2016 紅葉1

2016年11月17日 (木)

永観堂 紅葉の境内

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の永観堂のお堂を出て境内を巡ります。

下は釈迦堂南庭にある勅使門、このあたりの塀には格式が最上位であることを示す5本の筋が入っています。

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最初に本堂まで続く南北の通りを歩きます。右手は一段低くなっていて、放生池を中心とした庭園になっています。

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すぐに、左手に多宝塔への道があります。

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昨日の回廊の下をくぐり、山の斜面の急な石段を上ります。

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石段の途中で開山堂の横を通ります。ここはちょっとした見晴らし台になっていますが、休まずにさらに上ります。

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多宝塔の前まで来ました。多宝塔(祖廟)は、昭和初期(1928年)に建立された上部が円形の二重塔です。近すぎて写真が撮れないので、下から見たTOPの写真を見てください。ここから西の眺望が開け、市内中央部から西山まで見渡せます。

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北の方には吉田山があり、金戒光明寺の文殊塔(三重塔)が見えます。

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西の方には、このあたりでは一番高い「京都ホテルオークラ」、その手前に京都市美術館があります。平安神宮の大鳥居もちょっとだけ見えます。

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南の方には蹴上の「ウェスティン都ホテル京都」。

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正面の手前は放生池の周囲の庭園。

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もう一度南北の道に戻り、御影堂の前を通ります。

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さらに先に行くと、阿弥陀堂(本堂)への石段があります。

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お堂の中の拝観順路では、ここから境内に出るようになっています。

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この道の一番端(東)には滝があり、その前に「獅子門歴代句碑」があります。獅子門とは各務支考(かがみしこう)が率いた俳諧の一派・美濃派のことです。芭蕉の弟子であった彼は、芭蕉の没後その俳諧を広めることに努め、各地に多くの門人を輩出しました。

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南北の道の突き当りには「永観堂幼稚園」があります。

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ここから南北の道を引き返し、御影堂の前から放生池にかかる極楽橋を渡ります。このあたりが一番混雑していました。

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橋の上から放生池の北、中の島があります。

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極楽橋を渡って振り返ると、多宝塔が見えます。橋の向こうは御影堂の屋根です。

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「画仙堂」 日本画家・鈴木松僊の発願により1914年に建立され、松僊の「天龍」や長谷川等伯の「波濤図」(重文)などが納められました、後に波濤図は京都国立博物館に寄託されたそうです。 多宝塔から見えた四角い屋根はこの建物でした。

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放生池の西には茶店の席がでていたので、ちょっと一休みしました。

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池の中央の弁天島に「錦雲橋」がかかっています。「弁天社」は江戸時代の歌人・尼僧の大田垣蓮月(1791-1875)の寄進で1866年に建立されました。


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お茶席の北に池から流れ出る小川の橋があって、ここから池の向こうに多宝塔が見えます。

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1900年11月に与謝野晶子、鉄幹、その弟子の山川登美子の三人が永観堂を訪れました。そのときの与謝野晶子の歌碑 「秋を三人椎の実投げし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき」

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2016年11月16日 (水)

永観堂 紅葉の諸堂を巡る

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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昨日の天気予報によれば午後から天気が回復するとのことで、永観堂に行ってきました。

総門附近は大変な人で、中で写真が撮れるかちょっと心配になりました。

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「永観堂」は、正式名称を禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山です。

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平安時代(853年)に空海の弟子・真紹(しんじょう)が藤原関雄(せきお)の東山山荘を譲り受け、尊像を安置して真言宗の道場としたのが始まりとされます。(境内のモミジはかなり色づいていました。)

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平安時代の承暦年間(1077-81)に第7世として永観(ようかん)が入寺し、浄土念仏道場としました。(向こうは拝観受付がある中門。)

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鎌倉時代中期の1253年、浄土宗西山派開祖・證空(しょうくう)の弟子・17世浄音が入寺して、浄土宗西山禅林寺派の本山となり、現在に至っています。

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向こうの左側にある「大玄関」からお堂に上がります。意外にもこのあたりはあまり人がいなくて、お堂の中に入る方は少ないようです。

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大玄関の正面にある庭園、緑、黄色、赤といろんな段階のモミジがあって、いろどりが美しいと思いました。

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「瑞紫殿」からも上の庭が見えます。応仁の乱で永観堂も伽藍の大半が焼失してしまいました。ところが、かつては伝法堂と呼ばれたこの建物に安置されていた阿弥陀如来坐像だけは右手が焦げただけで、焼け残ったそうです。

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この像は寺伝によると、弘法大師が火除けの願を掛けて彫刻したとされ、今でもこの阿弥陀如来坐像は火除けの信仰を集めてるそうです。

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「方丈(釈迦堂)の前庭」 方丈は本堂に次いで古いとされる建物で、釈迦三尊像を安置したところから、釈迦堂とも呼ばれます。中央の勅使門は江戸時代後期の1830年に建立され、四脚の唐門で、京都府指定文化財です。

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ところで、真言密教、浄土教、浄土宗と宗派を変えてきた禅林寺が、なぜ永観堂と呼ばれているのでしょうか?

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第7世・永観(1033-1111)は、禅林寺境内に「薬王院」という施療院を建て、窮乏の人達の救済活動を行いました。 (外縁を回ると、釈迦堂の東庭があります。)

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永観は山内に梅林を育てて「悲田梅(ひでんばい)」と名づけ、窮乏の人達の薬食の一助にと果実を施しました。釈迦堂の隅(下の写真の右)にある「悲田の梅」はその名残りだそうです。

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また、病人の浴室として、「温室(うんしつ)」を設け、薬王院に阿弥陀像を安置して末期の人々を見送りました。(山の斜面にある主要な建物はすべて回廊で結ばれています。)

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正面に水琴窟がる三叉路で、左は開山堂への急な階段があります。最初に右の回廊に行きます。

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永観は、東大寺に学び幼少より秀才と認められ、三論宗の学匠として名声を得て将来を嘱望されましたが、禅林寺に隠遁する道を選びました。

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18歳から日課として一万遍の念仏を称え、後には六万遍もの念仏を称えたとされ、自ら「念仏宗永観」と名のったそうです。衰微していた禅林寺は再び興隆し、永観堂と呼ばれるようになりました。(後で行く開山堂と多宝塔が同時に見える場所があります。)

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「御影堂(大殿)」は近代(1912年)に建立されたものです。宗祖・法然と唐代浄土宗大成者の善導大師立像を祀っています。

