2015 紅葉 1

2015年11月17日 (火)

かやぶきの里の秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

美山自然文化村から約30分歩いて、「かやぶきの里」の東のはずれに来ました。

「美山茅葺株式会社」 代表の中野誠さんはここで育った後、ヨーロッパで多くの茅葺屋根があることに衝撃を受けたそうです。そして、わずか数人残っていた茅葺職人に弟子入りして、「50年ぶりに後継者現る」と話題になった人です。、

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現在では若い茅葺職人が10名以上集まり、全国の茅葺屋根を守るために奮闘中とか。この道は「鯖街道」の一部です。

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石段の上に「知井八幡神社」があります。創祀は平安時代の延久3年(1071)、祭神は応神天皇、諏訪明神、知井一ノ宮明神。知井九ヶ村の総社として祀られ、毎年10月の祭礼では、雅楽が奉納され、神輿がかやぶきの里を巡ります。

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境内は昭和59年に「京都府文化財環境保全地区」に指定され、本殿も同時に「京都府指定登録文化財」に指定されました。

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このあたりは、知井地区の「北」と呼ばれ、集落には50戸のうち38棟が茅葺屋根の民家です。

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伝統的技法による建築物を含めて、歴史的景観がよく保存されているとして、平成5年(1993)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

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「鎌倉神社」 創祀は鎌倉時代の建長2年(1250)で、勝山氏の先祖「源末友」を勝山大神として祀る祖霊社、北村三苗社(きたむらさんみょうしゃ)の一つだそうです。この場合の「苗」とは、子孫や血筋のことを指すことばです。

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知井には「知井十苗」と呼ばれる十の家があり、それぞれ社を祀り「知井十苗十社」と呼ばれたそうです。そのうち、北村には「北村三苗社」があったとのことです。神社の横は集落が見渡せるちょっとした穴場です。

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この地区では、寛政8年(1796)築の最古の家をはじめ、江戸時代に建てられた18戸はいずれも「北山型」と呼ばれる入母屋造りの民家です。(一筋上の道を行きます。)

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ほとんどの家はふつうの民家なので、生活を邪魔してはいけません。

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それぞれの家には放水銃が備えられています。

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民宿「久や」

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美山民族資料館

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ここから坂を上ります。

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「普明寺」 曹洞禅宗の寺院で、南北朝時代(14世紀中頃)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは、普明国師)の創建とされています。第二次大戦中に火災で焼失し、戦後再建されました。

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ところで、「茅」とは屋根をふく草の総称です。ススキや葦、カリヤスや麦わらなどが使われ、一番丈夫なのがススキや葦だそうです。(ここからも集落を見渡せます。)

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もういちど、来た道を下ります。

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途中にある「稲荷社」 創祀は不詳、祭神は倉稲魂命、北村三苗社の一つで、中野(中)氏の社だそうです。横に樹齢400年以上のトチの木(美山の名木)があります。

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前の通りが鯖街道です

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このあたりが集落の西の端です。

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振り返って

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ここから山沿いの道を行くと、「津本神社(諏訪神社)」があります。創祀は不明ですが、津本氏(元は津元氏)の社で、建御名方命を祀る北村三苗社の一つです。向こうに大阪天王寺の一心寺の社務所を移築した「伝承文化の館」が見えます。

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この道を引き返す途中、府道沿いにある「お食事処きたむら」(左)と「お土産処かやの里」(右)が見えます。その右にバスが待っている駐車場があります。

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田んぼを横切って府道に戻ります。*記事の最後にある「お願い」をよろしく。

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この道が「一斉放水」や「雪灯廊」を見る絶好のポイントになります。一斉放水とは、火に弱い茅葺屋根を守るために設置された62基の消火銃の点検を兼ねた放水です。

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来年の雪灯廊は、1月30日(土)~2月6日(土)の期間で、茅葺民家約10棟のライトアップは2月末まで行われます。

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おなじみのポストの前に来ました。

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今回は、かやぶきの里に古くからあった三つの家系(北村三苗)の氏神を祀る神社がいずれも残っていることが分かりました。そして、平安時代には既にここに集落があったことにちょっと驚きました。

