松ヶ崎大黒天(妙円寺) 2016
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空が綺麗に晴れ渡った日に松ヶ崎大黒天に行ってきました。北山通から一筋北の通りに鳥居があります。この通りは「府道103号上賀茂山端線」といって、上賀茂神社の前から川端通まで続いています。

「松ヶ崎大黒天」は通称で、正式名称を松崎山妙円寺という日蓮宗の寺です。
鎌倉時代の永仁2年(1294)日蓮聖人の法孫、日像上人によって法華経が広められ、徳治元年(1306)には松ヶ崎全村が日蓮宗に改宗し、「松ヶ崎法華」とまでいわれるようになりました。
関ヶ原の合戦の後、江戸初期の元和2年(1616)本覚院日英上人が本涌寺(現在の涌泉寺)内に隠居所を建立したのが妙円寺の始まりです。涌泉寺(泉涌寺ではありません)は「妙」の字の麓にある寺です。
承応3年(1654)教蔵院日生上人によって「松ヶ崎檀林」(僧侶の学校)がこの近くに創立されました。東門
「大黒堂」に祀られている大黒天像は、伝教大師・最澄の作で、日蓮聖人が開眼したとされます。日英上人が妙円寺を創建した際、法華経の守護神としてこの大黒天を別棟に祀りました。
この大黒天は、京都の子丑の方角(表鬼門)に位置して鬼門を守護しています。寿福円満、開運招福、商売繁盛の神として信仰され、都七福神めぐりの大黒様としても知られています。

昭和44年に信者の献灯により堂宇が焼失しましたが、大黒天は水火を免れて無事だったので、「火中出現 火伏守護の大黒さま」としても崇拝されています。(下は「なで大黒」で体の悪いところをなでると、快癒すると信じられています。)
大黒堂の前にある「絵馬堂」
こちらが「本堂」、「妙圓精舎」の扁額がかかっています。本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏(くおんじつじょうのほんししゃかむにぶつ)で、大曼荼羅の本尊です。
ところで、「五山の送り火」の「妙法」は妙円寺の裏山の松ヶ崎山にあります。(本堂の前、緑が綺麗でした。)
これは、松ヶ崎の村が日蓮宗に改宗したとき、日像上人が杖で松ヶ崎西山に「妙」の字を描き、後に下鴨大明寺(現在は廃寺)の日良上人が松ヶ崎東山に「法」の字を描いたものだそうです。(奥には、西門やお茶席、庫裡などがあります。)
送り火の「妙法」は、お盆の精霊送りの聖火の一つですが、松ヶ崎の信仰の歴史を伝える火でもあります。(振り返って東の方)
この日は空気も澄んでいて「法」の火床からの見晴らしを期待していたのですが、3年前から松ヶ崎山全山が入山禁止になっていました(送り火の後で1日だけ登れるそうです)。
大黒堂の横に石像が並んでいます。
空が綺麗な日でした。
東門から出るときに、ちょうど大文字山が正面に見えることが分かりました。
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コメント
いい空の色。五月晴れだよね。
光りが美しいね。
投稿: munixyu | 2016年5月18日 (水) 14:07
その名も松ヶ崎大黒天ですので、大黒さんが本尊なのかと思ってましたが、日蓮宗なら曼荼羅ですね
そういえば大黒天が本尊って、聞いたことないなぁ。。と思い調べたら伏見の大黒寺だけなんですね~。松ヶ崎山は入山禁止ですか。。。修学院の駅前あたりからよく見えるところですよね。
以前、祇園の喫茶店の方がこの辺りが実家で、友達と遊びに山に登ったら迷って一晩明かしたことがあるんですよ~なんて話を聞きました。3年前からってことは、やはりそういう里山ののんびりした場所ではなく、街中に挟まれた保護しなくてはいけない地域に変わってしまったってことでしょうかねぇ
投稿: ばるさろ | 2016年5月18日 (水) 23:14