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2016年8月31日 (水)

二年坂から産寧坂へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の霊山護国神社を後に、維新の道から清水寺の方に向かいました。

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右に「京乃坂みち一念坂」の石標があります。以前からあった道を平成2年に整備して「一年坂」と呼ばれれるようになりました。最近お店や喫茶・レストランが増えてきました。出口にはレストラン「ダ・ソウドウ」(竹内栖鳳邸跡)があります。

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このあたりの道の「二年坂」という名の由来は、「産寧坂」(三年坂)の手前にあるからという説が有力だそうです。上の一年坂の名は二年坂からきたと思われます。

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このあたりの地蔵盆のようです。道路に縁台を出しているのは珍しい。

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向こうに石段が見えてきました。

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この石段までが二年坂です。

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この上が「産寧坂」 この名は上にある清水寺の子安観音へ「お産が寧か(やすらか)でありますように」と祈願するための参拝路であったからという説が有力だそうです。この門は「青龍苑」の正門です。

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この地は、かってねねの甥・木下長嘯子(勝俊)の隠棲の地でした。長嘯子は儒家の林羅山や茶人、小堀遠州ほか多くの文人らと交流し、和歌を細川幽斎に学びました。(正面は大正時代に開催された東山大茶会の一席となった茶室「清涼」です。)

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その後料亭「京都 阪口」の霊鷲山荘が建てられましたが倒産し、その再生計画の一環として、平成12年に新たに「青龍苑」と名を変えました。書画や茶会等の舞台として多くの墨客を集めた文芸的な建物や庭園を後世に伝えようとしています。

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「イノダコーヒ」からは庭園が見渡せます。

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このあたりの産寧坂は平な道です。

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「イノダコーヒ清水支店」 本店は創業1940年の老舗珈琲店です。

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「霊山興正寺別院」が一昨年(平成26年)から本山興正寺の飛地境内となり「興正寺霊山本廟」と改められました。法然上人(円光大師)が別時念仏を修した場所ともいわれています。

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産寧坂の石段は大混雑です。

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石段の途中にある「瓢箪屋」、創業は天保年間(1930-44)といわれ、手作りひょうたん、まねき猫や猫土鈴、ミニ人形などもあります。

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産寧坂の石段の上は「清水道」(松原通)となり、一層人通りが増えてきました。今日は写真の枚数の都合、お店をほとんど紹介できませんでした。

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「経書堂(きょうかくどう)」 正式には来迎院といわれる清水寺の塔頭で、本尊として16歳の聖徳太子像を祀ります。創建の詳細は不明ですが、飛鳥時代に聖徳太子の創建ともいわれています。

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清水寺宝性院の塔頭「真福寺」 かつて本堂には本尊として大日如来坐像(重文)が安置されていたことから「大日堂」とも呼ばれていますが、現在は清水寺・宝蔵殿に遷されています。

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東日本大震災の津波で倒れた陸前高田松原の松を用いて、京都伝統工芸大学校仏像彫刻専攻の学生や全国の協力者の「ひとミノひと削り活動」によって、大日如来坐像が彫られました。2012年に完成した像は現在大日堂の本尊として安置されています。

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「宝徳寺」 安土桃山時代の1598年に清水寺塔頭成就院の9代玉圓上人が建立しました。本尊として、聖徳太子が42歳の時に厄除け守護仏として彫ったといわれる阿弥陀如来像を祀ります。

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清水寺の前まできました。相変わらず大勢の人です。

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青龍苑の茶室「長嘯庵」

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コメント

秋になってなくても、既に満員の京都。
今から、行楽シーズンにかけての賑わいを考えると
恐ろしいよね。

投稿: munixyu | 2016年8月31日 (水) 14:45

人がいっぱいだからと言って、敬遠してばかりではいけませんね。。。ちゃんと見るべきものがあるのだと教えていただいた気分です!_(._.)_
ただ そこに観光客がいないのがちょっと寂しいところwまぁ雰囲気を味わいに来てるから古都の背景のような感じになってしまう。。。って所でしょうか。。。イノダコーヒーもそんなに古かったんですねぇ。。この前浄妙山の所でマエダコーヒーの本店を見て、調べたらこちらも老舗。やっぱり京都の人は古い物を大切にといいつつも新しいものも大好き!まあ 壊せないものが多すぎですが、場所があれば一気に最先端のものを作ったりしそう。。。

投稿: ばるさろ | 2016年8月31日 (水) 20:56

おはようございます。
このあたりは京都を代表する観光地だから 年中ごったがえしているので 私自身は敬遠するエリアですが
一年坂の小さな陶器屋で知り合いの陶器展があった時
そこの2階から見た八坂の塔は迫力でした。
八坂の塔に隣接する竹内栖鳳邸宅跡の「ザ・ソウドウ・ヒガシヤマ・キョウト」内は 当時の建物の風情が残されていました。目の前の塔の風情を堪能しながらの ウェディングパーティも人気のようです。

実は 恥ずかしながら10年以上前に 友人と2人で
二年坂の変身処「四季」で
芸妓変身して写真撮影しましたよ・・・
若い時から 芸妓姿にあこがれていたので。

投稿: カワセミ | 2016年9月 1日 (木) 03:33

★カワセミさん こんばんは♪
京都に住んでいても、観光客の気分になれるのがこのあたりですね。竹内栖鳳邸宅跡のレストランはいい雰囲気ですね。ちょっと入りにくい雰囲気で、一般客が入れない日もありますが、オススメの場所です。芸妓姿の写真はお宝ですね。

投稿: りせ | 2016年9月 1日 (木) 22:23

★ばるさろさん こんばんは♪
有名でなくても、京都の珈琲店(喫茶店)は古いところが多いですね。私の学生時代からまったく変わらない店ばかりです。町並みについては、京都の人は新しいもの好きではなく、保守的?だと思います。伝統的な建物の保存地域、景観条例の対象区域が広い面積を占めています。そうでない地域でも、周りの環境にあまりに相応しくないと、住民から反対運動がおき、裁判になっている場所があちこちにあります。

投稿: りせ | 2016年9月 1日 (木) 22:36

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