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2015年11月16日 (月)

美山町自然文化村からかやぶきの里へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

朝早く天龍寺から竹林の道を訪れた後、美山町に行きました。JR園部駅まで行って、9月7日から12月13日の期間に運行している「園部・美山周遊バス」に乗りました。このバスで到着したのが「美山自然文化村」です。下は中心的な施設「河鹿壮」

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中には、宿泊施設、レストラン、売店、大浴場などがあります。

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「かやぶき民家別館」  美山の伝統的なかやぶき屋根の民家を移築して、食事や宿泊に利用できるそうです。だだし、利用は10名からとのことです。

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周遊バスは、自然文化村で約2時間、その後かやぶきの里で1時間の停車の予定です。かやぶきの里まで約2㎞の距離だそうで、食事を済ませたあと歩いて行くことにしました。

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ここには、(オート)キャンプ場、野球場(サッカー場)、ホール、遊歩道などの施設があります。上と下、TOPは「第2オートキャンプ場」で由良川の向こう岸を歩くために少し逆方向に戻ります。

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「蔵王橋」の上から由良川 「芦生原生林」から流れてきました。

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振り返って見ると

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橋を渡ったところに「蔵王権現」があります。創祀は不詳ですが古くより蔵王権現として崇敬されていました。明治の神仏分離から戦前までの時期は「河合神社」と呼ばれたそうです。

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蔵王権現は日本独自の仏で、修験道の本尊(吉野の金峯山寺の本尊)で、安閑天皇と同体とされるそうです。

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知井八幡宮・佐々里八幡宮とともに知井九ヶ村の神社であつたが、明治9年に境内地をこの場所(中村)に永代譲渡し、中村の崇敬社になったそうです。

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由良川に沿って府道(京都広河原美山線)を歩きます。

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先ほど通ったオートキャンプ場

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途中に階段式の「魚道」が設けられています。サケやアユなどが遡行するそうです。

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府道と交差する旧道 知見に向かいます。

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自然文化村の西端にあるドーム。「出合橋」は沈下橋で、増水すると水に潜るそうです。由良川には沈下橋がいくつもあるそうです。

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府道沿いには桜や紅葉の並木が何か所かあります。

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バス停(南丹市営バス、下中)

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「曹洞宗 医王山 継福禅寺」 とあります。  

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葉が落ちていたので写真は載せませんが、桜並木があちこちにあって春は壮観だと思います。

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このあたりで流れが急になって、ちょっとした渓谷です。

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ところどころにかやぶき屋根の家が見えてきます。

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宝篋印塔(ほうきょういんとう) 明応4年(1495)の銘がありかなり古いものですが、真新しいお供え物がありました。ここから府道と別れ、山沿いの旧道を行きます。

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このあたりの旧道は川から離れた山沿いを通っています。かやぶきの里の東のはずれです。

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向こうの紅葉のところを府道が通っています。

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「かやぶきの里」が見えてきました。

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2015年11月15日 (日)

2015 紅葉 嵐山 野宮神社から竹林の道 亀山公園へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は天龍寺の北門から出て竹林の道を歩きます。

先ず、野宮神社から 野々宮神社
野宮神社 (ののみや神社) 伊勢斎宮・源氏物語旧跡
平安遷都後、嵯峨野に野宮(ののみや)という社ができました。野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が、伊勢へ行かれる前、1年間ここに籠って精進潔斎、身を清められる習わしがあったところです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。

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良縁祈願、若い人、カップルで賑わう所ですが、朝早く訪れたので少ないですね。

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「じゅうたん苔」  いつも青々しています。

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竹林を通り抜けます。竹林の道はbamboo forestとして海外の人にも大人気。

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時間は9時・・・まだまだ人は少ないです。

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向こうに紅葉の色が透けて見える所は天龍寺です。

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竹林に入ると空気が変わったように感じます。新鮮で神聖な感じ。

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今年の紅葉の見ごろは平年より1週間以上早いそうです。(撮影:11日)

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伏見稲荷大社の真っ赤な鳥居のトンネル、こちらは緑のトンネル。どちらも外人さんにも大人気。

