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2016年5月30日 (月)

八大神社 2016

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の詩仙堂を出ると、坂道の上に八代神社の鳥居が見えます。

「八大神社」は鎌倉時代の永仁2年(1294)に創建され、一乗寺の産土神(うぶすながみ)、氏神として信仰されてきました。

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産土神はその者が産まれた土地の神で、その者を一生守護すると考えられています。氏神は、かってはその一族だけが祀った神のことでしたが、のちにその土地に住む者を護る神を指すようになりました。(摂社の山ノ神社、牛宮社)

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また、古くから八大神社は「北天王」(北の祇園)と称されて、皇居守護神十二社中の一つにもなっています。(坂道の参道途中に、宮本武蔵の映画の写真が展示してあります。)

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かっての祭神は、祇園社(現八坂神社)と同じく、牛頭天王(ごずてんのう)、頗梨采女(はりさいじょ)、八王子を祀っていました。牛頭天王は疫病をおこす神、頗梨采女はその后、八王子はそれらから誕生した神です。坂道を上ったところに社務所があります。

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牛頭天王、頗梨采女、八王子は、それぞれ、素盞嗚命(すさのをのみこと)、稲田姫命(くしなだひめのみこと)、八王子命(はちおうじのみこと)と類似することから同一視(神仏習合)したのではないかといわれています。八王子命は2神の5王子と3王女です。

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一段高いところに社殿があります。

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神徳(ご利益)は、禊祓いの神、農耕・水の神 森林・山の神、縁結び・和歌の神、方除・厄除の神、学業・教育の神とされています。

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江戸時代の剣客・宮本武蔵が、吉岡一門との「一乗寺下り松の戦」の前に八大神社に立ち寄ったといわれています。(以下の逸話は、史実かどうか疑問であるとの考えもありますのであしからず。)

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武蔵は、蓮台野で道場主・吉岡清十郎を、三十三間堂で弟・伝七郎を倒し、一乗寺下り松では、吉岡一門の70数人を相手に戦うことになりました。

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武蔵は、必勝祈願に拝殿の鈴を鳴らそうとして思いとどまり、頭をさげただけで立ち去りました。後年武蔵はそのときの心境を「神仏を尊んで神仏に恃(たの)まず」と述べたそうです。

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宮本武蔵が決闘した以前から昭和20年頃まで生きた一乗寺下り松の大木の一部が上の写真の祠に保管されています。下は、神社の前の坂道を下ったところにある決闘の地とされ、4代目の松が植樹されています。

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平成15年(2003)に八大神社創建710年、武蔵の決闘から400年を迎えることから、記念事業としてブロンズ製の宮本武蔵像が建立されました。

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制作したのは、鎌倉仏師定朝の末裔、仏師・田中文彌氏と柴田篤男氏です。田中文彌氏は国宝などの海外流出を防ぐために、多くの仏像を模造したことで知られ、柴田篤男氏は、亀山公園の角倉了以像の作者です。

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境内には多くの摂社があります。武蔵像と向き合う場所に「七社」があります。右から、加茂大神社・柊大神社、赤山大神社・貴布禰大神社、春日大神社・新宮大神社、諏訪大神社・竈大神社、賢防大神社、八幡大神社、日吉大神社

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「皇大神宮社」、七社の左、本殿の右手にあります。

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「鷺森台神社」、「大将軍社」 七社の右にあります。

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さらに斜面の上に玉垣が続いています。

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「常盤稲荷」 一番高いところにあり、立派な構えです。

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かつて比叡山麓(左京区)に七里があり、それおぞれに産土神が祀られていました。それらは、一乗村(八大神社)、高野村(御霊社、現・祟道神社)、修学院村(天主社、現・鷺森神社)、舞楽寺(八大天王社)、藪里(牛頭天王社)、

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山端(牛頭天王社)、白川村(天王社、現・北白川天満宮)でした。七社のうち、舞楽寺の天王社、藪里の比良木天王社は明治時代の初め八大神社に合祀されました。社務所の方に戻ります。

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ご神木の巨木、左は樅(もみ)右は杉。

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「宮本武蔵 静動一如 立絵馬」 自分の心を、深沈たる沼のように静かに保つ一方で、どんな外界からの刺激にも敏感に反応できるようにしておくことを「静動一如」と呼び、この両面作戦が武蔵の心構えの基本になっていたそうです。

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コメント

吉岡道場の面々のお話はどこまで真実か知りませんが
もうチャンバラ映画で育った私には、最高の場面展開の
ところです。

三十三間堂の外の廊下を宮本武蔵がダーッと走る場面
なんか、直ぐ浮かんできます。

八大神社は何度も行っていますのに常盤稲荷に上がった
記憶がありません。
私の京都歩きは穴だらけです。

投稿: 8mama | 2016年5月30日 (月) 17:45

一乗寺の駅から曼殊院へ向かう途中に、詩仙堂はまだ開いてなかったので、こちらの神社に寄って見ました~。下の松からちょっと離れてるしどこで戦ったのかイマイチ不明ですが、ここも関係ある所だったんだ!と、よく知らないまま入ってびっくりした思い出がありますw
ちなみに今年の3月に宮本武蔵の生地の近くの大原宿で途中下車してブラブラ。。。手前の駅がそのままずばり宮本武蔵駅なんですよね~
守護の十二社ということは方向でしょうね。四方向の大将軍とも関連あるってことかぁ。

投稿: ばるさろ | 2016年5月30日 (月) 22:53

★ばるさろさん こんばんは♪
宮本武蔵も何百年後に自分の名前の駅ができるなんて、想像もできなかったでしょうね。
吉川英治は八大神社を訪れたときのことを、随筆に「高い土地から敵の背面を衝いて、突如と吉岡の本陣へ直進することができる地は、絶対にここの山腹よりない」と書いているそうです。

投稿: りせ | 2016年6月 1日 (水) 00:00

★8mamaさん こんばんは♪
常盤稲荷は、写真を載せていますが由緒が分かりません。私もまだまだです。

投稿: りせ | 2016年6月 1日 (水) 00:04

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