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2017年3月17日 (金)

二条城 二の丸から天守閣跡へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

梅の名所のひとつとされる二条城を訪れました。今日は二の丸と本丸を通り、梅林が見える天守閣跡まで行きます。上は東南隅櫓(やぐら) 

拝観入り口になっていた「東大手門」は工事中で通ることはできません。

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二条城は正式名称を元離宮二条城といい、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が1603年に造営、3代将軍・家光が増築を行い1626年に現在の規模になりました。下は臨時の出入り口となっている「北大手門」。

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拝観入り口を過ぎて塀に沿って東に回り、休憩所の前を通り唐門まで行きます。

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「唐門」(重文) 江戸時代の1624年-1626年に建立、切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。彫刻がふんだんに施されています。

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「二の丸御殿」 江戸時代の武家風書院造りの代表的なもので、手前の車寄に続く6棟が東南から北西にかけて雁行(ずれて斜め)に立ち並んでいます。車寄は豪華に装飾され、床は牛車で中に入れるように四半敷になっています。

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この中門を入ると「二の丸庭園」です。

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この庭は、(家康時代の1602~1603年頃、二条城が造営されたときにその建築に調和させて作庭されたものです。後に家光時代の1626年の御水尾天皇行幸のために一部改修を加えられたと考えられています。

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こちらから見ると、車寄に続く遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間が雁行になっています。遠侍は二の丸御殿内で最大の床面積の、城へ参上した大名の控えの間です。式台は、参上した大名が老中職とあいさつを交わし、将軍への献上品を差し出しました。

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二の丸庭園は、神仙蓬莱の世界を表した書院造庭園といわれ、八陣の庭とも呼ばれています。後水尾天皇行幸当時は、池の中の御亭や増築された建物から鑑賞できる中庭的な庭園として改造され、池の中央に3つの島と4つの橋が設けられました。

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「大広間」 一の間は広さ48畳、二の間は44畳あります。上段の間の将軍が諸大名と対面した部屋で二の丸御殿の中で最も格式の高い部屋です。

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大広間は、時代を下った慶応3年(1867年)10月、15代将軍・慶喜が諸藩の重臣を集めて大政奉還を発表した歴史的な部屋です。向こうは黒書院でその後ろに白書院があります。

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慶喜の上洛時には、二の丸庭園は樹木がほとんどなく、池は枯渇して枯山水風の庭園となって荒廃していました。明治になって二条城が宮内省の所管となってからは5回以上改修され、離宮的・迎賓館的な城として利用されました。

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特に離宮時代に行われた大規模な植栽工事により、今日の二の丸庭園の景観となりました。京都市に移管されてから、昭和14年(1939)に名勝に指定、昭和28年(1953)に 国の特別名勝の指定を受け、京都の文化財的資産の一つとして維持されてきました。

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大政奉還150周年記念として、二の丸御殿の中庭が特別公開されています。

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一番端にある「白書院」 将軍の居間・寝室だったところです。内部の装飾も大広間や黒書院とは趣向が異なり、絵画は狩野興以(こうい)、長信(ながのぶ)による居間にふさわしい水墨山水画となっています。

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「黒書院」 将軍と親藩大名・譜代大名の内輪の対面所です。大広間より若干規模は小さいのですが部屋飾りはより技巧的です。襖絵は探幽の弟、尚信(なおのぶ)の作品です。

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二の丸御殿の中庭に面して(下の写真の左)、6棟の雁行棟と離れて「御清所」と「台所」があります。御清所で調理、台所で盛り付け・配膳などをしたそうです。 、

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中庭から少し戻ると、池の西に本丸御殿への橋があります。

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内堀に囲まれた部分が本丸です。創建当時の本丸御殿は,二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており、内部は狩野派の障壁画で飾られていました。

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本丸には五層の天守閣がそびえていましたが、寛延3年(1750年)落雷のため焼失、さらに天明8年(1788年)の大火で殿舎も焼失してしまいました。

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その後永らく本丸御殿は再建されず、幕末の15代将軍・慶喜の住居として本丸御殿が建てられましたが、明治14年に撤去されました。本丸庭園は明治時代に造られ現在に至っています。

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現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものです。向こうは御常御殿。

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この御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁ぐ前の約1年8ヶ月にわたって住んだ建物で、1854年内裏が炎上したときにも延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用された由緒ある建物です。向こうは御書院(右)と玄関(左)。

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本丸の西南隅に天守閣跡(天守台)があります。ここにはかって家康により築造された高さ28mの五層の天守がありました。

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江戸時代の1750年に落雷により焼失、明治の1877年には全焼してしまいました。ここから本丸御殿が一望でき、向こうの山は比叡山です。

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かっては本丸の他の3隅と、外郭の4隅に櫓が建ち壮観な眺めでした。現在では外郭の東南隅と西南隅の二つの櫓が残されているだけです(TOPの写真)。西側の内堀の外は並木道になっています。

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梅林になっているようです。

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天守閣跡を下りて、玄関の前を通り

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内堀の外の並木道に出ます。

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コメント

城と梅。
よくある絵だけど、やっぱりこれが一番日本を感じる
いい組み合わせなのかもしれませんね。

投稿: munixyu | 2017年3月17日 (金) 11:07

今回の京の冬の旅のテーマは大政奉還ですからね~。二条城はその中でも妙法寺と並んで目玉ですから、ぜひ行きたい所。。。しかし今年はザンネンながら行くタイミングがありませんでした(;´д` ) トホホ
ということで、りせさんの記事で勉強!二条城で思い浮かぶのは大政奉還、白書院、黒書院、二の丸御殿。家茂が泊まった。。とか。蘇鉄の間が京都検定の問題で出ていたような。。。
聞いた話ですが、戦後はGHQか何かに接収されていたようですね。京都では人気のない徳川のお城で、戦後はアメリカが威張っていた所ってことで、あまりいい思いが無いという京都の人も居るという事でした。

投稿: ばるさろ | 2017年3月17日 (金) 21:07

★ばるさろさん こんばんは♪
京都人の二条城への思い、よくご存じですね。もう少しいえば、お城好きの外国人を案内するときの複雑な感情もあります。
といっても、やはり見どころがいっぱいあって見逃せないところですね。

投稿: りせ | 2017年3月20日 (月) 00:06

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