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この日の目的は嵐山ではなく、紅葉の見頃の「美山・かやぶきの里」なのです。

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JRの園部から出ている「美山・かやぶきの里巡りのバス」(1日1本・予約制)出発までの時間、早朝の天龍寺界隈にやって来ました。(今、天龍寺は7時半開門)

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竹林の隙間から見えるJR山陰線・嵯峨野観光線。ちょうどトロッコ列車が通っています。

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竹林を抜けて亀山公園。

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トロッコ列車は通り過ぎたばかり、嵐山も色付き始めています。見頃はもう少し先のようです。

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「星野や」も紅葉の中

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2015年の京都の紅葉は続きます。

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中腹に大悲閣が見えています。(まだ行ったこと無いです)

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2015年11月14日 (土)

天龍寺 秋の庭園巡り

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

天龍寺の方丈からの景色を見た後、庭園を散策しました。庭園の入口

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大方丈の東庭 天龍寺は勅使門から大方丈までの伽藍が東向きに並んでいます。

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唐門

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庭園の参拝順路は大方丈の東から西に回ります。向こうに西庭の「曹源池庭園」が見えます。

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室町時代の開山・夢窓国師が作庭した池泉廻遊式庭園で、国の史跡・特別名勝に最初に指定されました。

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この地にはかって亀山上皇の離宮があり、その庭を晩年の夢窓国師が改修したといわれます。西(正面)は亀山、南(左)は嵐山を借景としています。

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池に中之島はなく、石群で鶴島(正面)と亀島(右)を造っています。中央の岸には石組で滝(龍門瀑)を造り、江戸時代には水を流していたそうです。

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龍門瀑は中国の故事・登竜門にならっています。滝は三段となっていて、通常は滝の下に置かれる鯉魚石(りぎょせき)を中ほどに置き、龍になる直前の姿を表しています。

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滝を登る鯉の姿を、悟りを開くための厳しい修行の励みとしたそうです。

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曹源池の名は、夢想国師が池の泥をあげたとき「曹源一滴」と刻まれた石碑が現れたことにちなんでいます。

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禅の初祖・達磨大師から六代目、曹渓山宝林寺の六祖慧能禅師によって禅は栄え、五家七宗の禅宗の法脈が生まれ、さらに二十四流に分かれてますます盛んになったそうです。

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これから、禅法は曹渓の一滴の源泉から栄えたとして「曹源の一滴水」という禅語ができました。

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小方丈から渡り廊下が多宝殿まで続いています。

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廊下の右には祥雲閣や甘雨亭の茶室があります。中庭は「大堰川」などがあり嵐山を表現しています。

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多宝殿 昭和9年(1934)に建築され、後醍醐天皇の尊像を祀ります。

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ここは、亀山上皇が離宮を営んだときに、幼少の醍醐天皇が学問所とした場所です。建物は、後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿の様式を伝えているそうです。

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山沿いの道を行くと

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山の中腹に登る道があります。

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木の間から市内が見渡せます。比叡山から大文字山あたり。

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こちらは北山?

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下の道に降ります。

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多宝殿から北門までの道沿いは「百花苑」とよばれ、昭和58年に北門の開設と同時に整備された庭園になっています。

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平和観音 観音像は中国から伝来したとされ、夢窓国師は観音菩薩を篤く信仰していたそうです。

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観音像の前の「愛の泉」 地下80mから湧くこの水を口に含むと愛と幸を授かるとか。でもコインがいっぱいで、口にするのは無理かも。

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「硯石」 明治32年(1899)に鈴木松年が法堂に雲龍図を描いときに使ったもので、60人の僧がこの硯で墨をすったといいます。

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北門から竹林の道に出ました。

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2015年11月13日 (金)

天龍寺 方丈から見る秋の庭園

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

紅葉が色づき始めたと聞いて、朝早く天龍寺を訪れました。この地は、平安時代の初めに檀林皇后(嵯峨天皇の皇后橘嘉智子)が開創した日本初の禅寺・檀林寺があった場所です。(上と下は総門で東向きです。)

