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2017年3月 6日 (月)

南禅寺西の塔頭たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

南禅寺の西北にある大寂門から三門の西にかけていくつかの塔頭があります。最初に、山門の外(北)にある「正的院」

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鎌倉時代の1332年に亡くなった元翁本元(げんのうほんげん)の塔所として弟子により建立されました。かつては僧堂の北にあったといわれています。

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大寂門を入ると左は南禅寺境内、右には白塀が続きます。手前はゆどうふの奥丹総本家。

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「聴松院」 詳しい創建時期は不明ですが、鎌倉時代から南北朝時代、清拙正澄(1274-1339)の塔所として創建されたとされます。北門はいつも閉まっています。

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石柱には「大聖摩利支尊天」と刻んでいます。

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本堂

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摩利支天の使いである猪が狛犬の代わりを務めます。

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後姿は意外とカワイイ!

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本尊の摩利支尊天は秘仏で、開祖・大鑑禅師(清拙正澄)が元から持ち帰ったものといわれています。その顔は天童女で、正面の顔は三眼で右面を猪面、頭上に宝塔をいただいています。三面六臂で、手に宝剣、無憂樹、弓矢、針と糸を持っているといわれています。

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実は、聴松院は京都で一番早く咲く梅の名所としても知られているのですが、もうほとんど散っていました。かろうじて残っていた花を。

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摩利支尊天は戦の神でもあるので、この塔頭はさまざまな武将とかかわりがあることでも知られています。例えば、足利義教、足利義晴、細川満元、織田信長、蒲生氏郷などが帰依して宿泊したといわれています。

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安土・桃山時代から江戸時代にかけての慶長年間、大坂の陣の後で藤堂高虎はしばらく聴松院に寓居して、書院を建立したといわれています。

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「慈氏院(じしいん)」 創建は、南北朝時代の1385年、南禅寺44世・義堂周信(ぎどうしゅうしん)が足利義満に土地を譲られ寿塔を建てたのが始まりとされます。現在の東山中学あたりでした。

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義堂周信は土佐の生まれで、14歳で剃髪して翌年比叡山に上り受戒しました。17歳のとき禅宗に帰依して臨川寺の夢窓疎石に師事、周信と称しました。正面は庫裏

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30歳を過ぎて、足利基氏に招かれ鎌倉に下り、基氏、氏満父子の教育係を務め、多くの武将の帰依を受けて、関東各地の寺の住持を務めました。(ピンクの梅が咲いていました。)

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55歳のとき将軍・足利義満に召還されて帰京し、相国寺建立を進言し、建仁寺、等持寺の住持を務めました。後に南禅寺・慈氏院に退隠して没後ここに葬られました。義満に南禅寺を五山上位とし、相国寺を五山に加えることを進言したことでも知られています。

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慈氏院は鎌倉時代から室町時代にかけて衰微しましたが、江戸時代の1694年に大名の蜂須賀綱矩が再興しました。明治初年の1868年、現在地に移転しました。

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山門の右手に達磨堂があります。

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石造の達磨大師像が安置されています。立像の達磨大師は珍しいそうで、「おあしがよる大師」と呼ばれ福徳蓄財の信仰を集めています。足があることを、おあし(金銭)が寄るにかけているそうです。

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左右に奉納された達磨像が置かれています。

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達磨堂の後に池泉式の庭園が見えます。

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「牧護庵(ぼくごあん)」 鎌倉時代の1318年、約翁徳検(仏灯国師)が後宇多天皇の勅令によって南禅寺5世となりました。1320年の徳検の没後、庵を創建して牧護庵と名づけ、南禅寺塔頭の一つになったといわれています。

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かっての庭園は、江戸時代の『都林泉名勝図会』にも掲載されているそうです。門前に、「南禅寺五世佛灯国師塔所」の石標が建ち、上に地蔵が乗っています。石彫家・杉村孝氏のわらべ地蔵です。

