夏の銀閣寺 史跡と展望台
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
一昨日の記事の続きで、銀閣寺の庭園から順路に従って山の斜面に上りました。しばらく上ると水平な道になり、北に行くと旧境内の史跡があります。
1490年の足利義政の死後、その山荘・東山殿が「慈照寺」という禅寺となり、1550年の将軍義晴の頃までは創建当初の建物が残っていました。その後戦国期の争乱に巻き込まれ、現存する東求堂と銀閣以外の建物は失われ、寺は荒廃しました。
しかし、1614年に徳川家康により寺領35石が回復すると、宮城丹波守豊盛らによって寺の大規模な再建が行われ、建物や庭園の整備がなされ、ほぼ今日と同じ景観となりました。「史跡 慈照寺 銀閣寺旧境内」の石碑があります。

江戸期の改修の時点では、東求堂と銀閣以外の建物や東山殿創建当時の庭園の姿は失われていましたが、このあたりにはかっての庭園の遺構が残っています。また、この先(北)では1930年の発掘調査で東山殿創建時の「西指庵」跡が発見されました。
上の史跡の横の石段を上ると平地があり、「お茶の井庭園」といわれています。かっての「竹亭(漱蘚亭)」跡で、湧き水の石組が残っています。さっき通った史跡の石組はこの水を下段の庭園に導くものと考えられています。
湧き水は、かって足利義政の茶の湯に使われ、現在でも茶会の際に用いられているそうです。1984年から1987年にかけての境内保存整備事業による調査で、この石組は斜面に露出していた岩盤を加工したものであることが分かりました。
この石組は蹲踞(つくばい)の原型となったともいわれています。現在の湧き水は、先ほどの史跡ではなく、右の水路に流れて錦鏡池に注ぎます。
ここから急な石段が続いています。この橋の下をお茶の井からの水が流れて行きます。
展望台からは、銀閣寺の庭園や建物、向こうに吉田山、奥には愛宕山などの西山まで見渡せます。
銀沙灘のあたりがミニチュアのようです。
銀閣と鎮守の八幡神。

ここから、「被爆アオギリ」が見えます。広島の爆心地から1.3㎞のところで被爆したアオギリが奇跡的に生きていて、1973年に平和公園に植樹されました。そこで子孫を増やし、市民団体「被爆アオギリ里子運動」が「平和の種」として各地に贈ってきました。

金閣寺と銀閣寺では、核兵器の廃絶と真の平和を願って、2011年8月15日に被爆アオギリの苗木をそれぞれの境内に植樹しました(上の写真の○の中)。(展望台から下る途中に銀閣の屋根が近くに見える場所があります。)
この下り道は雨や雪の日は滑りやすかったのですが、最近では整備されています。
庭に降りてきました。お茶の井からの水は錦鏡池からこちらの小川に流れて行きます。
銀閣が正面に見える記念撮影のスポットがあります。正面の石が「浮石」です。一昨日の記事では北斗石、大内石、坐禅石などを見てきましたが、これらの石は「諸侯石」とよばれ、足利義政が諸大名に半ば強制的に供出させたものといわれています。
ところで、この観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降であることは知られています。なぜ「銀閣」なのかについては、(1)当初は金閣にならって銀箔を貼る予定だった、(2)外壁の漆が反射の加減で銀のように見えた、
(3)銀箔をはったが剥がれ落ちた、あるいは酸化して変色した、などの説があるそうです。2008年の大規模な修復工事に伴って行われた調査で、当初から2階の外壁には黒漆が塗られ、銀箔を貼った形跡がないことが確認されました。
また、2階の外壁の軒下部分からは花などの模様をかたどった赤や青に彩色された跡が見つかったそうです。建設当初は現在よりも華やかな外観だったようです。建設当初の外壁の一部を再現したものが、出口付近の茶店の中庭に展示してあります。
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コメント
暑いけど、森林浴で涼しさを感じるね。
緑の茂りがいいよね。
投稿: munixyu | 2016年8月 8日 (月) 08:43
お暑うございます~~。週末から3連休を取って、放浪しておりました!どこに行っても暑い!
今日は銀閣寺のちょっと手前まで、特別公開を見に行ってましたが。。。この暑さで、寄り道する気にはなれませんでした~。
なるべく早くブログを書きたいんですが、その前に先月の京都の事も書き終わってないというていたらくを暑さのせいにしております~w
投稿: ばるさろ | 2016年8月 8日 (月) 19:44