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2017年3月 9日 (木)

金地院 東照宮と名勝庭園

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東山花灯路の記事はまだ続きますが、今日は一休みして別のところにしました。先日南禅寺三門西にある塔頭を記事にしましたが、その後で最後に金地院を訪れました。

「金地院」は、室町時代の応永年間(1400年頃)足利義持が、南禅寺68世大業徳基を迎えて北山に創建したのが始まりです。

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江戸時代初めの慶長10年(1605)に南禅寺270世以心崇伝(いしんすうでん)により再興され、現在地に移築されました。(拝観受付を過ぎて庭園に向かいます。)

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庭園の入口に「明智門」があります。明智光秀は、天正10年(1582)に本能寺で織田信長を倒してから豊臣秀吉らに反撃されて死ぬまでの短い期間ですが、五山や大徳寺に銀を寄進しました。

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大徳寺は光秀の冥福を祈るため、その銀を用いて方丈の南門を建てました。明治になって門は金地院に譲られ、もともとこの位置にあった門(国宝の唐門)は豊国神社に移されました。(明智門を入ると弁天池があり、中之島に鎮守堂があります。)

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右手にある石橋の石は岡山藩主・池田忠雄(1602-1632)が寄進したものです。

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拝観順路に従って、池のほとりの道を東照宮の楼門の方に行きます。

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これは金地院の外の通りから見た楼門で、拝観順路は門の内側を通ります。

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東照宮参道に来ました。徳川家康は1616年に没し、その遺命にもとづいて小堀遠州の設計で1628年に東照宮が造営されました。京都で唯一の権現造様式の建物だそうです。

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家康は、死後1周忌に日光東照宮に改葬されましたが、現在の荘厳な社殿が造られたのは1636年の21周忌でした。創建当初のこちらの東照宮は日光東照宮に比べられるほどの規模だったそうです。(楼門の方を振り返って)

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家康が日光に祀られることになったのはその遺言からです。崇伝の日記・「本光国師日記」には「遺体は久能山に納め、・・・ 一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されています。御透門

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「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神のことです。家康は不動の北辰(北極星)の位置(日光)から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられています。

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家康の改葬の際に、崇伝と天海の間で吉田神道と山王神道のどちらで祀るかの論争となりましたが、天海が主張した山王一実神道が採用され、薬師如来を本地仏とする神仏習合によって祀られることになりました。

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本殿には家康の遺髪と念持仏を祀り、土佐光起(1617-1691)筆の三十六歌仙の額、青蓮院宮尊純法親王(1591-1653)筆の歌が納められています。

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拝殿天井に狩野探幽(1602- 1674)筆の「鳴龍」があります。写真を見やすいように変形しました。

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社殿は、前から拝殿、間をつなぐ石之間、本殿からなる権現造りになっています。

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向こうの右手にある「御成門」をくぐります。

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石段を見ると、東照宮がかなり高い場所にあることが分かります。

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石段を降りたところに以心祟伝の塔所「開山堂」があります。

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正面に崇伝の木像が祀られています。崇伝は京都に生まれて南禅寺で学び、醍醐寺・三宝院、福厳寺、禅興寺を経て、1605年に建長寺住持、南禅寺270世となり金地院を再興しました。

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1608年には徳川家康に招かれ幕府外交関係の書記を務め、1610年に駿河に開いた金地院に住しました。1612年からは京都所司代・板倉勝重とともに宗教の統括にも関わります。(左右に十六羅漢像が祀られ、正面上に後水尾天皇の勅額がかかっています。)

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徳川幕府の伴天連(キリスト教)追放令、寺院諸法度、武家諸法度、禁中並公家諸法度などの起草・制定に加わり、幕府の宗教、武家、朝廷政策のブレーンとなりました。(開山堂の正面には方丈前園が広がり、こちらからは東山が借景となっています。)

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方丈の前に来ました。方丈前庭は蓬莱式枯山水庭園(特別名勝)で、「鶴亀の庭」と呼ばれています。徳川3代将軍・家光のために、小堀遠州が設計し1632年に完成しました。

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東照宮の高地の山林が大刈り込みとなり深山幽谷を表しています。右の鶴首石は、安芸城主・浅野家より贈られ、船と陸路を牛45頭で運ばれてきたそうです。その右の土盛りは鶴島でその岸は羽石が三尊形式で組まれ、松が植えられています。

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中央の大きな長形の平面石は、東照宮の遥拝石とされ、方丈から東照宮を礼拝する祭壇の役割を果たすとか。前面の白砂は海洋を表しています。

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左の亀頭石 その奥から左に亀島があり、曲がった枝ぶりの槙柏(ビャクシン)が植えられています。亀島中央に亀甲石(三尊石)が組まれ、左端に亀尾石の立石があります。鶴と亀の石は互いに向かい合っています。

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ところで、以心崇伝は方広寺の鐘の件で豊臣家滅亡のきっかけを作り、紫衣事件では朝廷の財政的基盤を奪い、キリスト教弾圧など、徳川幕府の基盤を築く汚れ役を演じました。(全体をパノラマ写真にしました。)

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しかしながら、家康の死後の神格化の論争で天海の主張に敗れましたが、それは天海が家康の遺言を偽ったからといわれています。その後は幕府の執政が合議制に変わり、かえって徳川幕府の基盤がより強固となりました。

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寒さがぶり返しています。お身体ご自愛くださいね。

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コメント

何かが違う。
光、風、音、匂い。
何かが春ですよね。嬉しい季節になってきました。

投稿: munixyu | 2017年3月 9日 (木) 16:33

おおお金地院!小堀遠州の庭というと、青蓮院、孤篷庵、御香宮神社。。。ここも有名なのにまだ行けてなかったので気になってるところなんです~。
しかも、ほかの遠州の庭よりも広々としていてて
ちょっと違う感じもしますね。土佐光起の絵は真珠庵で見たのが印象的でしたが、他ではなかなかお目にかかれなかったので、ココにあるとなると、さらに行ってみたくなってきました!

投稿: ばるさろ | 2017年3月 9日 (木) 23:41

★ばるさろさん こんばんは♪
小堀遠州はあちこちの庭にかかわっていますが、金地院ののは彼が作庭したことが確実な唯一の庭だとか。どういう意味かよく分かりませんが。記事にはしていませんが、沢山の額や襖絵、茶室もあってばるさろさん好みかも知れませんよ。季節としたら秋がよいと思います。

投稿: りせ | 2017年3月11日 (土) 22:53

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