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檀林寺が廃絶した後、鎌倉時代に後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、その後、亀山上皇が離宮「亀山殿」を建てました。後の後醍醐天皇もここで幼少期を過ごしたそうです。(中門)

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南北朝時代、後醍醐天皇は夢窓疎石を開山として亀山殿内に臨川寺を建立しました。(勅使門)

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後醍醐天皇没後の暦応2年(1339)に、その菩提を弔うため、足利尊氏が夢窓疎石を開山として、開いたのが天龍寺です。(庫裡は明治32年の建立。)

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造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進しましたが造営費用には足りず、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開し、その利益を造営費用に充て(天龍寺船の始まり)、康永4年(1344)に完成しました。(庫裡を入ったところが拝観受付。)

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南禅寺を五山の上にして、天龍寺を五山の第一位とする位置づけは以後長く続きました。下の写真の大方丈は明治32年(1899)の建設で天龍寺最大の建物。内部は入れません。

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方丈前庭(東庭) 大方丈の本尊は釈迦如来坐像(重要文化財)で、平安時代後期の作とされ、天龍寺の造営よりもはるかに古いものです。(正面は唐門。)

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本尊は、天龍寺が受けた8度の火災にも罹災せず、天龍寺に祀られる最も古い仏像とされます。大方丈の東側は広縁とその外に落縁が設けられています。

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東側から西庭が見えます。

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こちらが南側、向こうは禅堂。

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大方丈の南側には花壇があります。

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西庭の「曹源池庭園」 明日庭に降りますので説明はその時に。

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こちらからも東庭が見えます。

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池の周りの木が色づいてきました。

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縁側に沿って小方丈の方に行きます。

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植木の手入れをしていました。

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開門直後だったのでほとんど人がいません。

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小方丈から北西に延びる回廊に沿って「多宝殿」まで行けますが、後で庭から行くことにします。

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小方丈は大正13年(1924)の建築で、中に入ることができます。ただし、ここで寝転がってはダメと、あちこちに書いてあります。

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この時は襖を取り払っていましたが、小方丈は書院で2列に部屋が並んでいて、来客や接待、様々な行事、法要などに使用されるそうです。(西側)

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こちらが南側

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朝早く来たので、初めてこの場所から誰も映らない写真が撮れました。

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前管長・平田精耕老師による達磨図

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2015年11月12日 (木)

京都御苑の秋 九條池あたり

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日から秋景色を求めて高野川と鴨川を下って来ましたが、夕方近くになったので京都御苑の中を通って帰宅することにしました。丸太町橋から西に行って最初の入口が「富小路口」です。

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御苑に入って、九條池を目指して西に行きます。この通りの東に仙洞御所があります。このあたりは何度も記事にしていますので、以下では特に説明はありません。

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東の方角

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「境町御門」 外から写真を撮りました。

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九條池北の木立

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「九條邸跡」

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「厳島神社」(TOPの写真も)

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左が「拾翠亭」

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こちらは九條池の東側

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「建礼門前大通り」

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もう一本西の通りに向かいます。向こうの右手に「閑院宮邸跡」の門が見えます。

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「間ノ町口」を入った正面に来ました。京都御苑の南西の角にあります。

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一番西にある南北の通りに来ました。宗像神社の西の鳥居

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「天寧寺美生流」の奉納だそうです(最後の写真も)。

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本殿

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宗像神社の西の鳥居の正面は「椹木口」です。左は閑院宮邸跡と京都御苑の管理事務所(環境庁)です。

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北側は「住宅地」だそうです。

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2015年11月11日 (水)

鴨川 秋景色

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日までの記事で、高野川から出町三角州まで来ました。そこから河原の秋景色を見ながら、鴨川の西岸を下っていきます。上は賀茂大橋、↓は「鴨川公園」の石標、他にもあちこちで見かけます。

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昨日の記事でも書いたように、昭和10年の大水害を契機として鴨川の河川敷が整備され、現在は「鴨川公園」として京都府が管理しています。

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特に、丸太町橋から柊野にかけては、芝生や運動広場が多く設けられ、様々なベンチや遊具が設置されています。