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さらに上に上ると阿「弥陀堂」(本堂)があります。江戸時代初めの1607年に豊臣秀頼が大坂の四天王寺の曼荼羅堂を移築したもので、京都府指定文化財です。

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本尊の「阿弥陀如来立像」(重文)が祀られています。「見返り阿弥陀」とも呼ばれ、鎌倉時代初期の作といわれています。脇壇には、十一面観音菩薩像、地蔵菩薩像、永観律師像を安置しています。

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もう一度回廊の三叉路に戻り、開山堂に上ります。

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「臥龍廊」 室町時代の1504年に造られたらせん階段で、かなり急です。

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臥龍廊を上り、崖の斜面につけられた廊下を渡ると開山堂があります。このような急斜面の岩崖に生えるモミジは「岩垣もみじ」と呼ばれています。

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回廊で行ける一番高い場所にあり、市内まで見通せます。明日はもっと高いところにある多宝塔に上りますので、市内の眺望はそのときに。

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前述の藤原関雄は、高級官僚でしたが文人でもあり、病気で退官して山荘に隠棲したときの暮らしを、古今集に「おく山の 岩がき紅葉ちりぬべし 照る日の光 見る時なくて」と詠んでいます。

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2016年11月15日 (火)

紅葉2016 圓光寺

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市内でも北の方は紅葉が進んでいるかも知れないと、圓光寺を訪れました。「圓光寺」は山号を瑞厳山という臨済宗南禅寺派の禅寺です。

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関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長6年(1601)に臨済宗の僧・三要元佶(さんようげんきつ)を招いて伏見に学問所「伏見学校」を開いたのが始まりです。 このとき、家康は多数の書籍や木活字十万を寄贈して元佶に管理させました。

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伏見学校には僧俗問わず門戸が開かれ、儒学者の藤原惺窩(せいか)、朱子学の林羅山らも講義を行いました。その一角では、家康から贈られた木活字版(圓光寺活字)により多数の書籍が印刷・出版され、圓光寺版といわれました。

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後に、伏見学校は元佶を開基として寺に改められ、圓光寺と称しました。元佶は閑室(かんしつ)元佶とも呼ばれ、江戸幕府では以心崇伝らとともに家康のブレーンとして寺社奉行などを務めました。 「奔龍庭」は新しい未完の庭で、奥の建物は宝物館の「瑞雲閣」。

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後に圓光寺は相国寺の境内に移りましたが、元和年間(1615-1623)に焼失し、1623年に大名・細川忠利が再建しました。、

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1667年に沢雲住持の時、幕命によって現在地の修学院村に移転し、「洛陽学校」と呼ばれました。いつも季節の草花が飾られている水琴窟。

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「本堂」には本尊の千手観世音坐像を祀っています。ここから入り、右の方丈に行きます。

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方丈から見えるのは「十牛之庭」 仏道入門から悟りに至る十の道程を牛と牧童で表した「十牛図」を題材にした枯山水庭園です。

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牧童が逃げた牛を懸命に探し求めるさまを、悟りを求める修行とみなします。やっと牛を捕まえ家に連れて帰り、悟りを得たかに思います。しかしながら、真の悟りは形にとらわれないあるがままの自然世界にあり、最終的には人々を救い導くことだと教えているそうです。

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庭の東(左)に巨石の「臥牛石」が置かれ、そこから大小十の伏せ石が牛にたとえられて配置されています。下の童子像は臥牛石よりさらに東の方丈からは見えない場所にあります。

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庭に降ります。向こうに「座禅堂」が見えます。

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明治維新後の廃仏毀釈で、圓光寺は荒廃して無住の寺となってしまいました。

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明治39年(1906)尼僧の南嶺尼(なんれいに)が廃寺寸前の寺を整備して12代住持となり、以後全国で唯一の尼僧専門道場となりました。

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振りかえって、「瑞雲閣」には応挙の竹林図屏風や出版に使用された木活字なとの重要文化財が展示してあります。

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この池は瓢箪形をしていて「栖龍池(せいりゅうち)」と呼ばれ、周囲の「昇龍の庭」は洛北で最も古いものだそうです。順路は少し上ります。

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竹林を通って

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「鐘楼」 庭の東の少し高いところにあります。

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座禅堂の「蟠龍(ばんりゅう)窟」 蟠龍とは、地面にうずくまってとぐろを巻き、まだ天に昇らない龍のことだそうです。

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見晴らし台に上ります。途中の高台は墓地になっていて、「村山たか女」や広島の原爆で亡くなったマレーシア人留学生・「サイド・オマール」君の墓があります。

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見晴らし台の後には「東照大権現」があり、家康が祀られています。

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帰りは竹林の中を通ります。

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栖龍池の南を通ります。

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現在の圓光寺は尼寺ではないそうですが、南禅寺の研修道場としての歴史が引き継がれています。

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毎日曜日、午前6時~8時に蟠龍窟で「暁天座禅会」が開かれています。 内容は、座禅、作務(お庭の掃除)、法話、粥坐(お粥に、たくあんと梅干しだけの質素な朝食) だそうです。

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2016年11月14日 (月)

秋の琵琶湖疏水を遡る 南禅寺船溜へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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春は桜のトンネルを十石船が行きかう琵琶湖疏水ですが、その桜が紅葉して今が見頃です。昨日は琵琶湖疏水を鴨川から遡り、冷泉橋まできました。今日はその後半です。

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このあたりの疏水の向こう側は、かっての京都会館、現在の「ロームシアター京都」です。

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二条通まで来て、ちょっと寄り道をします。

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「ロームシアター京都」 命名権の対価を利用して京都会館の改修を行い、今年1月にオープンしました。

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「みやこめっせ20周年記念トワイライト・ステージ」をしていました。

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今年の7月に岡崎の史跡を3回に分けて紹介しました。平安時代、天皇の勅願時として岡崎に「勝」の字がついた六つの大寺「六勝寺」が建てられ、院政の舞台となりました。ここは最後に近衛天皇が建てた「延勝寺」の跡地です。

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二条橋から南の方

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鴨、川鵜、アオサギが並んでいます。

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ここにも「延勝寺跡」の石標があります。その敷地はこの疏水より西にも広がっていたそうです。

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琵琶湖疏水はここで、東西から南北に向きを変えます。

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東の方に神宮道の赤い橋が見えます。疏水に北(左)にはかって、六勝寺のうちの延勝寺、成勝寺、円勝寺、法勝寺が並んでいました。

