南禅寺 三門からの眺望
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昨日の記事の永観堂を出て、南禅寺を訪れました。こちらも紅葉が見頃でしたが、人手は永観堂ほどではありませんでした。
「南禅寺」は臨済宗南禅寺派の大本山で、正式名称を瑞龍(ずいりょう)山太平興国南禅禅寺といいます。
鎌倉時代の正応4年(1291)に、亀山法皇がこの地にあった離宮を無関普門禅師(大明国師)に下賜し、開山として迎えて開創したのが始まりです。
無関禅師は翌年に亡くなり、法皇の命により規庵祖円禅師(南院国師) が31歳の若さで南禅寺第2世の住持となり、一宇もなかった伽藍の建立・整備に半生を捧げました。(この日はさっそく三門に上りました。)
三門は1295年に上棟されたといわれています。(山門の南から上り、外縁を一周します。)
西の方は市内の広い範囲が見えます。昨日永観堂の多宝塔から見た「京都ホテルオークラ」が正面に見えます。
その後、南禅寺は五山の別格第一位となり壮大な伽藍が整備されて隆盛を極めましたが、応仁の乱で全てを消失してしまいました。(正面に勅使門があります。)
北西の方向に、吉田山の南にある金戒光明寺の山門、本堂の屋根、文殊塔(三重塔)などが見えます。
江戸時代の慶長10年(1605)に以心崇伝禅師(本光国師) が第270世住持となり、寺を復興しました。(北の方角)
南禅寺には、三門を通る中央の参道と、それに平行な北と南の参道があります。左に北の参道が見え、その左側に塔頭が並んでいます。
東の方向に法堂が見えます。南禅寺の伽藍は勅使門、三門、法堂、方丈と東西に一直線上に並んでいます。
現在の三門(重文)は、崇伝の勧めによって1628年に武将・藤堂高虎(1556-1630)が大坂夏の陣(1615)の戦没者追悼のために寄進したといわれています。
南の参道の右手にも塔頭が並んでいます。
三門の南には「天授庵」があり、紅葉があざやかな色に染まっています。
天授庵の左(東)に「正因庵」があります。
南の方向には蹴上の浄水場。
南西の方には「ウェスティン都ホテル京都」。これで一周しました。下りは北の階段から降ります。
中央の参道を法堂の方に歩きます。三門の方を振り返って。
「法堂(仏殿)」(重文) 当初の建物は1308年頃に完成し、その後焼失と再建を繰り返しました。江戸時代の1606年には豊臣秀頼が寄進しましたが、明治になって1895年に焼失しました。現在の建物は1909年の再建で、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩を祀っています。
裏に大きな銀杏の木があります。
「方丈の大玄関」 昭和45年(1970)に市電伏見線が廃止になり、その軌道敷の板石を中央に敷き、両側に樹木と景石を配置して禅庭園になっています。
庫裏には方丈庭園への拝観受付がありますが、この日は塔頭の方に向かいました。
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コメント
銀杏も黄葉してきていいねぇ
燃える赤、哀愁の黄。
今年は寒暖激しく、いい色づきになったよね。
投稿: munixyu | 2016年11月18日 (金) 14:46
三門五三桐の舞台ですね!まさに絶景かな~って感じです~。登れるとは知らなかった。この前久々に南禅寺に行ったのですが、その時は天授庵だけですぐ移動してしまいました。。。天授庵の枯山水淵黙庭は紅葉の時期はきっとキレイだろうなぁと思っていましたが、やはりいいですね!東京国立博物館の禅の展覧会にここの船子夾山問答の襖絵が来ていました。南泉斬猫もまた見たかったなぁ~。
投稿: ばるさろ | 2016年11月18日 (金) 21:56