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明治初年(1888年)廃仏毀釈によって法皇寺と合併して寺号を法皇寺と改めましたが、1992年に寺号を牧護庵に戻しました。その年「わらべ地蔵の庭」が作庭されました。通常は非公開ですが、臨時に特別公開されることがあります。

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杉村孝氏のわらべ地蔵は三千院のものが有名ですが、こちらの庭には100体以上のわらべ地蔵があるそうです。杉村孝氏は1937年に藤枝市の石材店の三男に生まれましたが、小学校時代に右目を失明、その後北川薫と出会い彫刻家となりました。

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8年かけた不動峡の磨崖仏の制作や芸術家として体をはった平和活動など、杉村孝氏の数奇な人生は、岡村直子『独眼流 一石 杉村孝といふ男』や小川国夫『石の夢』のモデルになっています。自然石に浮き彫りにした地蔵が見えます。

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山門左の丸い石にも地蔵がいました。

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コメント

おはようございます。
毎日訪問していますが、京都市内を丁寧に写真で見せて頂き嬉しいですね。
リンクしたのですが、どのようにして良いのかわからず、
コメントしました。
よろしくお願いします。

投稿: さゆうさん | 2017年3月 6日 (月) 09:36

ピンクの梅もいいですね。
眩しい光りと梅の花。
のんびり、嬉しい春ですよね。

投稿: munixyu | 2017年3月 6日 (月) 10:13

cherryblossom素朴な疑問・・・塔頭って?
調べたら わかりました! でも拝観は?
りせさんだから 入れたり撮影できたりするのでしようか?
私のような一庶民&観光客でも 塔頭の中に入れるのでしょうか?

例年、たぶん観光客が減る時期に、特別拝観ツアーがJRで発売になります。よそものには それに参加するくらいしかできません。

なので りせさんの写真が貴重で、行ったつもりになれますheart04ありがとう

投稿: ゆっこ | 2017年3月 6日 (月) 13:26

南禅寺の塔頭は殆ど拝観できないのと、堂々たる三門で満足してしまうので、あまり探索していませんでした。。。摩利支天は他にも結構ありますね~。一番有名なのは建仁寺の禅居庵さんでしょうか。。本法寺にもありますね。秘仏で見れないけど、摩利支天とでかでかと書いてある所が多い気がするなぁ。。
義堂 周信のことは全然知らなかった!まだまだ知らない事ばかりだなぁ。。。義満にかなり信頼されていたようですね。

投稿: ばるさろ | 2017年3月 6日 (月) 22:22

★さゆうさん こんばんは♪
お返事が遅れてすみませんでした。リンクは、自由にしていだだいて結構です。ありがとうございました。道東の美しい写真、拝見しました。これからもよろしくお願いします。

投稿: りせ | 2017年3月 6日 (月) 23:04

★munixyuさん こんばんは♪
ひな祭りも終わり、ようやく気分も春らしくなってきました。昨年のように3月に雪が降ることもなさそうですね。

投稿: りせ | 2017年3月 6日 (月) 23:10

★ゆっこさん こんばんは♪
塔頭寺院も有名な(大きな)ところは常時拝観しているところが多くあります。残念ながら私だけ特別に入れるような塔頭はありません。たから、特別拝観の情報はいつもチェックしています。「京都観光Navi」や「京都観光ボーダルサイト」などが分かりやすいと思います。また、梅や桜、紅葉などの情報は「京都新聞」のトップページの上のバーの「観光・社寺」をクリックしてから、右サイドバーの「観光特集」をご覧ください。最新の情報がわかります。

投稿: りせ | 2017年3月 6日 (月) 23:36

★ばるさろさん こんばんは♪
お寺の歴史を調べていくと、えらいお坊さんがいっぱい登場しますね。それでもしばらくすると名前を忘れてしまいます。他のお寺の歴史にも登場したり、何度も出てきて初めて名前が覚えられるこの頃です。

投稿: りせ | 2017年3月 6日 (月) 23:41

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