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2016年2月17日 (水)

矢田寺 地蔵菩薩と送り鐘

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の天性寺を出て寺町商店街を南に歩くと、三条近くに矢田寺があります。

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「矢田寺」は山号を金剛山という西山浄土宗の寺で、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第28番札所です。

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創建は古く、平安時代の初め(845年)大和国・矢田山金剛山寺(こんごうせんじ)の住持・満慶(まんけい)を開山として、その別院を五条坊門(下京区)に創建したのが始まりです。

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本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は、開山の満慶上人が地獄で見た亡者を救う僧侶の姿を彫らせたものだそうです。代受苦(だいじゅく)地蔵と呼ばれ、人々の苦しみを代わってくださるといわれています。

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また、一度お参りすると28種のご利益があるとされ、特に良縁成就、縁結び、病気平癒、子孫繁栄などの信仰が篤いとか。

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満慶上人が地獄に行ったいきさつは以下のとおりです。閻魔大王から冥界で菩薩戒を授ける者を尋ねられた小野篁が、満慶上人を紹介し、彼あついは冥途に出かけて閻魔大王に菩薩戒を授けたといいます。

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大王が礼を与えるというと、満慶は地獄を訪れたいと申し出て、阿鼻城で人々に代わり責め苦を受ける地蔵菩薩を、炎熱地獄では亡者を救出する一人の僧を見ました。僧は自らを地蔵菩薩といい、満慶に娑婆に帰ったら地蔵菩薩像を造るようにと伝えたのです。

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南北朝時代(1359年)に鋳造された「梵鐘」は、六道珍皇寺の「迎え鐘」に対して「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るのだそうです、

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本堂の左手前に「賓頭盧(びんづる)」 釈迦の弟子で会得した神通力をもてあそんだため釈迦にしかられ、涅槃を許されず衆生の救済を命じられました。

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通常「なで仏」として人々を救うためお堂の外にいるのですが、ここは本堂全体が建物の中に入っています。

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その後矢田寺は、南北朝時代(1359年)綾小路西洞院の矢田町で復興されます。室町時代(1417年)に焼失後、綾小路町尻(下京区矢田町)に移りました。さらに、安土・桃山時代、(1579年)豊臣秀吉の都市改造により現在地に移されました。

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江戸時代には、宝永の大火(1708年)、天明の大火(1788年)、蛤御門の変(1864年)で焼失しますが、その都度再建されています。「しあわせ大日如来」

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どこかで見たことがある人形?

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「水子地蔵」と「ぬいぐるみ地蔵」

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ぬいぐるみ地蔵は、胎内にお札が入っていて、お守りにして持ち帰るか奉納します。手作りなので、すべて表情が違うそうです。

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年中行事として、節分(2月3日)、花まつり(4月8日)、送り鐘(8月16日)、かぼちゃ供養(12月23日)、除夜の鐘(12月31日)などが行われます。

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コメント

提灯がたくさんの、
賑やかなところだな。寺らしくない寺?
雰囲気が変わってるよね。

投稿: munixyu | 2016年2月17日 (水) 13:48

ぬいぐるみ地蔵やお猿の置物がやけにカワイイですね~~。ほんわかする~
街中で、さらに商店街、アーケードの中というお寺は時々見かけますが、どこもぎゅっと窮屈に入り込んでる感じで独特ですよね~。こんなに便利にご利益があっていいのかな!?なんて思う反面、毎日お参りしてるっぽい地元の人を見ると、暮らしに溶け込んでいて、これでこそのご利益だよなぁ。。なんて思ったりもします~

投稿: ばるさろ | 2016年2月17日 (水) 21:09

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