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右の通りは「仁王門通」 この名は、西の「頂妙寺」の仁王門があったことに由来するといわれています。

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神宮道の手前に白川の取水口があります(右下)。琵琶湖疏水は白川と交差するように彫られました。そこで、いったん白川を疏水に合流させて、ここで疏水から水を取り入れて白川の下流に流します。

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こちらが白川の下流、ここにの桜並木も紅葉しています。

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神宮道を横切ります。

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橋の上から東

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「京都市美術館」 こちらも命名権の対価を利用して大規模な改修工事をおこない、2019年から「京都市京セラ美術館」となる予定です。これは本当のモミジです。

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だだし、命名権の売却は歴史ある美術館にふさわしくないとして、美術関係者や市民、議会などから批判がありました。この疏水沿いの道は「六勝寺のこみち」というそうです。

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岡崎道を渡ります。右は京都市動物園。動物園のあたりは白河天皇が建てた六勝寺のうち最大の法勝寺の跡地です。

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橋の上から「琵琶湖疏水記念館」

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動物園の観覧車、比叡山も見えます。観覧車があった場所は、東寺の塔の1.5倍(観覧車の7倍)の高さの八角九重塔がありました。

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六勝寺は応仁の乱などの兵火で焼失し、明治の疏水建設の頃にはこのあたりは畑地になっていたそうです。それでも、疏水工事中に多数の瓦や礎石などが出土したといわれています。

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岡崎にある屋敷や寺院の庭園で、出土した六勝寺の遺物を見ることがあります。右は「無鄰菴」。

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「南禅寺舩溜」 左に白川の放水口が見えます。かって疏水が水運に利用されていたときに、ここからインクラインで高度差がある琵琶湖からの疏水に船を持ち上げました。現在は桜の頃の遊覧船「十石船」の出発点になっています。

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この噴水の水は、ポンプjを使わずに上の疏水との高低差を利用しています。

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2016年11月13日 (日)

秋の琵琶湖疏水を遡る 鴨川合流点から冷泉橋まで

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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久しぶりに晴れ渡った昨日、秋らしい風景を求めて琵琶湖疏水沿いを歩きました。今年の桜の頃に疏水を遡りましたが、その桜が紅葉して見頃になっていました。

下は琵琶湖疏水と鴨川の合流点で、「冷泉放水口」は疏水の増水時だけ使用されます。

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疏水の水は通常ここで向きを変え、鴨川に沿って南に流れていきます(鴨川運河)。

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川端通が通る田辺橋の上から。左は白川放水路で、白川が増水時に、この水路を通って鴨川に放水されます。

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疏水沿いの小道に入ると、すぐにお地蔵さんがあります。

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「秋月橋」の上から下流の田辺橋の方向。

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上流には「夷川発電所」の放水口が見えます。右は発電しないときのバイパス用だそうです。落差は3.4m、最大出力は300kWだそうで、現在でも少ないながら安定した電力を供給しています。

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放水口の左には閘門(こうもん)という、水位が違う場所で船を上下させる装置があります。かって琵琶湖疏水が水運に使われたときの名残です。

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明治24年(1891)に蹴上発電所が送電を開始しましたが、やがて電力需要が増加したため、明治41年(1908)から:第二疏水建設jが始まり、夷川発電所と伏見発電所(墨染発電所)が大正3年(1914)に完成しました。

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かっての三条大橋の橋げたが置かれています。

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「夷川船溜」 疏水が「鴨東運河」とよばれ水運に利用されたときの船着き場です。左は琵琶湖疏水開発に尽力した京都府知事・北垣国道の像です。

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その後、スイミングクラブであす「京都踏水会」の水泳場として使用され、現在では遊覧船「十石船」の折り返し地点となっています。

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ここは鴨たちのたまり場にもなっています。

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平安時代後期の1095年頃、白河上皇はこの付近に白河南殿を造営して、院御所として幼帝を補佐し、院政の舞台となりました。現在遺構は残っていないそうです。

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この東にある「熊野橋」は来年3月まで補修工事中です。

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東大路通の橋の上から東

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平安時代末期の1133年に平清盛の父・忠盛が鳥羽天皇のために寄進したのが得長寿院です。忠盛は得長寿院に三十三間堂を建て千一躰仏を奉納したそうです。このことで但馬国の国守に任じられ、殿上人となり昇殿を許されました。

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このあたりの桜は落葉しかかっています。

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琵琶湖疏水はここで向きを変えます。

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武道センターの前から今まで歩いてきた方向、向こうに愛宕山が見えます。

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冷泉通は疏水の南に沿って川端通からここまで来て、ここから東の若王子町まで延びます。この先に平安神宮の応天門があります。

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鴨川の西に家具屋さんが多い夷川通がありますが、飽和10年までは橋がありこちらまで通りが伸びていたそうです。その通りは平安京の「冷泉小路」にあたります。(「冷泉橋」の上から南の方。)

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その後、鴨川東の夷川通はなくなりましたが、地名だけが残されています。最初に見た夷川発電所や夷川船溜の名前もかっての夷川通の名残だそうです。また、この冷泉通は明治になtって古い名を復活させた通りです。

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2016年11月12日 (土)

紅葉2016 神護寺の諸堂を訪ねて

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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神護寺の楼門をくぐり、諸堂を訪ねて歩きます。昨日の記事で紹介したように、この地には和気清麻呂が建立した和気氏の氏寺・高雄山寺があり、その後14年間に渡り弘法大師・空海が住持を務めました。

楼門の右手に建物が並んでいます。そのうち、昨日は鐘楼だけを紹介しましたが、その前に書院があります。書院には石庭「灌頂の庭」や茶室「了々軒」があり、5月初めに「宝物虫払い行事」として 国宝・源頼朝像、平重盛像、釈迦如来像などが展示されます。

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「宝蔵」

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「和気清麻呂公霊廟」 昭和9年(1934)に建立、檜皮葺で向拝付零廟。大壇越の京都の実業家・山口玄洞が寄進して、安井猶次郎が設計。この先に鐘楼があります。壇越とは寺や僧侶に布施をする信者のことで、檀家や檀那のもととなったことばです。

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「明王堂」 江戸時代の1623年、京都所司代・板倉勝重が奉行になり、細川忠興の帰依も得て再建された建物です。祀られている不動明王像が、2012年の調査で平安中期作であることが判明しました。

