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2017年3月15日 (水)

城南宮 梅咲く境内と摂社たち

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

神苑のしだれ梅が見頃とのことで、城南宮を訪れました。今日は、摂社や社殿を見て回りながら城南宮の歴史を振り返ります。

平安京以前からこのあたりは秦氏の勢力圏で、その氏神を祀る「真幡寸(まはたき)神社」という式内社がありました。式内社とは、神社一覧である「延喜式神名帳」に記載されている由緒のある神社のことです。下は東の鳥居でこの参道沿いに摂社があります。

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真幡寸神社の祭神は、八千矛神(やちほこのかみ)と息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)でした。神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に、祭神の神霊を添えて奉斎したことが「真幡寸神社」と朝廷とのつながりの契機となりました。「真幡寸神社」

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真幡寸神社は城南宮の氏子地域のうち、竹田地区の人々の信仰が厚いそうです。下は
「芹川天満宮(せりかわてんまんぐう)」 平安時代後期の1111年に城南宮の南の芹川の地に菅原道真を祀ったと伝えられ、大正時代の初めに現在地に遷座されました。

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794年の平安遷都の際に、都の安泰と国の守護を願い、真幡寸神社の祭神に、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を合わせて祀り、城(平安京)の南にあることから城南大神と崇められました。

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ところで、神話では八千矛神は大国主命、息長帯日売尊は神功皇后とされ、国之常立神は、最初に現れた神で、その名の由来は日本の創始あるいはその永久の平安を意味するなどの説があります。

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平安時代後期になると、白河上皇や鳥羽上皇によって、この地を取り囲むように城南離宮(鳥羽離宮)が造営されて院政の拠点となりました。その頃から、平安京の南にあったことから城南宮と呼ばれ、離宮の鎮守として一層崇められました。絵馬舎。

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当時の9月の城南祭では、神輿行列に加え、流鏑馬や競馬(くらべうま)も行われ大いに賑わったといわれています。朱の鳥居

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「神紋」 太陽と月と星を組み合わせた「三光の神紋」は、全国的に見ても珍しい紋章です。祭神の神功皇后の御座船の旗印に由来しているそうです。

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「三照宮(さんしょうぐう)」 朱の鳥居の前の石段の上にあり、天照大御神を祀ります。城南宮の氏子地域のうち、特に上鳥羽の人々の信仰が厚いとのことです。城南宮の神紋の「三光の紋」が桧皮葺の屋根の棟にあり、「三光社」ともいわれました。

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手水舎の「菊水若水」 伏見の名水として知られ、江戸時代の初め霊元法皇がこの水を飲み痛みが治ったといわれ、お百度を踏んで祈願して水を持ち帰る習慣が伝わっています。若狭からの水がこの下を通り、東大寺のお水取りの「若狭井」に通じているといいます。

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城南離宮の御殿は、熊野詣の精進所や方違(かたたがえ)の宿所にもあてられ、城南宮が京都御所の裏鬼門を守る神とされたことから、上皇や貴族が方位の災厄から無事であるように祈願しました。

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方違とは、外出や儀式などの際にその方角が悪いと、いったん別の方向に出かけ、目的地が悪い方角にならないようにすることです。このように城南宮の方除(ほうよけ)のご利益は平安時代の昔から信仰されています。

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城南宮は、応仁の乱などの戦乱で荒廃しましが、江戸時代になって復興され、幕末の文久3年(1863)には孝明天皇がここで攘夷祈願をおこないました。(現在本殿・前殿の檜皮葺屋根の葺き替え工事を平成30年をめどに行っています。)

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慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となったものこのあたりです。本殿には上で述べた城南大神の3柱の神を祀っていましたが、「平成のご遷宮」として、工事期間中は右手にある神楽殿に遷されています。

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明治10年(1876)には城南宮は、式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称しました。「比定」とは、延喜式に記載された神社と同一、もしくはその後裔と推定することです。(神楽殿の南側に拝所が造られていました。)

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昔話の「一寸法師」は、お椀の舟に乗って都を目指して城南宮の南にある鳥羽の津に着きました。一寸法師は、都の貴族に仕えて数年後、お姫様と一緒に鳥羽の津から船出したところ大風に遭い、奇妙な島に流されます。

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島で襲いかかって来た鬼を退治した一寸法師は、不思議な力を持った打ち出の小槌を手に入れ、背を高くし、金銀財宝を打ち出して都に帰り、末永く幸せに暮しました。一寸法師の幸せは、城南宮が鎮まる鳥羽の地によってもたらされたといえます。

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このあたりでは一本だけしだれ梅があります。

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昭和43年(1968)になって社名を「城南宮」にもどし、境内摂社として新たに「真幡寸神社」の社殿を設けました。この摂社が最初に見た東の鳥居の傍にある摂社です。

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この後、神苑に入ります。

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コメント

よく枝垂れてるねぇ。
梅、枝垂れ梅とくれば、いよいよ桜かな。
どんどん春が深まっていきますよね。

投稿: munixyu | 2017年3月15日 (水) 10:33

こんばんは。
私も3月7日に城南宮へ行ってきました。
神苑の 降りそそぐしだれ梅のシャワーに
今年も うっとりと酔いしれてきました。
こちらのしだれ梅だけは 毎年どうしても
会いに行きたくなります。
私地域では 3月26日に 随心院の梅園前で
「はねず踊り」が行われます。梅のように愛らしい
少女たちの踊り、もう何十年も見ていないので
今年は見に行けたらいいな、と思っています。

投稿: カワセミ | 2017年3月15日 (水) 22:44

しだれ梅 堂々としてますね~。城南宮は一度だけ行きました!まだまだこの辺りの地理には詳しくないので、バスを乗り間違えて通り過ぎたりしてしまいました。。。方違のつもりではないのに、なぜか予定と違う方角から行くことになって、なんだかなぁ~なんて感じで行ったのを覚えてますwお守りも八角形でちょっと大きいのが独特ですね。
道を間違えたせいで時間も無くなってしまって、お参りしてお守りゲットでタイムアップでしたが、庭園も有名だし、いろいろ見たいんですが、周りについでになるようなものもなくて、御無沙汰でございます~~

投稿: ばるさろ | 2017年3月15日 (水) 23:07

★カワセミさん こんばんは♪
明日の記事は城南宮のしだれ梅です。この景色を一度見てしまうと、毎年気になってしまいますね。
随心院の「はねず踊り」一度は見てみたいですね。場所がそれほど広くないので、さぞ混雑するのでしょうね。

投稿: りせ | 2017年3月16日 (木) 00:37

★munixyuさん こんばんは♪
昨日の朝は大文字山が霜で覆われていましたが、すぐに融けてしまいました。寒い日もありますが、季節の花はどんどん春らしくなって来ました。

投稿: りせ | 2017年3月16日 (木) 00:45

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