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2017年3月 2日 (木)

菅原院天満宮神社 梅咲き始める

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京都御苑の梅を見たあと、烏丸通に出て菅原道真ゆかりの神社を訪れました。「菅原院天満宮神社」は菅原氏の邸宅「菅原院」があったところで、菅原道真、その父と祖父が祀られています。

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平安時代前期、この地には、菅原道真(845-903)、その父・是善(これよし、812-880)、祖父・清公(きよきみ、770-842)の三代が居住していた邸宅「菅原院」がありました。

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祖父・清公は、文章(もんじょう)博士・大学頭を歴任した学者です。文章博士は大学寮(高等教育機関)に属して詩文と歴史とを教授した教官(定員1名)、大学頭は大学寮の長官です。また、遣唐判官として唐に渡りました。

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父・是善は幼少から優れた才能を発揮して、11歳で天皇の前で書を読み、詩を披露したといわれます。文章博士、参議、刑部卿を歴任して、文徳天皇や清和天皇に講義をしました。

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2011年に長年枯れていた道真公産湯の井戸から6m離れたこの場所を掘ったところ、同じ水脈から水が湧きだし、水質検査で飲用が可能と分かりました。現在、参拝者が自由に飲むことができます。

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道真も文章博士、式部少輔、文学博士を務めました。また、宇多天皇、醍醐天皇に重用され、政治の要職を歴任して右大臣まで上り詰めました。一方で、文人・学者として『菅家文集』や歴史書『三代実録』などを著しました。

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ここが道真公産湯の井戸です。先ほどの新しい井戸から水を引いています。

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901年、左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)により、道真は大宰権帥に左遷され、子息4人も諸国に左遷されました。903年、道真は病で大宰府で亡くなり、遺言により太宰府・安楽寺に葬られました。

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ところが、道真の没後さまざまな災厄や天変地異が続きました。道真の政敵・藤原菅根、藤原時平、左遷を命じた醍醐天皇の皇太子が相次いで死に、落雷により藤原清貴、平希世が死に、930年には醍醐天皇自身も亡くなりました。

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また、この間都では干ばつ、疫病、月食、大彗星、地震、天候不順などが続きました。これらの異変は、道真の怨霊の仕業と怖れられました。

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そこで、道真の菩提を弔うために歓喜光寺という寺院が菅原院跡に建立されました。その境内には道真と父、祖父の小祠が祀られたといわれています。

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歓喜光寺は1299年に六条河原院の源融邸跡に移り六条道場と称しました。道真らを祀った小祠はそのまま残され、現在に至っています。

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道真の清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、やがては天神さまと崇められ、天神信仰が始まりました。また優れた学者であったことから、学問の神としての信仰が今も変わることなく続いています。

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天神信仰にもとづく神社は、天満宮、天満神社、菅原神社、北野神社などの名を持ち。西日本を中心に約1万社あるそうです。、

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道真は梅を愛し、大宰府に流された道真を京都から追って根を下ろしたという「飛梅伝説」ができたことから、道真を祀る神社には梅が植えられ、梅鉢紋が多く用いらています。本殿の周りにでは一輪だけ咲いていました。

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また道真と牛にまつわる様々な伝承があります。例えば、「道真は丑年生」、「左遷される時牛が泣いて見送った」、「牛に乗り大宰府へ下った」、「牛が刺客から道真を守った」などです。そこから牛を神使として、狛牛、撫牛などの臥牛が多く置かれています。

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末社の「梅丸社」 梅丸大明神を祀り、がん封じのご利益があるとされます。

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祠の前には、石を撫でてから体の悪いところをさすると効験があるとされる「平癒石」が置かれています。

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「天満宮遺愛燈籠」 平安時代初期の石灯籠です。

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全国の道真を祀る神社のうち、京都から九州の太宰府までで由緒が深い25社を順拝する風習が「菅公聖蹟二十五拝」です。この菅原院天満宮神社はその第1番です。(授与所)

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2-5番が錦天満宮、菅大臣神社、吉祥院天満宮、長岡天満宮で、6番以降は奈良、大阪、兵庫、香川、広島、山口の各県の神社を巡り、23番で福岡の太宰府天満宮にたどり着きます。、

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その後、24番が高槻市の上宮天満宮、最後の25番が北野天満宮です。

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道真は果たせませんでしたが、二十五拝では大宰府から再び都に戻ってくることになっています。

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コメント

癌封じ、いいですね。
いろんな病気、みんな封じて欲しいものです。

投稿: munixyu | 2017年3月 2日 (木) 10:19

年初に護王神社で猪の足腰お守りを授与してもらいに行くのですが、今年は行くタイミングを逸しました(;´д` ) トホホ
護王神社に行くときも、最近はここは素通りしがちになってますが、いつも誰かしらいるので、やはり天神さん関係は人気あるなぁ~と思います。
大宰府に不本意にも流された道真ですが、福岡の役人も後々長崎に赴任した先で梅香崎神社など、天神様を祀ったりして、地元の神様として深い信仰があったようですから、道真の左遷も悪い事ばかりではなかった。。と思いたいですね~。

投稿: ばるさろ | 2017年3月 3日 (金) 00:07

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