京都嵐山 三船祭 2016
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一昨日は嵐山の三船祭にも行ってきました。「三船祭」は車折神社例祭の延長神事として昭和3年から始められた祭りで、嵐山の大堰川において、祭神の清原頼業が活躍した平安時代の船遊びを再現したものです。
参加者が中之島から大堰川左岸まで参進行列をして神事が行われます。最初に宮司による祝詞やお祓いがあります。
一昨年はその前年の台風の影響で三船祭が中止になり、昨年から新たな体制で再開されました。地元の有志が結成した「三船祭保存会」が主催となり、新たに清少納言役の女性を選ぶようになりました。
清少納言は祭神の清原頼業の同族で、摂社の「清少納言社」に祀られて才色兼備のご利益があるとされます。今年は嵯峨野出身でフルート奏者の津田佐代子さんが選ばれました
千葉宗立宗匠による呈茶
祭りの関係者による鏡開き。中央が保存会会長の津田純一氏(井筒八ッ橋会長)で、清少納言役の津田佐代子さんは長女です(この役は一般公募でなく祭の関係者から選ばれるようです)。
この後、清少納言や神職らが「御座船」に乗り込みます。
御座船の後部に祠が置かれ、祭神を仮遷座しています。御座船からは「扇流し」が行われます。
「龍頭船」 「いちひめ雅楽会」による雅楽・舞楽が奉納されます。
「鷁首(げきしゅ)船」 「日本今様謌舞楽会」により今様が奉納されます。鷁は想像上の水鳥で、風波に耐えてよく飛ぶところから水難よけとされます。また、「竜頭鷁首」は、天子や貴人の乗る船、あるいは、風流を楽しむ船という意味だそうです。
「三船」とは白川天皇が舟遊びをした際に、和歌、漢詩、奏楽に秀でたものを3隻の船に乗せたという故事にちなんでいるとか。
「扇流し」は、足利尊氏の故事にちなんだ行事です。尊氏が天龍寺へ参詣した折に、お供の童子が誤って扇を川に落とし、それが川面を流れる様が優美であると大層喜んだそうです。
それ以後、天龍寺への参詣の際には、お供の人々が競って扇を川に流したとという話です。下は祭の主催者が用意した「御伴船」で、山本本家の神酒(鏡開きの神聖?)が頂けるそうです。他に、いつもの屋形船や貸しボートが浮かんでいます。
以前は御座船に公募で選ばれた「平成の姫君」や芸舞妓が乗っていて、扇を拾うと芸事が上達するといわれていました。現在では、才色兼備のご利益があるかも知れません。
「今様」は平安中期から鎌倉時代にかけて京都で流行した、多くは七・五調4句からなる新様式の歌謡です。ところが、その節(音階)は伝承されずに失われてしまいました。
桝井泰山は、当時の今様がどの様なものであったかを多くの方の協力を得て、実践的に研究を重ねて、基本となる節を生み出しました。そして、戦後まもなく日本今様謌舞楽会を設立して、 国内外で奉納・公演を続けてきたそうです(現会長は石原さつき氏)。
泰山の功績を記念して、永観堂に「今様の碑」があり、毎年4月に法要(泰山忌)が行われているそうです。
竜頭船(雅楽)、鷁首船(今様)とも右岸で演じている時間が長く、そちらの方が見物にはいいかも知れません。
雅楽が現在のように誰もが演奏できるようになったのは明治5年からで、それ以前は宮中に属する人、神社仏閣に仕える人、雅楽専門家などに限られていました。上下の写真で演じているのは「蘭陵王(らんりょうおう)」という題目だそうです。
京都では、市比賣神社宮司の故飛騨邦冨が雅楽を教え始めました。現宮司・飛騨富久は雅楽を研究してその継承を始め、昭和55年に「いちひめ雅楽会」を設立して、雅楽を日本の伝統音楽として広める活動をしてきました。
正しい伝承のために宮内庁楽師の直接指導を受け、今日では小学生から幅広い年齢層の120名以上の会員が日々楽器や舞の練習に励んでいるそうです。
この「蘭陵王」は北斉の眉目秀麗な名将の蘭陵王が、優しげな美貌を隠すため獰猛な仮面をつけて戦に挑み見事大勝した故事にちなんでいるとか。雅楽会の皆さんが戻ってきました。
最後に船着き場(神事が行われた場所)の前で「胡蝶」が舞われました。
源氏物語にも登場して、最初から子供が舞う童舞として作られたのだそうです。
今様の皆さんも帰って来ました。
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コメント
三船祭、復活よかったよね。
台風で大変だったのに、おつかれさまだよね。
投稿: munixyu | 2016年5月17日 (火) 20:51
この時期にやっていたんですか~。
しかし。。名前は聞いていましたが、見てみると
独特なお祭りですね~
船の飾りが、沖縄や長崎で見るものに近いような
気がするのは、やはり唐や隋の影響でしょうか。。
川の上で舞が行われるなんて。。。天気が悪いと
かなり危険!天候も重要になってきますねぇ
投稿: ばるさろ | 2016年5月18日 (水) 06:17
★munixyuさん こんばんは♪
三船祭は天候が大事ですね。雨が降ると川が増水して流れが急になり、舟遊びどころではないそうです。
祭りが中止になったのは、車折神社が被害にあって祭の費用が工面できなかったからです。祭で恩恵を受ける地元が財政的にも協力するのは当然のなりゆきかも知れませんね。
投稿: りせ | 2016年5月18日 (水) 21:54