摩利支天堂と建仁寺の塔頭
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日の記事の続きで、建仁寺境内の南西にある塔頭の禅居庵の門をくぐります。
「禅居庵」 建仁寺第23世・清拙正澄(せいせつしょうちょう、大鑑禅師ともいう)(1274-1339)が晩年退隠した塔頭で、小笠原貞宗が元弘年中に創建しました。
禅師は1326年に招請され来朝、北条高時に迎えられて鎌倉建長寺・浄智寺・円覚寺の住持を務め、1333年後醍醐天皇の招請により、建仁寺、のち南禅寺の住持となりました。
摩利支天堂は禅居庵の鎮守で、上の門をくぐり右(西)に行きます。
摩利支天堂(京都府有形文化財)には、禅居庵の開山・大鑑禅師が中国から持ち帰った摩利支天を祀ります。「摩利支」はサンスクリット語「Marici(マリーチ)」の音写で、威光、陽炎が神格化した古代インドの女神だそうです。
実態の無い陽炎は捕らえられ害されることがないので、摩利支天は絶大な神通自在の力をもち、その威光から戦国の武将たちに信仰が広まりました。

現在では三面六臂で七頭の猪に座る姿から、開運・勝利のご利益があるとされ、特に亥年生まれの人々には守り本尊として信仰されています。

摩利支天は猪を眷族(けんぞく)として従え、猪車に乗り、七頭の猪に座ることから、境内には猪の像が数多く祀られています。
堂宇は1536年の「天文法華の乱」で焼かれましたが、1547年織田信長の父・信秀が摩利支天堂を再建しました。
八坂通に面する南門は修復工事中で覆いがしてありました。下は過去の写真です。
大和大路通に面する西門
陶製の「亥おみくじ」がならんでいます。おみくじを納めるところのようです。
*記事の最後にある「お願い」をよろしく。
藤袴も咲いていました。
手水舎もイノシシがいます。向こうは授与所。
「久昌院」 慶長13年(1608)奥平信昌・松平忠明が、三江紹益を開基として創建した。慶長年中に高松軒を吸収しました。
「堆雲軒」 霊洞院の正仲が同院の隠退所として貞和2年(1346年)に創建。高山慈照を追請して開基としました。法華の乱で被災し、延宝8年(1680)に再建されました。
ここから花見小路の門に向かいます。
本坊の玄関、この日は大書院でグーグルのイベントがありました。
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コメント
ゆずりあいの道。
わざと狭い通路っていうのもいいよね。
投稿: munixyu | 2016年11月 6日 (日) 11:57