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2016年6月17日 (金)

御香宮神社 緑の境内

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は一日中雨でどこも出かけていませんが、先月訪れた御香宮神社です。この日も小雨が降っていましたが、ほとんど気になりませんでした。下は大手筋通にある「大鳥居」、かってここは境内の参道でした。

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「表門」(国指定重要文化財) 元和8年(1622)、 徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進したものです。正面を飾る蟇股には中国二十四考の物語が彫られています(写真の枚数が多くなりそうなので、建物の細部は別の機会に)

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「御香宮神社」の詳しい創建年は不明ですが、境内から飛鳥時代後期の瓦などの遺物が出土したそうです。

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当初は御諸(みもろ)神社と呼ばれていて、平安時代前期の823年、筑前の香椎宮から豊前の宇佐八幡宮と山城の御諸神社に神功皇后(香椎明神)を勧請したという記録があるそうです。

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平安時代の862年、境内の椎の木の根元から香のよい清泉が湧き、病人が飲むと病が治ったといいます。清和天皇は「御香宮」と名づけ、勅令により社殿を修復させたといわれます。

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水質維持のため、隣に濾過機を通した水が出ています(ただし午前7時から午後7時まで)。

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本殿の東(右手)に井戸があります。水が涸れていたのを1982年に復元したもので、現在は地下150mから汲み上げ、環境庁の「名水百選」(1985)に認定されています。

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安土・桃山時代の1590年、小田原北条氏を破り天下統一をした豊臣秀吉は願文と太刀を奉納しました。やがて伏見築城に際しては城中に鬼門除けの神として勧請し、当社に社領300石を献上じました。

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その後、徳川家康は慶長10年(1605)に、本殿を造営して社領300石を献じました。(本殿には祭神として、神功皇后を祀り、安産、子育て、開運厄除などのご利益があるとされます。)

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本殿の西に社務所、その奥に石庭があります。伏見奉行だった小堀遠州が作庭し、上洛して庭を見た家光がよろこび、小堀に5000石を加増し大名に列したといわれています。この日は遅かったので入っていません。

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社務所の南に「能舞台」

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本殿(国指定重要文化財)は、家康の命により京都所司代・坂倉勝重を普請奉行として建立されました。 正面の各部材に彫刻を施し極彩色に彩り、背面のの板壁には柳と梅の絵を描いています。

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境内には摂社(末社)や遺物、記念碑など沢山の見所があります。本殿の西から右回りに巡ります。「稲荷社」

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可愛いキツネがいっぱいです。

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「弁天社」

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池の中の島に祠があります。

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「松尾社」 松尾大神を祀ります。

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酒造の神様だけあります。

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「東照宮」 当社の現在の社殿を造営した家康を祀ります。境内の一番奥にあります。

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屋根にはしゃちほこが。

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末社の六社、右から春日大明神、天満大神、新宮、熊野社、那智、金札宮。これらは境内の東北にあり、このあたりは「鎮守の森」だそうです。金札宮は当社の北西にある伏見で最も古い神社の一つです。、

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「太神宮」 天照坐皇大神と豊受大神を祀ります。

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「豊国社」 本殿の東北にあり、当社再建のもう一人の功労者・秀吉を祀ります。秀吉は死後に後陽成天皇から「豊国大明神」の神名を賜りました。

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豊国神社は大坂夏の陣の後に家康によって取り壊され、明治になってから再建されました。この社がどのような歴史をたどったのか分かりません。

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本殿の東に四社、右から、八幡、八坂、蛭子社、住吉大明神です。

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「絵馬堂」 御香水の霊験説話を画題にした「社頭申曳之図」をはじめ、江戸時代に奉納された貴重な絵馬があります。また、和算の出題や解答を奉納した「算額」もあります。

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明治の初め(1868年)鳥羽・伏見の戦では、境内が薩摩藩(新政府軍)の駐屯地になりました。大砲4門が置かれたそうですが、幸い社殿は戦乱による焼失を免れました。この記念碑は拝殿の東南にあります。

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「白菊石」  奈良時代、白菊を常食にして仙術を使う翁がいたそうです。白菊を打ちふるって清水を出し、白菊の露で病気を治療し、後に石に姿を変えたといいます。天皇から「金札白菊大明神」の神名を賜り、里人が社殿を造営したのが金礼宮の始まりです。

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「車石」 江戸時代、竹田街道の棒鼻付近に敷き詰められていた牛車のための輪型石です。車道は単線のため、午前は上り、午後は下りの一方通行になっていたそうです。

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最初に来た参道の途中に菅原道真を祀る「桃山天満宮」があります。。かつて東の木幡山中腹(月見の丘)にあったそうです。その後さまざまな歴史をたどり、1969年に現在地に遷されました。この中には社務所やいくつも摂社があります。

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去来の句碑、「梅の香にのっと日の出る山路かな」。

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伏見城跡残石

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表門の左の「伏見義民顕彰碑」 伏見奉行となった小堀政方は賄賂、博打、遊興により10万両以上の御用金で私腹を肥やしました。奉行所が伏見の着船や船客に他より数倍高く課税したことに反発した町年寄7名は幕府に税の是正を直訴しました。

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訴えは却下され7人は投獄されましたが、後の1787年に老中となった松平定信により、町人側の訴えがほぼ認められました。そして、小堀正方は伏見奉行を罷免、領地没収、お家断絶の処分を受けます。

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後に定信が老中首座になり7名の赦免を申し渡したましたが、既に全員病死など獄中死していました。毎年5月に子孫や関係者のみで「伏見義民祭」が行われているそうです。

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コメント

御香宮は二度訪れています~~。最初に訪れたときは、この日のような雨模様で、遠州の庭を見たときは土砂降りでしたw
今年3月ごろに再訪した時は、ホテルに行く時間が迫っていたので、庭の方は楽しめましたが、伏見の商店街まで行ってる時間が無かったなぁ。。。
錦市場には品揃えや店の数では勝てないけど、お手ごろな値段ってイメージがあって好きな所です~

投稿: ばるさろ | 2016年6月17日 (金) 23:53

急な変更にも、素早く対応して頂き感謝いたします。ご迷惑お掛けしました。
梱包のプチプチも二重三重で、商品もランク以上かと思うくらい綺麗でした。
また利用したいお店です。ありがとうございました。
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投稿: ゴヤール スーパーコピー 通販 | 2020年12月20日 (日) 12:42

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