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「五大堂」 平安時代の天長年間(824-834)に淳和天皇の勅願により建立されたといいます。現在の建物は、江戸時代の1623年頃の再建。

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「毘沙門堂」 江戸時代の1623年頃に建立され、厨子内に毘沙門天立像(重文)を安置しています。現在の金堂が完成するまでは、本尊の薬師如来像も祀っていました。

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「大師堂」(重文)は安土・桃山時代の建立で、元の建物は空海の高雄山寺時代の住房「納涼房」だったそうです。毎年11月1日~7日の期間、板彫弘法大師が御開帳されます。

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石段の上に「金堂」があります。金堂は和気公霊廟と同じく、1934年に山口玄洞の寄進、安井猶次郎の設計です。

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金堂内陣には、8世紀末作の「薬師如来立像」(国宝)が祀られています。この仏像はかつて河内・神願寺の本尊でした。神願寺は、793年頃に和気清麻呂が道鏡事件において八幡神より信託を受けて建立したとされます。

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道鏡は天皇位を得ようして「宇佐八幡宮のご神託」により、皇位に就くようにとの託宣を受けたと述べました。ところが、勅使に遣わされた清麻呂は、道鏡の神託を虚偽として、この計画を阻止します。(石段上から、五大堂と毘沙門堂が見えます。)

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道鏡は、その報復として清麻呂と姉・広虫を流刑にしましたが、770年に称徳天皇が亡くなり、今度は道鏡が失脚して下野に追放されました。清麻呂は、真のご神願を果たすために寺を建立して八幡神を祀ったとされます。(金堂の右手)

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金堂の左から斜面を上ると「多宝塔」があります。内陣には平安時代前期作の「五大虚空菩薩坐像」(国宝)が安置されています。こちらは、10月の連休に御開帳されます。

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地蔵院・かわらけ投げへ行く途中にある「閼伽井(あかい)」 平安時代の812年、空海が金剛界、胎蔵界両部の伝法灌頂を行った際に掘り、浄水を儀式に用いたといわれ、今も水が湧いています。

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左は俳人・能村登四郎(1911-2001)の句「初紅葉せる羞ひを杉囲み」 能村は水原秋桜子に師事して、「馬酔木(あしび)」の同人、「沖」の主宰でした。

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「地蔵院」 明治33年(1900)に再建された塔頭で、地蔵菩薩(世継地蔵)を祀ります。江戸時代には、この付近にも神護寺の堂宇があったといいます。

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「かわらけ投げ」 厄除け祈願の「かわらけ投げ」は神護寺が発祥地といわれています。かわらけは、素焼きの皿で、中央に厄除と刻印されています。

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下には清滝川が流れ、このあたりの高雄から鳴滝までの谷は錦雲渓と呼ばれています。

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夕日に照らされて *記事の最後にある「お願い」をよろしく。

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五大堂の横を通れば楼門が正面に見えます。

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帰りは楼門の右手にある車道を下りました。意外と快適で、途中で高雄茶屋の横を通ります。

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2016年11月11日 (金)

紅葉2016 神護寺・楼門へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

槙ノ尾の西明寺を出て、清滝川沿いに神護寺の方に向かいました。

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11月27日(日)まで、清滝川沿い、西明寺付近、神護寺参道は地元の高雄小学校の児童たちが頑張って描いた絵の灯籠が光輝き、幻想的な道になります。(17時~20時)

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少し注意が必要なことは、ライトアップの期間で夜間特別拝観をしているのは神護寺だけです。それも11月5日(土)~20日(日)の期間なので、11月21日(月)~27日(日)は神護寺には入れません。(このあたりは紅葉が進んでいます。)

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高雄の川沿いには旅館や座敷が並んでいます。

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「高雄橋」 かっては神護寺の橋だったそうで、たもとに「女人禁制」の石標があります。現在の橋は1982年にかけられました。

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橋の上から、川の中に床があるのにはびっくりしました。

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橋を渡ると神護寺の参道入口があります。ここから上りが続きますが、我慢してゆっくりと歩きます。

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最初の曲がり角にある「高雄茶屋」 参道は右に曲がります。

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こちらも高雄茶屋、高雄名物がすべてセットされた「もみじセット」が人気だそうです。他に、もみじ餅付お抹茶があり、お餅や麺類などはすべて自家製とか。

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少し緩やかですが長い坂道が続きます。

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こちらも高雄茶屋です。

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もう一つの曲がり角にある「硯石亭」 春は新緑、秋は紅葉の景色を見ながら、軽食・麺類・湯豆腐・鍋物などを頂けます。

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「硯石」 この石には逸話があります。平安時代、嵯峨天皇の命により、金剛定寺の額を空海に書いてもらうために神護寺に勅使が遣わされました。ところが、前日の大雨により清滝川が増水し、勅使と空海は互いに対岸に渡れませんでした。

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そこで空海はこの石を硯として使い、対岸に額を立てさせ筆を投げたところ、筆は自ら「金剛定寺」の文字を書いたといわれています。勅使が立ったという清滝川の対岸には「額立石」が置かれているそうです。ここから対岸の周山街道が見えます。

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「神護寺」は、山号を高雄山、正式名所を神護国祚真言寺(そしんごんじ)といわれる高野山真言宗遺跡(ゆいせき)の別格本山です。’このあたりから神護寺の楼門が見えてきます。)

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この地には、奈良時代に和気清麻呂が建立した和気氏の氏寺の高雄山寺(高雄寺)があったといわれています。

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平安時代初めの802年、桓武天皇の命により、和気広世、真綱兄弟は、父・清麻呂、伯母・広虫の三周忌法要に、天台宗開祖・最澄を高雄山寺に招きました。(下に硯石亭が見えます。このあたりは、もう少しすると鮮やかな紅葉になります。)

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最澄は5か月にわたり「天台三大部」(高雄講経)を講じ、高雄山寺で広世に潅頂法(仏位授与の儀式)を行いました。

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809年に唐から帰国した空海(弘法大師)は、太政官符により入寺し住持になしました。太政官符とは、太政官からその部下に下す公文書のことです。

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空海は鎮護国家の修法(すほう)を行い、14年間にわたり住持を務めました。修法とは加持祈祷の法のことです。(楼門の横にある本坊)

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「楼門」(山門)は、江戸時代の1629年頃に建立され、三間一戸。

