秋の琵琶湖疏水を遡る 鴨川合流点から冷泉橋まで
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
久しぶりに晴れ渡った昨日、秋らしい風景を求めて琵琶湖疏水沿いを歩きました。今年の桜の頃に疏水を遡りましたが、その桜が紅葉して見頃になっていました。
下は琵琶湖疏水と鴨川の合流点で、「冷泉放水口」は疏水の増水時だけ使用されます。

疏水の水は通常ここで向きを変え、鴨川に沿って南に流れていきます(鴨川運河)。
川端通が通る田辺橋の上から。左は白川放水路で、白川が増水時に、この水路を通って鴨川に放水されます。
「秋月橋」の上から下流の田辺橋の方向。
上流には「夷川発電所」の放水口が見えます。右は発電しないときのバイパス用だそうです。落差は3.4m、最大出力は300kWだそうで、現在でも少ないながら安定した電力を供給しています。
放水口の左には閘門(こうもん)という、水位が違う場所で船を上下させる装置があります。かって琵琶湖疏水が水運に使われたときの名残です。
明治24年(1891)に蹴上発電所が送電を開始しましたが、やがて電力需要が増加したため、明治41年(1908)から:第二疏水建設jが始まり、夷川発電所と伏見発電所(墨染発電所)が大正3年(1914)に完成しました。
かっての三条大橋の橋げたが置かれています。
「夷川船溜」 疏水が「鴨東運河」とよばれ水運に利用されたときの船着き場です。左は琵琶湖疏水開発に尽力した京都府知事・北垣国道の像です。
その後、スイミングクラブであす「京都踏水会」の水泳場として使用され、現在では遊覧船「十石船」の折り返し地点となっています。
ここは鴨たちのたまり場にもなっています。
平安時代後期の1095年頃、白河上皇はこの付近に白河南殿を造営して、院御所として幼帝を補佐し、院政の舞台となりました。現在遺構は残っていないそうです。
この東にある「熊野橋」は来年3月まで補修工事中です。
平安時代末期の1133年に平清盛の父・忠盛が鳥羽天皇のために寄進したのが得長寿院です。忠盛は得長寿院に三十三間堂を建て千一躰仏を奉納したそうです。このことで但馬国の国守に任じられ、殿上人となり昇殿を許されました。
このあたりの桜は落葉しかかっています。
武道センターの前から今まで歩いてきた方向、向こうに愛宕山が見えます。
冷泉通は疏水の南に沿って川端通からここまで来て、ここから東の若王子町まで延びます。この先に平安神宮の応天門があります。
鴨川の西に家具屋さんが多い夷川通がありますが、飽和10年までは橋がありこちらまで通りが伸びていたそうです。その通りは平安京の「冷泉小路」にあたります。(「冷泉橋」の上から南の方。)
その後、鴨川東の夷川通はなくなりましたが、地名だけが残されています。最初に見た夷川発電所や夷川船溜の名前もかっての夷川通の名残だそうです。また、この冷泉通は明治になtって古い名を復活させた通りです。

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コメント
水の澄み方が凄いね。
冷たいというか凍てつく感じ。
秋から冬への移り変わりだね。
投稿: munixyu | 2016年11月13日 (日) 10:02