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2016年10月18日 (火)

黄昏の吉田神社と吉田今宮祭

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

吉田神社の山越えの道を西に下りかかると、太鼓の音や子供たちの掛け声が聞こえてきました。お祭りをしているようで、ちょっと急がなくてはいけません。

吉田神社の「斎場所大元宮」 吉田神道の教義では宇宙の中心軸を表し、始まりの神(虚無大元尊神)を祀ります。さらに、そこから生まれた全国の八百万の神々を祀ることで、様々な御神徳を授かるとされます。

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社殿は1601年に造替され、屋根も御堂も八角、背後に六角の後房が付く珍しい建物です。背後に伊勢神宮の外宮と内宮、周囲に全国の延喜式式内社3132座を祀ります。正月3日間と節分祭、毎月1日だけ中門の中に入れます。

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さらに山越えの道を下ると、向こうに「山陰社」が見えてきました。

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吉田神社創建に貢献した藤原山蔭を祀ります。山蔭は日本で初めてあらゆる食物を調理調味づけたといわれ、古来から包丁の神、料理飲食の祖神として、料理店や飲食業界の信仰を集めています。

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鳥居の向こうは本殿のある広場、右の道を行けばお菓子の祖神を祀る「菓祖神社」があります。

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「龍澤(たつさわ)池」 吉田山はかっては神楽岡といい、平安京造営以前から雷神を祀る霊地だったそうです。ここに奈良の猿沢の池を模した池をつくったところ、どんな日照りでも水が枯れず、村人たちは池の周りで雨乞いの儀式をしたと伝わっています。

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「吉田神社」は平安時代前期の859年、藤原山蔭が大和の春日社の四神を勧請して、平安京の鎮守神にしたのが始まりです。

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その後、社格が上がり南北朝時代には正一位を授けられ、鎌倉時代初期以降は吉田流卜部氏が代々社司となりました。

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室町時代中頃の1484年、吉田兼倶(かねとも)は将軍・足利義政夫人の日野富子などによる寄進をもとに、唯一神道(吉田神道)を唱え、山上に斎場所太元宮を造営しました。

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安土桃山時代から江戸時代にかけて、将軍や朝廷から厚くもてなされました。特に、神祇官八神殿が宮中から大元宮に遷されて、吉田家は全国の神職に許状を発行する立場になり、神祇官作法は大元宮で行うこととなりました。

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神祇官とは、律令制で太政官と並ぶ最高官庁で、朝廷の祭祀をつかさどり、諸国の官社を総轄しました。本宮(本殿)には、健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)を祀ります。

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明治時代になると、神祇官八神殿は東京の皇居に遷され大元宮は吉田神社の末社となりました。また、吉田神社は官幣中社に列せられましたが、特別な地位ではなくなりました。

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明治政府は、省庁としての神祇官を復活して宗教政策を推進して、国家神道の道へと進みました。(授与所と社務所)

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また、皇居に遷された神祇官八神は、後に建立された宮中三殿とよばれる三つの神社に祀られました。宮中で新嘗(にいなめ)祭を行う神嘉殿とともに宮中祭祀(皇室祭祀)が挙行され、政祭一致と天皇の神格化が進みました。

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話は変わりますが、吉田山の西に活断層の花折断層が走っています。断層が繰り返し水平ずれを起こし、地面が隆起したのが吉田山だそうです。この坂は花折断層の跡というわけです。

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気になっていたお祭りは、吉田神社の末社・今宮社の秋祭でした。毎年10月の第2日曜日に神幸祭が行われ、この日はその前日祭でした。

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「今宮社」は吉田神社の参道石段の横にあり、吉田地域の産土神(うぶすながみ)として、この地域と、地域に生まれた人々を守るとされています。

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大己貴神(おおなむちのかみ)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祀ります。

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拝殿には翌日(10月9日)の神幸祭で巡行する神輿が載っています。手前には剣鉾があります。これは、神輿渡御の先導を務め悪霊を鎮める京都特有の祭具です。御霊信仰と結びついて用いられたことは知られていますが、起源はさらに古いと考えられています。

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子供神輿がありましたが、子供たちはもういません。山の上で聞いた掛け声は最後に気勢を上げていたようです。

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参道では「吉田今宮太鼓」の皆さんの和太鼓が鳴り響いています。

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途中で踊り打ちも入ります。吉田今宮太鼓は1981年に吉田児童館夏祭りの盆踊りで演奏を披露したのが始まりで、吉田地域を中心に活動を行っています。地域以外でも活動していて、京都マラソンなどでも演奏を披露しているそうです。

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翌日の神幸祭は、剣鉾2基、神輿、神職の順番で巡行し、主な休憩地点では吉田今宮太鼓が出迎えます。

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今宮社の氏子地域には京都大学が含まれます。そのため、毎年大学と生協が神輿の担ぎ手の学生を募集しています。

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まだまだ前日祭は続いていますが、すっかり日が暮れてしまいましたので家に帰ります。

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京都大学の時計台前、吉田今宮祭の巡行は最初にここに立ち寄ります。

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コメント

宵闇から闇の時間。ぼんやりとした感じと流れがまた
秋だよね。

投稿: munixyu | 2016年10月18日 (火) 08:59

京大の裏山 みたいな感じですね~
藤原山陰って料理の人だったのか~。時折名前を見かけてはすぐに忘れてましたが、この記事で少し記憶に残りそう!wお菓子の神社とセットで覚えておこう!
京大の周りは食べ物屋さんも結構あるので、この時間になるとちょっと食べていきたくなりそう~

投稿: ばるさろ | 2016年10月18日 (火) 23:01

★munixyuさん こんばんは♪
日が暮れてまだ空に明るさが残っている時間帯が好きです。なぜか分かりませんが、曇っていても写真では空が紺色に撮れます。ただし、10分ぐらいの間ですが。

投稿: りせ | 2016年10月19日 (水) 22:56

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