« 粟田神社 出世えびす祭 | トップページ | 積翠園とフォーシーズンズホテル京都 »

2017年1月13日 (金)

金戒光明寺 西翁院 特別公開

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnd_3326a
※写真は全てクリックで拡大します。

先日、金戒光明寺塔頭の西翁院の特別公開に行ってきました(1月9日)。

「西翁院」は安土桃山時代の天正12年(15584)明蓮社光誉(こうよ)上人を開祖として、藤堂家御用達の呉服商だった藤村源兵衛が創建した金戒光明寺の塔頭寺院です。(御影堂から西に行くと二つの塔頭があり、手前が永運院、その先が西翁院です。)、

Jnb_2386b

寺名は源兵衛の法名「西翁院宗徳居士」からつけられました。(西翁院は「京の冬の旅」として13年ぶりに公開されています。臨時の拝観受付があり、その手前の石柱に「庸軒遺宝 西翁院」と刻んであります。)

Jnd_3338a

源兵衛の孫にあたる藤村庸軒(ようけん)は侘(わび)茶の奥義を極め、千宗旦(せんのそうたん)の優れた四人の弟子の一人に数えられた茶人でした。

Jnd_3332a

室内だけでなく、庭も撮影禁止ということで、説明のためにガイドブックの写真を使用する許可をいただきました。

Jnd_3335a

貞享2~3年(1685~6)ごろ庸軒が造った茶室「紫雲庵(反古庵)」(重文)は「淀看席(澱看席)」の名で知られています。下は案内書に載っていた見取り図です。

Img_20170112_0005a

西側の内露地全体を杉皮葺きの屋根が覆い、庸軒が植えたという檜が残っています。以下の4枚の写真は「第51回 京の冬の旅 非公開文化財 特別公開 ガイドブック」からの転載です。

Si002a

淀、山崎方面が遠望できる高台に位置することからその名で呼ばれるようになったといわれています。上の写真の右の小窓が淀看窓です。屋根の下に袈裟型の蹲踞(つくばい)があり、飛び石は自然石です。

Si003b

三畳の淀看席の内部の壁は、藁などを塗り込んだすさ壁になっています。すさ(?)とは壁土にまぜて、ひび割れを防ぐつなぎとする材料で、上塗りには麻や紙を使用するそうです。

Si001a

客座と手前座の間に中柱を建て壁で仕切られているのが特徴で、宗貞囲(そうていかこい)あるいは道安囲と呼ばれています。炉は向切(むこうぎり)で手前座奥の窓が淀看窓です。

Si004a

見取り図で左(西)の生垣は崖の上にあり、その外の一段低いところにも生垣があります。それらの間が通路になっていて、端(南西)に腰掛待合があります。崖に沿って通路を北に行くと枯山水庭園があります。この部分は写真がありませんので、山門の外の写真を。

Jnd_3328a

枯山水庭園は三尊石組みや枯滝石組などからなる小さな庭で、江戸初期の作庭といわれています。昭和期の造園家・重森三玲も研究に訪れたそうです。

Jnd_3329a

近年では、雑木が伸び生垣も高くなって、昔のような眺望がなくなっていました。現在『都林泉名勝図会』に描かれた景色が見られるように整備をしているそうです。下は国際日本文化研究センターの公開データベースから。

Km_03_02_018g

都林泉名勝図会は寛政11年(1799)に刊行され、「林泉」(庭)が有名な名所を案内しています。西翁院は反古庵(ほうごあん)の名で記載されています。(以下は過去の桜の頃の写真です。)

Jml_6637a

解説として「誰世にかむすび置けん草の戸の筆のあとをばその名にはして 八幡美濟」とあります。八幡美濟は寄稿者の名です。

Jml_6650a

Jml_6644b

励みにしていますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jml_6638a

|

« 粟田神社 出世えびす祭 | トップページ | 積翠園とフォーシーズンズホテル京都 »

コメント

撮影禁止が増えましたよね。
まあでもそれもまた特別公開らしくていいのかも。
茶室、和の塊でやっぱり落ち着きます。

投稿: munixyu | 2017年1月13日 (金) 09:25

まったく撮れませんか!孤篷庵の時は仕方がないか。。と思いましたが。。他の所で、撮影者の方が夢中になって足を踏み外して怪我をしたから。。なんて理由を言われて、どこにもそれなりの理由があるんだなぁ。。と思ったことがあります。
でも案内書の見取り図はグッドですね!三畳でも手前座との仕切りが結構大きくて二畳台目ぐらいの雰囲気かも。。。現在は淀看になってないということですが。。。三重塔あたりからも遠くがよく見えるので、景観としては近いですかね~。窓の位置から考えると、炉に向かう亭主の頭の上ぐらいから淀を眺めるって感じですね~

投稿: ばるさろ | 2017年1月13日 (金) 22:45

★ばるさろさん こんばんは♪
西翁院も結構危ないところがあります。両側を生垣で挟まれた道や庭の飛び石です。でも、撮影禁止の本当の理由は分かりません。
見晴らしは、淀看窓からは分かりませんが、庭の一部や書院の縁側からは(空気が澄んでいれば)アベノハルカスも見えるそうです。

投稿: りせ | 2017年1月15日 (日) 21:35

3/09(木)の拝観当日はズック靴に履き替え、案内書も配布されました。その見取り図をもとに、床の間を窮屈な姿勢で下方からのぞいた経験から判断すると、淀看の窓は金戒光明寺の本堂向きになるものと推量しました。このことは、ばるさろさんの「見晴らしは、淀看窓からは分かりませんが庭の一部や書院の一部縁側からは(空気が澄んでいれば)アベノハルカスもみえるそうです。」のコメントと符合します。また、案内書には、「露地・庭園を歩かれる際には、足元や、頭上に十分ご注意くだい際。」との警告も添えられております。事実その通りで、若い女性が勤めるガイドの足が軽やかなので、私を含めた年配の拝観者には要注意でした。案内のコースの最後には、支給されたズック靴を脱いで縁側に一旦あげられ階段を下りて自分の靴に履き替えるという手順がありました。縁側に上がったら足を踏み外さないように足元への目配りが必要です。
更に、 上のmunixyu さんの「まったく撮れませんか?」に対しては、その通りでした。しかし、ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)http://blog.goo.ne.jp/mimoron/e/e5e4bd408eabde41fd82ab4f554d5933 
では、庵の内部の様子が写真と共に詳しく公紹介されている記事が目にとまりました。「頭隠して尻隠さず」とはこのことかな?
という思いに駆られました。

投稿: tsujiyoshi | 2017年3月12日 (日) 20:31

★tsujiyoshiさん こんにちは♪
詳しいコメントありがとうございました。写真を撮れないとその場で説明をされてもすぐに忘れてしまいます。説明していただき助かります。15年以上京都で写真を撮っていると、最近急に撮影禁止の場所が増えてきたことが分かります。いずれもカメラマンのマナーが悪いからだと思います。私も気を付けなければいけませんが、これ以上撮影禁止が増えないことを願っています。、

投稿: りせ | 2017年3月13日 (月) 13:48

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 粟田神社 出世えびす祭 | トップページ | 積翠園とフォーシーズンズホテル京都 »