本満寺 枝垂れ桜2016
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本満寺の枝垂れ桜を見に行ってきました(一昨日)。山門(重文)は寺町通りに面しています。
「本満寺」は、山号を広宣流布山(こうせんるふざん)、正式名称を本願満足寺という日蓮宗本山です。庫裡の前の枝垂れ桜が満開でした。まずはこの木の周囲を一回りします。
室町時代の応永17年(1410)近衛関白道嗣の嫡子・玉洞妙院日秀が、今出川新町に朝廷から敷地3万坪を与えられて創建したのが始まりです。
戦国時代の天文5年(1536)の天文法華の乱で焼かれ、一時堺に逃れました。
その後天文8年(1539)、12世日重の代に関白近衛尚道の外護により現在地に移り、後奈良天皇の勅願所となりました。
安土桃山時代から江戸時代初めにかけて一致派本山の一つになり、末寺が32ヶ寺もあったそうです。下を見ると花びらが散り始めていました。
その後、宝永の大火(1708年)により焼失しましたが再建され、塔頭・末寺合わせて74ヶ寺にもなったそうです。
宝暦元年(1751)、35世日鳳が8代将軍徳川吉宗の病気平癒を祈り、それ以来将軍家の祈願所にもなりました。塀の向こうは妙見宮です。
天明の大火(1788年)や明治44年(1911)の火災により焼失しますが、それぞれ再建されています。現在では、四院の塔頭(一乗院、守玄院、実泉院、法泉院)を残すだけになりました。
また、安置されている尚道奉安の祖師像は、芹生村山麓禄から発見されたもので、その山中より法華経読誦の声が上がったという有名な伝承があります。
「蓮乗院殿御廟」 本堂の脇に徳川家康二男秀康の正室・蓮乗院(鶴姫)の石廟があります。秀康は側室の子で、正室を恐れた家康によって本多重次に預けられ、豊臣家や結城家の養子となり、関ヶ原の合戦の後に福井藩主となりました。
鐘楼の前の手水舎、左は「洗い浄行菩薩」 日蓮宗において、浄行菩薩は釈迦亡き後の末法の世において仏法を護持する4菩薩の一つだそうです。
山門の外にある「妙見宮」 14世・日遠は能勢妙見山を開創して、同体の妙見菩薩が祀られています。これらの妙見菩薩は13世・日乾が自ら2体刻んだものとされます。
塀越しに枝垂れ桜
出町柳の方からは西門から入ることになります。この正面にある墓地には、戦国時代の武将・山中幸盛や近代の画家・西村五雲の墓があります。
もういちど、枝垂れ桜を見てから帰りました。
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コメント
枝垂れはもう、散り始めてきたんだね。
あとはそろそろ、ソメイヨシノだよね。
投稿: munixyu | 2016年3月29日 (火) 14:52