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一方、竹田橋周辺から小枝橋までの下流は、主に散策の場として緑地と散策路が設けられています。向こうに大文字が見えます。

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昭和10年(1935)6月29日の未明に発生した鴨川水害では、流域の37.2平方キロが浸水し、死者12名、負傷者71名、家屋の全半壊482戸の被害が出ました。

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この水害では鴨川の堤防はかろうじて決壊を免れましたが、以下のような経緯で被害がさらに拡大しました。

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鴨川にかかる26橋のうち15橋が流失して、当時コンクリートアーチ橋の四条大橋に上流の流出した橋が引っかかり、川の流れをせき止めてしまいました。

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あふれた水によって、先斗町や宮川町が浸水し、鴨川と平行して走っていた京阪本線の路盤を流失、駅舎やホーム、琵琶湖疏水の団栗閘門を破損しました。

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さらに朝には団栗橋・松原橋・五条大橋を倒壊させて正面橋をせき止め、さらに大きな被害を出しました。

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右に「今出川分水路の放水口」が見えます。増水した白川の水は、今出川通から鴨川左岸の地下を流れ、ここから鴨川に放水されます。

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上の水害を契機に、琵琶湖疏水の暗渠化、塩小路橋付近の水力発電所建設、京阪線の地下化などを含む大規模な河川改修事業が計画されました。(府立医大付近)

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戦争による中断や京阪線地下化・疏水の暗渠化は中止されましたが、昭和22年(1947)に鴨川の工事は終了しました。

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この工事では、2m近く川底が掘り下げられ、五条大橋から塩小路橋間の京阪線の緑地帯を撤去して川幅を拡張し、落差数十cmの堰を多く設けて、流れの速度を抑制する現在の鴨川の姿になりました。

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その後、京都市の交通渋滞緩和策として京阪線の地下化が再び本格化して、1979年に着工、1987年5月に地下化が完成、翌年5月に川端通が開通しました。荒神橋

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後に、鴨川西岸の先斗町などは道幅が狭く、火災発生時に消防車の進入ルートを確保するために、緊急車両が通れるように御池通から五条通にかけての河川敷が整備されました。

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将軍塚の青龍殿

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水害対策のために整備されて公園となっている鴨川の河川敷は、「高水敷(こうすいじき) 」というそうです。高水敷は、常に水が流れる低水路より一段高い部分の敷地のことです。

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平常時にはグランドや公園など様々な形で利用されていますが、増水時にはより高い堤防によって水があふれるのを防ぎ、高水敷は水に浸かるようになっています。丸太町橋

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実際に何度か水に浸かっているのを見たことがあります。

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向こうに戎川発電所を通った「琵琶湖疏水の放水口」があります。大部分の琵琶湖疏水は放水口の手前で南に向きをかえ、「鴨川運河」として伏見まで流れていきます。

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ところで、昭和11年から始まった鴨川の改修工事の答申書では、京都を「本邦唯一ノ国際的観光都市」と位置づけ、鴨川を「京都ノ優雅ナル情景ヲ保持シツツアリ」としました。右は「みそそぎ川」 以前の鴨川の水面もこの高さだったそうです。

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そして、工事に当たっては「風致維持ノ関係上相当ノ考慮ヲ必要」として、自然石を使用して、コンクリートの露出を避けるなど、景観に配慮して進められました。(少し戻って、丸太町橋の上に上がりました。 下流は二条大橋。)

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昭和11年といえば、満州事変から日中戦争が始まる前のきな臭い時代でしたが、今日の京都を予見していたかのように、「先見の明」があったといえます。こちらは上流。

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2015年11月10日 (火)

出町三角州 秋景色

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事では、高野川の西岸を下って河合橋まで来ました。橋をくぐると出町三角州に出ます。向こうは加茂大橋。

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以下では、このあたりの歴史を振り返りながら歩くことにします。「出町」とは西岸のあたりの古い地名で、かっては京都町の北東の端でした。(あちこちから楽器の音が聞こえてきます。)

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叡電の駅名となっている「出町柳」は、「出町」と東岸の古い地名「柳」を合わせたことばです。今でも、上柳町、下柳町など「柳」のつく地名が残っています。

