動すると昔から言い伝えられています。この島には五位鷺(さぎ)が棲んでいます。

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五位鷺には言い伝えがあります。醍醐天皇(885‐930)が神泉苑に行幸したとき、鷺が羽を休めていました。帝は召使いに捕らえて参れと命じ、召使いが近づくと鷺は飛び立とうとしました。

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召使いが「帝の御意なるぞ」と呼びかけると鷺は地にひれ伏したそうです。帝は大いに喜こび、鷺に「五位」の位を賜わり、以降、鷺は「五位鷺」と呼ばれました。

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こちらが二条通の門、「東寺真言宗 神泉苑」の看板が掲げられています。右手前の看板には「祇園平八 神泉苑平八」とあります。

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コメント

船でも食べれるのですね。
この船は動くの?今からは船の方がいいかもしれませんね。
アヒルも春?仲良くていいですよね。

投稿: munixyu | 2017年3月20日 (月) 13:56

★munixyuさん こんばんは♪
私も舟に乗って食事をしてみたいと思いました。この龍頭船はお祭りのときに、雅楽の奏者をのせて池を回ります。神泉苑と平八は関係が深いということでしょうね。昔から神泉苑のあひるは有名で、先代が亡くなったときにニュースになったほどです。

投稿: りせ | 2017年3月22日 (水) 20:22

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