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楼門を入った右手に「鐘楼」があります。江戸時代の元和年間((1615-1623)に京都所司代・板倉勝重の寄進により建立され、袴腰を持っています。石段途中から左に行くと「和気清麻呂公霊廟」があります。

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梵鐘(国宝)は平安時代の875年の作で、詩・橘広相、銘・菅原是善、書・藤原敏行による「三絶の鐘」ともいわれています。この後は明日に続きます。

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2016年11月10日 (木)

紅葉2016 西明寺

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事で指月橋まで来て、今日は西明寺を訪れます。紅葉の時期の拝観は有料となり、橋を渡ったところに受付があります。

表門(山門)まで急な石段が続きますがそれほど時間はかかりません。

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「西明寺」は、山号尾を槙尾(まきの)山、院号を平等心王院(しんのういん)という、真言宗大覚寺派の準別格本山です。(「大界外相(だいかいげそう)」とは、俗世間と聖域の境界(結界)のことです。ここから最後の登りです。)

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平安時代前期の天長年間(824-834)、空海の弟子で甥の智泉大徳(789-825)が開創した神護寺の別院が始まりといわれています。

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「表門」(京都市指定有形文化財)は、江戸時代の元禄13年(1700)に建立された一間薬医門です。

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その後荒廃しましたが、鎌倉時代中期の建治年間(1275-1278)、和泉国槙尾山寺の我宝自性上人が中興し、出家者の律院としました。律院とは戒律を厳守する寺、修行道場のことだそうです。(「本堂」も表門と同年に建立され、京都市指定有形文化財。)

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本尊の釈迦如来像(重文)は、鎌倉時代の仏師・運慶が清凉寺の釈迦如来像を模して作ったといわれています。脇侍に十一面千手観世音菩薩像(重文)、脇陣に愛染明王像が祀られています。

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1288年には後宇多天皇から平等心王院の院号を賜り、1290年に神護寺から独立しました。

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室町時代の永禄年間(1558-1570)、兵火により焼失し、その後再び神護寺に合併されました。(本堂の裏の谷には修行の滝があります。)

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安土・桃山時代の1602年、明忍律師(1576-1610)により再興され、真言律宗の本寺(本山)となりました。(本堂から客殿への渡り廊下から。)

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江戸時代の1700年、第5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院(1627-1705)の帰依により再建されたといわれますが、後水尾天皇中宮・東福門院(1607-1678)の寄進という説もあります。(渡り廊下の反対側には小さな池があります。)

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「客殿」では山本道彦氏の写真展をしていました。

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客殿は本堂より古く、江戸時代前期に移築されました。当時は食堂と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用されたそうです。

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明治初年(1868)の神仏分離令後の廃仏毀釈により、明忍の開創した戒律道場は廃止されました。

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客殿ではお茶とお菓子を頂けるようです。「八重」は焼菓子で、上品な甘みのこしあんを、もちもちした食感の生地で包んで、焼き上げたそうです。

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大正期に西明寺が属していた古義真言宗(従来の真言宗)は、戦時中に政府の宗教政策により新義真言宗(興教大師らが高野山で開いた真言宗の宗派)と合同して大真言宗となりました。境内に降ります。

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「聖天(しょうでん)堂」 祀られている大聖歓喜天は、仏法を守護し、 仏道を行ずる人々を守護する神様で、夫婦和合の神でもあります。

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中央の背が高い木は槇(高野槇)で、樹齢700年の日本最古とされます。鎌倉時代の中興の祖・自性上人の手植えともいわれています。

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自性上人の歌碑、「白露のおのが姿をそのままに紅葉におけば紅の玉」

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戦後の1949年に大真言宗が解消され真言宗大覚寺派が独立したのにともない、西明寺は準別格本山として真言宗大覚寺派に属するようになりました。(鐘は一撞き100円だそうで、澄んだ音が谷に響き渡っていました。右の道を奥に行きます。)

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寺務所、さらに奥には神護寺方面からの入り口があります。

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客殿と社務所の間に庭園があり、「阿育王石柱」が建っています。石像彫刻家で特に狛犬(獅子像)彫刻を芸術にまで高めた名工と言われる小松寅吉の作品だそうです。

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小松寅吉最後の作品とされるこの像の行方が、小松家の方や研究者、愛好家の方たちに分からないままだったそうです。私のブログの写真からこの像が見つかり、お役に立って喜んだことがありました。表門の方に戻ります。

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面白い配置の石灯籠。この後、清滝川に沿って神護寺に向かいます。

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2016年11月 9日 (水)

紅葉2016 栂ノ尾から槙ノ尾へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は昨日の栂ノ尾の高山寺から南に、西明寺のある槙ノ尾まで行きます。紅葉の色付き具合は3-5分くらいでしょうか。(撮影:7日)

清滝川に架かる「白雲橋」の上から、かなり良い色になっています。

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「高雄 錦水亭」 川床がある料理旅館で、松花堂弁当、湯豆腐、会席、ぼたん鍋などいろいろなメニューがあります。実際には、栂ノ尾と槙ノ尾の間にあります。

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街道に面した神社、しっかりした石垣の上にあります。

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名前も由緒も分かりませんが、このあたりの鎮守のようでよく手入れされていました。

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神社の隣にある「瓦そば 松右衛門」 名物の「瓦そば」は、熱々の瓦の上で、牛肉・錦糸卵・九条ネギなどの薬味で盛り付けたられた茶そばを、独自製法の熱々のつゆにつけて食べるのだそうです。

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槙ノ尾のバス停前にある「よしでん」、めん類、丼物、定食、ぜんざい、あまざけ、おでんなどのお食事処です。ここで周山街道から分かれて右の道を行きます。

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道は清滝川の方に下って行きます。

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「指月亭」 お食事処で、右に売店、左にテーブル席があり、奥にはお座敷がいくつも並んでいます。

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春は新緑のもみじと山つつじが綺麗で、夏は河鹿が鳴き、ホタルの飛び交います。この頃は清滝川の流れのそばで、焼きたての若鮎がついた山里料理がいただけます。(指月亭の座敷から、テーブルに紅葉が映って・・・)

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秋の紅葉は11月中旬頃が見ごろで、肌寒くなった秋にはすき焼きや湯どうふ定食が好評だとか。

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冬は予約のみになりますが、ぼたん鍋もあるそうです。

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この日は鮎の甘露煮がついた「山里定食」をいただきました。