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昭和の初めごろまで、京都の市街地は、北は鞍馬口通あたり、東は鴨川まででした。鴨川の東は農村地帯で地名も「村」が付きました。

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出町からは三つの街道(若狭街道、鞍馬街道、山中越)が出ていて、京の北の玄関口でした。いろんな産物が集まり市場町となり、その歴史が今の「出町商店街」に引き継がれています。

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このあたりにある橋を「出町四橋」といい、加茂大橋、河合橋(右)、出町橋(左)、葵橋(出町橋の上)です。

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明治時代以前には三角州が今より短く、高野川と賀茂川は出町橋・河合橋のあたりで既に合流していました。そして「出町橋」が出町と出町柳を結んでいました。こちらは鴨川の西岸

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大正時代になると三角州が伸びてきたので、大正7年に出町橋を今のような出町橋と河合橋に分ける工事が行われました。

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大正10年の水害で葵橋が流出してしまいます。それは復旧されず、新しくできた出町橋を「葵橋」と呼ぶことになりました。出町橋の上から

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向こうに見えるのが葵橋(昨日の記事で”葵橋”と書いたのは”御蔭橋”の間違いでした。)

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一方、大正時代の都市開発で今出川通が幹線道路となります。それまでは細い通りで、東は河原町の伏見宮家の屋敷で終わっていました。カラスも川で餌を探していました。

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昭和6年に屋敷を撤去して加茂大橋が造られ、ようやく今出川通の東西が貫通しました。設計は京都大学教授の武田五一で、橋の欄干が石燈篭となっているなど斬新なデザインでした。

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昭和10年の集中豪雨で鴨川が氾濫して、無事だった橋は5つだけといいます。出町橋(葵橋)と河合橋も流され、コンクリート製の加茂大橋に引っかかっていたそうです。

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昭和13年に河合橋が復旧し、出町橋(葵橋)は昭和29年にコンクリート製となるまで何回か流されたそうです。

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昭和31年に市電専用の葵橋が現在地にできます。昭和35年には通常の橋となり、河原町通と下鴨本通が南北につながりました。そのとき、葵橋と出町橋が現在の名前に戻されました。

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昭和10年の水害を契機として、鴨川の川底を約2m掘り下げるなど河川の大改修工事が行われました。河川敷を緑地化して、運動広場や芝生地が造られました。

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堤防上にはサクラやマツ、カエデ、ムク、エノキなどが植えられ、今では老木の並木として鴨川の秋を彩っています。

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2015年11月 9日 (月)

高野川 秋景色

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

いつの間にか、高野川の桜が紅葉していました。とりあえず、出町の三角州を目指して高野川を下ります。上と下の写真は、蓼倉(たでくら)橋から.。

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高野川の左岸(東岸)の土手は、春には桜の名所になります。出町柳から松ヶ崎橋のあたりまで、ソメイヨシノを中心として約330本の桜が植えられています。

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東岸の桜を見るために、西岸の河原を歩きます。土手にはススキが群生していました。

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ススキの間にセイタカアワダチソウが生えていましたが、背も低くかっての元気はなさそうでした。

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向こうは御蔭橋

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こちらは蓼倉橋

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高野川もいたるところに鴨とサギがいます。

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土手が落ち葉で赤くなっています。

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御蔭橋の下

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今来た方向を振り返って

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足の動きがカワイイ!

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お食事中

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白鷺が片方の足で水の中をかき回しながら歩いていました。ドジョウすくいのように魚をおびき出しているのかも知れません。

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河合橋 出町の三角州まで来ました。

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2015年11月 7日 (土)

広隆寺 秋深まる境内

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

秋晴れの日、広隆寺に行ってきました。上の楼門は江戸時代(1702年)の建立。仁王像は室町時代の作。

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広隆寺は京都最古の寺で、飛鳥時代(603年)に渡来人氏族の秦河勝が聖徳太子から賜った弥勒菩薩像を本尊として蜂岡(はちおか)寺を建立したのが始まりとされます。そして、622年には、堂塔、伽藍が完成しました。

