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2016年6月10日 (金)

勧修寺 花菖蒲と睡蓮

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

カキツバタの頃に行きそびれた勧修寺に行ってきました。前の晩から降った雨が昼頃には止んで、氷室池には睡蓮と花菖蒲が咲いていました。上の山門を入ると正面に「大玄関」があります。

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「勧修寺(かじゅうじ)」は、山科・来栖野(くるすの)にある真言宗山階(やましな)派の大本山で山号を亀甲山といいます。(拝観は大玄関の横にある中門から入ります。)

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平安時代前期の900年、醍醐天皇が生母の藤原胤子(いんし)追善のために、東大寺の承俊律師を開山に迎えて創建したのが始まりです。(中門を入ると右に「宸殿」があります。江戸時代の1697年明正院の旧御所から移築された建物で京都市文化財。)

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勧修寺という名は、醍醐天皇の祖父・藤原高藤(たかふじ)の諡号からとったものです。(宸殿の横を回って裏に行きます。)

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鎌倉時代に後伏見天皇の第7皇子の寛胤(かんいん)法親王が15世住持となり、それ以来近代まで門跡寺院となりました。(「書院」は江戸時代前期の1686年京都御所の建物の部材により再建され、重要文化財に指定されています。)

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書院の左前にある「臥竜の老梅」 樹齢300年といわれる白梅で、江戸時代に京都御所から移植されたといいます。親は根が残り、子は枯れ木、孫は今も花を咲かせて3代が一つになった木だそうです。

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中央は「勧修寺型灯籠」 水戸光圀が寄進したと伝えられる雪見燈籠です。

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まずは本堂に向かいます。境内にはたくさんの(親切な)立て札や看板があります。

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「本堂」(市指定文化財)は、江戸時代に霊元天皇の仮内侍所を移築したもので、醍醐天皇の等身大といわれる千手観音立像を安置しています。左に半夏生(はんげしょう)の苗があります。

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半夏生です。「ご贈呈中 抜いてご自由にお持ち帰りを」と書いてありました。

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弘法大師像の周りに四国八十八箇寺の霊石が並べられていて、それらを踏んで歩けば2分で霊場周りができるそうです。

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本堂は境内の西にあり、この道は東に向かっています。

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向こうに「五大堂」が見え、前に護摩木が積んであります。

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「氷室池」の前の芝生に来ました。ここは、「勧修寺氷室園」といい、池を中心とした池泉回遊式庭園で京都市指定名勝になっています。中央の高い木は「千年杉」と呼ばれ、

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京都の庭園中最も高い杉だそうです。水鳥がとまると狩野探幽の絵のようだと看板に書いてあります。

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この庭園は平安時代の遺構とされ、京都では最も古い形式だそうです。(「観音堂」 昭和に建てられ、観音菩薩像を祀ります。)

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氷室池には3つの中の島があります。平安時代には1月2日に池に張った氷を宮中に献上して、その厚さによって五穀豊穣を占ったといいます。しばらく池の花菖蒲と睡蓮を見て回ります。

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ところで、『今昔物語集』に勧修寺の創建にまつわる逸話が書かれています。平安時代前期の857年、藤原高藤が南山階(山科)に鷹狩に行ったとき、栗栖野で雷雨に見舞われました。

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雨宿りに立ち寄った大領(たいりょう、郡司)の宮道弥益(みやじいやます)の屋敷で一夜を過ごすことになりました。高藤は、酒や肴を運んできた弥益の美しい娘の列子(たまこ)に惹かれ契りを結びました。

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このとき高藤は15-16歳、列子はもっと若かったといいます。高藤は形見の太刀だけを残して屋敷を去りました。

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父の良門に狩を禁じられた高藤は、6年後に父が亡くなると弥益の屋敷を再び訪れます。すると、列子のかたわらに幼い娘がいて、高藤の子・胤子でした。列子は、高藤との再会を待ちわびていたのです。

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母子は高藤とともに京都で暮らすことになりました。後に胤子は宇多天皇の妃となり、醍醐天皇が生まれ、高藤だけでなく宮道家も官位が上がり栄えたそうです。列子(たまこ)の話は「玉の輿」という言葉のルーツになったともいわれています。

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池の周囲を回ります。

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手前の島の木の上はアオサギ(昔はシロサギでした)の巣になっていました。中央の2羽は頭に冠毛があり雛鳥です。

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向こうの建物は観音堂。

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池の周囲には石仏が並んでいて、西国四十八箇所巡りができるようになっています。

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池の向こうに書院が見えます。

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この石仏たちはずいぶん古いようです。

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池をほぼ一周して観音堂の近くに「弁天堂」があります。

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「翠微瀑(すいびばく)」 翠微とは山の中腹のことだそうです。那智の滝を表しているのかも知れません。

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向こうの醍醐北端山が借景となっています。

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宸殿の前に戻ってきました。

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 6 醍醐 山科」カテゴリの記事

コメント

5月の連休に勧修寺に行ってきました。

池のまわりにはものすごいレンズを取り付けた
カメラマンが沢山いらっしゃいました。
皆さんの当日の目的はカワセミだったそうです。

今日は飛んで来そうだという情報がさっと流れるんで
すって。

木の上のアオサギたち、きれいに撮れていますね。
りせさんも、すごいレンズで写されるのですか?
重いでしょう?

皆さんシャッターチャンスを狙って、じっと我慢の
子ばかりでした。

投稿: 8mama | 2016年6月10日 (金) 22:45

雨が降ると緑が濃くなっていいですね~。ここも水の似合うお庭って感じです。写真を撮る時だけ晴れてくれると嬉しいんですけどねw
勧修寺というと灯篭のことぐらいしか記憶になくて
まだまだ知識が足りないなぁ~と思う今日この頃
山科はいくつか行っておきたい所があるんですが、まだ市内でも行けてない所がいっぱいなので、後回しになってしまいそう。。。りせさんの所で勉強させてもらいます~

投稿: ばるさろ | 2016年6月11日 (土) 00:02

★8mamaさん こんばんは♪
私も5月に行こうと思っていたのに行きそびれてしまいました。池のほとりにいつもカメラマンがいますね。みんな大きなレンズを持っていますが、私のは標準のズームレンズです。鳥を狙っているカメラマンは辛抱強いですね。私には1か所で何十分(何時間?)もじっとしていることはできません。

投稿: りせ | 2016年6月11日 (土) 21:30

★ばるさろさん こんばんは♪
私も山科で行っていないところがいろいろあります。それぞれがある程度離れていて、歩いてまわるのが難しいのです。今回は車だったので、初めてのところも何カ所か訪れました。

投稿: りせ | 2016年6月11日 (土) 21:41

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