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食事の後、お座敷を出て指月亭の奥の方に向かいました。途中から西明寺に通じる赤い指月橋が見えます。

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石段を降りて清滝川の河原に向かいます。ここも指月亭の敷地のようです。

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奥のお座敷は崖の上に建っています。

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逆光ですが、石段の途中で橋が正面に見える場所です。

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このあたりの清滝川は岩が多く、急流です。

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西明寺、神護寺の紅葉の見頃は11月10日前後、高山寺は日当たりが悪いためか11月中頃が見頃になっています。 (指月橋を清滝川の河原から見上げて)

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指月亭を後に、西明寺へ続く「指月橋」まで来ました。

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2016年11月 8日 (火)

栂尾 高山寺 2016紅葉の始まり

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京都の紅葉は三尾(栂尾、槙尾、高雄・高尾)から始まります、、、今日は一番北の栂尾の高山寺、鳥獣戯画のお寺として有名です。

京都市内はまだ紅葉のシーズとはいえませんが、三尾方面は比較的紅葉が進んでいそう、で昨日出かけてきました。

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「高山寺」は山号を栂尾山(とがのおさん)という、真言宗の単立寺院です。(バス停のそばに裏参道の入り口がありますが、周山街道を少し南に行った表参道に回ります。)

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高山寺の歴史は古く、奈良時代後期の774年、光仁天皇の勅願により、慶俊らを開創として創建されました。当初は、神願寺都賀尾(じんがんじとがのお)坊と称しました。(清滝川沿いは紅葉がかなり色づいていました。)

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平安時代初期には天台宗の寺でしたが、その後衰退しました。平安時代後期に、度賀尾寺は文覚(もんがく)により復興され、神護寺別院となりました。

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鎌倉時代初めの1206年、明恵上人が後鳥羽上皇の帰依を得て院宣を賜り、神護寺別院を贈られました。上人は華厳宗の根本道場として再興し、寺名を高山寺と改めました。

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表参道の入り口、左は「栂ノ尾山 高山寺」右は「仏足石参道」とあります。

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近衛家、鷹司、西園寺家などの公家の帰依も受けて、明恵上人は堂宇を復興していきました。杉木立の中をまっすぐ行くと、金堂への石段があります。

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1219年に金堂が建立されて釈迦如来が安置されました。現在の金堂は江戸時代の1634年に仁和寺古御所の御堂を移築したもので、本尊の釈迦如来坐像(室町時代作)を安置しています。

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「春日明神社」 明恵が春日大社から勧請したといい、当時の藤原氏の家督を継いだ者は最初に参詣する習わしがあったそうです。

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このあたりにはモミジがありますが、なかなか紅葉しません。

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1216年に石水院が建立されましたが、1228年に洪水により流出して、禅堂院に移されました。金堂より一段高い場所に石水院が最初に建立された跡地があります。

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「仏足石」 明恵上人の遺跡の一つで、江戸時代の文政年間(1818-1830)に復元されたものです。

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1232年に明恵は禅堂院で亡くなり、御廟の地に葬られました。明恵上人の御廟の中には、五輪塔が立てられています。

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「日本最古之茶園」 明恵は建仁寺に栄西禅師を訪ねたとき、栄西が宋から持ち帰った茶の種3粒をもらい、境内のこの地に植え、栂尾茶として栽培したといいます。傾斜地で畑地が狭いという難点があり、後に宇治に移植されました。

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この茶園は宇治の茶業協会の篤志家により管理されているそうです。、

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「開山堂」 明恵が晩年を過ごし終焉の地になり、もとは禅河庵(禅堂院)といわれ、明恵没後に御影堂、その後、開山堂と呼ばれました。

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室町時代の兵火で焼失し、江戸時代の享保年間(1716-1736)に再建されました。

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「聖観音像」 彫刻家の赤堀信平(1899-1992)の作品です。

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参道の横の石垣の苔には長い年月を感じます。

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「石水院」の山門

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撮影禁止のビラ貼ってありますが、伺うと個人の撮影はOKということ。(善哉童子像の写真は多くのブログで見かけます)

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「善哉童子像」 西村虚空作の一木造で、童子はインドの長者の子に生まれ、仏教に目覚め文殊菩薩の勧めにより、53人のさまざまな人々を訪ね教えを請いました。修行を積んで最後に普賢菩薩の所で悟りを開いたといわれています。

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扁額の「石水院」は、文儒学者の富岡鉄斎(1837-1924)の最晩年の書だそうです。

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石水院は「鳥獣人物戯画4巻(甲巻、乙巻、丙巻、丁巻)」(国宝)を所蔵していることで知られていますが、現在、乙・丙巻は京都国立博物館、甲・丁巻は東京国立博物館に寄託されていて現物はありません。

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2009年からの鳥獣人物戯画の修復作業で、紙のすき方現在の絵の順番が当初と異なっていることが分かったそうです。失われている絵もある上で再編集したと思われるので、現在の順番を治すことはしないそうです。(このあたりは紅葉が進んでいました。)