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一方で、同年(622年)に聖徳太子が亡くなり、その供養のために創建されたという記録もあります。この違いについて、20年近くかけて聖徳太子を供養する寺が完成した、あるいは、二つの寺が後に一つになったと解釈されています。境内はすっかり秋らしくなっていました。

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「講堂(赤堂)」(重要文化財) 永万元年(1165)に再建され、後に改造、修理されていますが京都市内に残る数少ない平安建築の一つです。本尊の阿弥陀如来坐像(国宝)、右に地蔵菩薩坐像(重要文化財)、左に虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)を安置しています。

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平安時代(1165年)に再興された鐘楼、在銘鐘は西本願寺に移されたとされ、現在の鉄鐘(重要文化財)は、鎌倉時代(1217年)に秦末時の寄進とされます。  

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「薬師堂」  安置されている木造薬師如来立像(平安時代前期)は、通常の薬師如来像と異なり、女神の吉祥天像のような姿の吉祥薬師像だそうです。

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能楽堂

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「地蔵堂」 平安時代後期の作で「腹帯地蔵」と呼ばれている木造地蔵菩薩坐像を安置していまする。

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講堂を横から 

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「上宮王院太子殿」 享保15年(1730年)に建立され、広隆寺の本堂に当たります。本尊として聖徳太子立像を祀ります。太子が秦河勝に仏像を賜った時の33歳の像で、下着姿の像に実物の着物を着せています。

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「井戸舎」 手水舎ですが、井戸水を汲んでいるそうです。

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「太秦殿(河勝殿)」 1843年に建立され、秦河勝夫婦を祀っています。

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本堂の聖徳太子立像の衣は、重要儀式の際に天皇が着用する黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)です。広隆寺では、平安時代から現代まで歴代の天皇から下賜された袍を着せるなわわしが続いているそうです。本像は秘仏で、11月22日のみ開扉されるとのことです。

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本堂の西にある「書院」と「庫裡」、その向こう(左)には「桂宮院」があります。桂宮院は建長3年(1251)頃の建立とされ、本堂(国宝)は法隆寺夢殿と同じ八角円堂です。

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桂宮院の本尊は聖徳太子半跏像(鎌倉時代、重要文化財)で、現在は霊宝殿に移されています。桂宮院の建物は通常非公開です。

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本堂横の道をさらに北に行きます。

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庫裡の入り口 右は霊宝殿の拝観受付

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「左桂宮院」と書いてあります。桂宮院は、4、5、10、11月の日曜・祝日のみ公開されるそうです。

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「弁天社」 かっての弁天池は、現在の境内から北の「大酒神社」まで広がり、東西40m、南北30mで中島は直径12m、水面から1.5mの高さがありました。

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この池が宅地造成のために埋め立てられることになり、昭和52年(1977)から行われた発掘調査で、中島から平安時代後期の経塚群「弁天島経塚」が出土しました。

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本堂横

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正面は「旧霊宝殿」  1922年の聖徳太子1,300年忌に建設され、現在は非公開となっています。

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右手の道を行くと「新霊宝殿」があります。仏像を中心とした広隆寺の文化財を収蔵展示する施設で、1982年の建設。国宝の弥勒菩薩像2体、十二神将像などが安置されています。

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久しぶりにここの仏像に会えて満足しました。内部は撮影禁止ですが、正面の庭(本堂の北庭)は黄色に色づいていました。

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この池も、かっての弁天池の名残だと思われます。

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広隆寺では「境内すべて お堂に向いての正面撮影が禁止」となっています。問い合わせたところ、お堂の前で仏さまにカメラを向けることを控えて欲しい、遠くから建物だけを撮るならよいとのことでした。

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ところで、広隆寺の建立にかかわった秦河勝は聖徳太子の側近として高い地位に昇りつめました。また、秦一族は大陸の先進技術を日本に伝え、この地(太秦)で産業・文化を発展させました。

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後の平安遷都では、秦氏が築いた一大勢力と経済力が大きな役割を果たしたといわれています。

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明日は、もう一つの秦氏ゆかり場所を訪ねます。

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