かやぶきの里の秋
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
美山自然文化村から約30分歩いて、「かやぶきの里」の東のはずれに来ました。
「美山茅葺株式会社」 代表の中野誠さんはここで育った後、ヨーロッパで多くの茅葺屋根があることに衝撃を受けたそうです。そして、わずか数人残っていた茅葺職人に弟子入りして、「50年ぶりに後継者現る」と話題になった人です。、
現在では若い茅葺職人が10名以上集まり、全国の茅葺屋根を守るために奮闘中とか。この道は「鯖街道」の一部です。
石段の上に「知井八幡神社」があります。創祀は平安時代の延久3年(1071)、祭神は応神天皇、諏訪明神、知井一ノ宮明神。知井九ヶ村の総社として祀られ、毎年10月の祭礼では、雅楽が奉納され、神輿がかやぶきの里を巡ります。
境内は昭和59年に「京都府文化財環境保全地区」に指定され、本殿も同時に「京都府指定登録文化財」に指定されました。
このあたりは、知井地区の「北」と呼ばれ、集落には50戸のうち38棟が茅葺屋根の民家です。
伝統的技法による建築物を含めて、歴史的景観がよく保存されているとして、平成5年(1993)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
「鎌倉神社」 創祀は鎌倉時代の建長2年(1250)で、勝山氏の先祖「源末友」を勝山大神として祀る祖霊社、北村三苗社(きたむらさんみょうしゃ)の一つだそうです。この場合の「苗」とは、子孫や血筋のことを指すことばです。
知井には「知井十苗」と呼ばれる十の家があり、それぞれ社を祀り「知井十苗十社」と呼ばれたそうです。そのうち、北村には「北村三苗社」があったとのことです。神社の横は集落が見渡せるちょっとした穴場です。
この地区では、寛政8年(1796)築の最古の家をはじめ、江戸時代に建てられた18戸はいずれも「北山型」と呼ばれる入母屋造りの民家です。(一筋上の道を行きます。)
ほとんどの家はふつうの民家なので、生活を邪魔してはいけません。
それぞれの家には放水銃が備えられています。
「普明寺」 曹洞禅宗の寺院で、南北朝時代(14世紀中頃)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは、普明国師)の創建とされています。第二次大戦中に火災で焼失し、戦後再建されました。
ところで、「茅」とは屋根をふく草の総称です。ススキや葦、カリヤスや麦わらなどが使われ、一番丈夫なのがススキや葦だそうです。(ここからも集落を見渡せます。)
途中にある「稲荷社」 創祀は不詳、祭神は倉稲魂命、北村三苗社の一つで、中野(中)氏の社だそうです。横に樹齢400年以上のトチの木(美山の名木)があります。
ここから山沿いの道を行くと、「津本神社(諏訪神社)」があります。創祀は不明ですが、津本氏(元は津元氏)の社で、建御名方命を祀る北村三苗社の一つです。向こうに大阪天王寺の一心寺の社務所を移築した「伝承文化の館」が見えます。
この道を引き返す途中、府道沿いにある「お食事処きたむら」(左)と「お土産処かやの里」(右)が見えます。その右にバスが待っている駐車場があります。
田んぼを横切って府道に戻ります。*記事の最後にある「お願い」をよろしく。
この道が「一斉放水」や「雪灯廊」を見る絶好のポイントになります。一斉放水とは、火に弱い茅葺屋根を守るために設置された62基の消火銃の点検を兼ねた放水です。
来年の雪灯廊は、1月30日(土)~2月6日(土)の期間で、茅葺民家約10棟のライトアップは2月末まで行われます。
おなじみのポストの前に来ました。
今回は、かやぶきの里に古くからあった三つの家系(北村三苗)の氏神を祀る神社がいずれも残っていることが分かりました。そして、平安時代には既にここに集落があったことにちょっと驚きました。
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