ここが紅葉のトンネルになれば・・・いつも早く来すぎて見そこなっています。

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2016 京都の紅葉、明日は槙ノ尾に続きます。

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など □7 【紅葉】 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 □7' 【紅葉 2 】 三尾(高雄 槙尾 栂尾) □7' 【紅葉】 三尾(高雄 槙尾 栂尾) □8 【紅葉】 伏見 宇治 □8' 【紅葉】 鷹ヶ峰 上賀茂 北区 上京区 □9 【紅葉】 大原 古知谷 八瀬 □9'【雪の日】 洛北 洛東 □9'【雪の日】 洛西 □ 【紅葉】 市中 下鴨神社 □ 桜 2 右京 西陣 嵐山 西山 □ 桜 2 哲学の道 洛北 □2【雪の日】 洛北 洛東 □2【雪の日】 洛西 嵯峨野 美山 □3【雪の日】 洛北 洛東 □3【雪の日】 洛西 嵯峨野 美山 □4【雪の日】 洛北 洛東 □5【雪の日】 洛北 洛東 ○ 1 京都御苑とその界隈 Imperial Palace ○ 2 仙洞御所 (特別参観) ○ 3 桂離宮 (特別参観) ○ 1 京都御所(特別参観)Imperial Palace ○ 1 桂離宮 Katsura Imperial Villa ○ 2 南禅寺・塔頭・水路閣 ○ 2 天龍寺 塔頭 ○ 2 建仁寺 塔頭 ○ 2 東福寺 塔頭 ○ 3 御所(御苑) 界隈 Imperial Palace ○ 3 東福寺 塔頭 ○ 4 東福寺・塔頭 ○ 5 東福寺 塔頭 ○0 京都五山 別格 南禅寺・ 塔頭 水路閣 ○1 京都五山 第一位 天龍寺・ 塔頭 ○2 京都五山 第二位 相国寺 ○3 京都五山 第三位 建仁寺 ○4 京都五山 第四位 東福寺・ 塔頭 ○5 京都五山 第五位 万寿寺 ○1 修学院離宮 ○2 修学院離宮 ● 1 法然院の四季 ● 2’ 下鴨神社の四季 ● 2 上賀茂神社 社家 深泥池 ● 2 泉涌寺と界隈 ● 2 法然院の四季 ● 2 清水寺の四季 Kiyomizu Temple ● 2 真如堂の四季 ● 3 泉涌寺と界隈 ● 二条城と近辺 Nijo-jo Castle ● 伏見稲荷大社 ● 北野天満宮 上七軒 ● 大徳寺・塔頭 今宮神社 ● 大覚寺 大沢の池 ● 妙心寺・ 塔頭 他 近隣 ● 御室 仁和寺 ● 智積院 ● 東寺 塔頭 界隈 ● 東本願寺 ● 泉涌寺と界隈 ● 清凉寺(嵯峨釈迦堂)と界隈 1  ● 西本願寺 ● 西本願寺 2 ● 金閣寺 Kinkakuji Temple ● 銀閣寺 Ginkakuji Temple ● 黄檗山 萬福寺 ● 龍安寺 等持院 ● 1 下鴨神社の四季 ● 2 大徳寺・塔頭 今宮神社 ● 2 大覚寺 大沢の池 ● 2 平安神宮 四季 Heian shrine ● 2 東寺 塔頭 界隈 ● 3’ 下鴨神社の四季 ● 3 上賀茂神社 社家 深泥池 ★ 2010 紅葉 1 ★ 2010 紅葉 2 ★ 2010 紅葉 3 ★ 2010 紅葉 4 ★ 2010 紅葉 5 ★ 2010 紅葉 6 ★ 2011 紅葉 1 ★ 2011 紅葉 2 ★ 2011 紅葉 3 ★ 2011 紅葉 4 ★ 2011 紅葉 5 ★ 2011 紅葉 6 ★ 2012 紅葉 1 ★ 2012 紅葉 2 ★ 2012 紅葉 3 ★ 2012 紅葉 4 ★ 2012 紅葉 5 ★ 2012 紅葉 6 ★ 2012 紅葉 7 ★ 2012 紅葉 8 ★ 嵐山・花灯路 2 ★ 2011 桜 1 ★ 2011 桜 2 ★ 2011 桜 3 ★ 2011 桜 4 ★ 2012 雪景色 1 ★ 2012 雪景色 2 ★ 京都つれづれ日記 ★ 2011 雪景色 1 ★ 2011 雪景色 2  ★ 2011 雪景色 3 ★ 2011 雪景色 4 ★ 2013 雪景色 1 ★ 2013 雪景色 2 ★イベント情報 ★ライトアップ寺院 お祭り ★東山・花灯路 2 ★東山・花灯路 3 ☆ 2012 桜 1 ☆ 2012 桜 2 ☆ 2012 桜 3 ☆ 2012 桜 4 ☆★ 2015 桜 1 ☆★ 2015 桜 2 ☆★ 2015 桜 3 ☆★ 2015 桜 4 ☆☆2015 雪景色 1 ☆☆2015 雪景色 2 ☆ 2013 桜 1 ☆ 2013 桜 2 ☆ 2013 桜 3 ☆ 2013 桜 4 ☆ 2013 秋 紅葉 1 ☆ 2013 秋 紅葉 2 ☆ 2013 秋 紅葉 3 ☆ 2013 秋 紅葉 4 ☆ 2013 秋 紅葉 5 ☆ 2014 桜 ☆ 2014 秋 紅葉 1 ☆ 2014 秋 紅葉 2 ☆ 2014 秋 紅葉 3 ☆ 2014 秋 紅葉 4 ☆ 2014 雪景色 1 ☆ 2014 雪景色 2  時代祭 1  1  広沢の池 嵯峨野・田園風景 他  1 三千院  1 京の山を歩く  1 京大・界隈  1 京懐石 普茶料理 他  1 京都の大学を訪ねて  1 京都の教会  1 京都の眺望  1 京都クイズ 壁紙・投票  1 伏見 御香宮神社  1 伏見 稲荷 藤森 鳥羽  1 写真集 話題  1 吉田山 散策  1 周山 美山 北山 京都北部  1 地蔵 鐘馗 名水 絵馬堂  1 壁紙 Wall Paper  1 大文字山 五山送り火  1 寺町通り (出町から北)  1 平等院  1 庭 夢想国師の庭  1 庭 小堀遠州の庭  1 庭 小川治兵衛の庭  1 庭 相阿弥の庭  1 庭 重森三玲の庭  1 庭 重森三玲の庭 2  1 庭 重森三玲の庭 3  1 庭園めぐり・・・洛北 Ⅰ (北部)  1 庭園めぐり・・・洛北 Ⅱ (東部)  1 庭園めぐり・・・洛西 Ⅰ (北部)  1 手づくり市  1 植物園 花だより  1 空 犬・猫・鳥 その他  1 糺の森 河合神社 流鏑馬  1 車窓から  1 近代建築を訪ねて  1 高台寺 圓徳院  2  広沢の池 嵯峨野・田園風景 他  2 ご挨拶  2 三千院  2 京の川 鴨川 桂川 高野川  2 京大・界隈  2 京都の眺望  2 京都御苑 御所 Imperial Palace  2 他府県  2 仙洞御所  2 伏見 御香宮神社  2 伏見 稲荷 藤森 鳥羽  2 伏見稲荷大社 摂社  2 会席 甘党  2 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池  2 出町 三角州 川端通り  2 北野天満宮 上七軒 平野神社 他  2 博物館~六波羅蜜寺 大和大路  2 吉田山 散策  2 周山 美山 北山 京都北部  2 地蔵 鐘馗 名水 絵馬堂など  2 大文字山 五山送り火  2 妙心寺・ 塔頭 他 近隣  2 寺町通り (出町から北)  2 平等院  2 御室 仁和寺  2 御所界隈 梨木神社 蘆山寺 他  2 智積院  2 東大路通 丸太町通 聖護院  2 東山七条 三十三間堂  2 松尾大社 梅宮神社 苔寺  2 植物園 北山  2 比叡山 延暦寺  2 清凉寺(嵯峨釈迦堂)と界隈  2 清水寺~高台寺 八坂の塔  2 滋賀県 福井県 奈良県など近県  2 知恩院と界隈  2 空 鳥 猫 犬  2 糺の森 河合神社 流鏑馬  2 西本願寺  2 蹴上から南禅寺境内 永観堂  2 蹴上まで  2 車窓から  2 近代建築  2 銀閣寺  2 青蓮院 将軍塚  2 鞍馬 貴船  2 高台寺 圓徳院  2 龍安寺 等持院  3 ねねの道 八坂神社 石塀小路  3 三条 四条 木屋町 新京極  3 京の川  3 京都駅界隈 壬生 他  3 伏見 稲荷 藤森 鳥羽  3 八幡市 加茂町 城陽 府下  3 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池  3 出町 三角州 川端通り  3 北野天満宮 上七軒 平野神社 他  3 南禅寺 塔頭 水路閣  3 博物館~六波羅蜜寺 大和大路  3 吉田山 散策  3 哲学の道 寺院  3 哲学の道 疏水沿いの道  3 大原 宝泉院 勝林院ほか  3 大徳寺 今宮神社 船岡山  3 大覚寺 大沢の池  3 天龍寺 塔頭  3 妙心寺・ 塔頭 他 近隣  3 寺町通り (出町から北)  3 岡崎公園 岡崎疏水  3 平安神宮の四季  3 建仁寺 塔頭  3 御所界隈 梨木神社 蘆山寺 他  3 智積院  3 東大路通 丸太町通 聖護院  3 東寺 塔頭 界隈  3 東山七条 三十三間堂  3 植物園 北山通り  3 比叡山 延暦寺  3 清水寺の四季  3 清水寺~高台寺 八坂の塔  3 真如堂の四季  3 空 犬 猫 鳥  3 糺の森 河合神社 流鏑馬  3 西山 大山崎 大原野  3 西陣 市中  3 西陣 白峰神宮ほか  3 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓  3 蹴上から南禅寺境内 永観堂  3 近代建築  3 青蓮院 将軍塚  3 鞍馬 貴船  3 食事 懐石 甘党  4 三条 四条 木屋町 新京極  4 上賀茂神社 深泥池 他  4 下鴨神社の四季  4 京の川   4 京都駅 界隈  4 伏見 稲荷 藤の森 鳥羽  4 八幡市 加茂町 城陽 府下  4 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池  4 北野天満宮 上七軒 平野神社 他  4 南禅寺 塔頭 水路閣  4 吉田山 散策  4 大覚寺 大沢の池  4 天龍寺と塔頭  4 妙心寺・ 塔頭 他 近隣  4 宇治  4 岡崎公園 岡崎疏水  4 嵐山 渡月橋 保津川  4 嵯峨野 鳥居本  4 平安神宮の四季  4 建仁寺 塔頭  4 御所(御苑) 界隈 Imperial Palace  4 比叡山 延暦寺  4 泉涌寺 その界隈  4 真如堂の四季  4 空 犬 猫 鳥  4 糺の森 河合神社 流鏑馬  4 西陣   4 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓  4 蹴上から南禅寺境内 永観堂  4 鞍馬 貴船  4 食事 懐石 甘党  5 下鴨神社の四季  5 京の川   5 伏見 酒蔵 濠川  5 八幡市 加茂町 城陽 府下  5 南禅寺 塔頭 水路閣  5 吉田山 散策  5 宇治  5 嵐山 渡月橋 保津川  5 嵯峨野 北嵯峨 鳥居本  5 御所(京都御苑) 四季  5 真如堂の四季  5 空 犬 猫 鳥  5 糺の森 河合神社  5 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓  5 蹴上から南禅寺境内 永観堂  5 醍醐 山科  6 下鴨神社の四季  6 京の川   6 吉田山 散策  6 嵯峨野 北嵯峨 鳥居本  6 御所(京都御苑) 四季  6 東福寺 塔頭  6 糺の森 河合神社  6 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓  6 醍醐 山科  7 下鴨神社の四季  7 京の川  8 京の川 おみくじ お守り ご挨拶 その他 一休寺 京田辺市 京都めぐり 1 京都めぐり 2 京都めぐり 3 京都めぐり 4 京都めぐり 5 雪特集 京都めぐり 6 京都めぐり 7 光明院の四季 1 (東福寺・塔頭) 光明院の四季 2 (東福寺・塔頭) 嵯峨野 竹林 1 携帯・デジカメ 松ヶ崎疏水 春秋 滋賀県 琵琶湖 福井県など近県 石峰寺 (五百羅漢・伊藤若冲) 祇園祭 2009 2010 祇園祭 2011 祇園祭 2011 2  祭 行事 ライトアップ 冬 1 祭 行事 ライトアップ 冬 2 祭 行事 ライトアップ 冬 3 祭 行事 ライトアップ 夏 1 祭 行事 ライトアップ 夏 2 祭 行事 ライトアップ 夏 3 祭 行事 ライトアップ 夏 4 祭 行事 ライトアップ 夏 5 祭 行事 ライトアップ 夏 6 祭 行事 ライトアップ 春 1 祭 行事 ライトアップ 春 2 祭 行事 ライトアップ 春 3 祭 行事 ライトアップ 春 4 祭 行事 ライトアップ 秋 1 祭 行事 ライトアップ 秋 2 祭 行事 ライトアップ 秋 3 祭 行事 ライトアップ 秋 4 祭 行事 ライトアップ 秋 5 花の京都 初夏 1 花の京都 初夏 2 花の京都 初夏 3 花の京都 初夏 4 花の京都 初夏 5 花の京都 初夏 6 花の京都 初夏 7 花の京都 夏 1 花の京都 夏 2 花の京都 夏 3 花の京都 夏 4 花の京都 夏 5 花の京都 新緑 青もみじ 1 花の京都 新緑 青もみじ 2 花の京都 春 1 花の京都 春 2 花の京都 春 3 花の京都 春 4 花の京都 春 5 花の京都 春 6 花の京都 秋 1 花の京都 秋 2 花の京都 秋 3 著作権 葵祭 1 葵祭 2