2015 紅葉 4

2015年12月18日 (金)

厭離庵 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一月ほど前になりますが、清凉寺を訪れたあと厭離庵に来ました。例年ならば数本ある楓が真っ赤になっているのですが、ほとんど紅葉していませんのであしからず。「厭離庵(えんりあん)」は臨済宗天龍寺派の寺院です。

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この地は、かって藤原定家の小倉山荘跡で、定家が百人一首を撰したところといいます。山門を入ると、定家の「時雨亭」にちなんで、1923年に建てられた茶席「時雨亭」の待合があります。

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小倉山荘は後に荒廃しますが、江戸時代中期に令泉家が修復しました。茶室の「時雨亭」まで飛び石が続いていますが非公開です。

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安永年間(1772-1781)には、霊元法皇により厭離庵の号を贈られ、霊源慧桃禅師を開山として臨済宗天龍寺派の寺院となりました。(拝観順路は待合から石段を上ります。)

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その後再び衰え、明治に入り山岡鉄舟の娘の素心尼が住職となり再興し、以後は尼寺となりました。下は庫裡。

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明治時代末には、実業家・大村彦太郎により、仏堂と庫裡が建立されました。庫裡の西に書院があります。

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書院の西から石段を上ったところに本堂があります。本尊として上宮太子作とされる如意輪観世音像を祀っています。上宮太子とは聖徳太子の別名です。

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本尊以外に、霊源禅師、西行法師、紀貫之木像、藤原定家、子・為家、孫・令泉為相の位牌を安置しています。

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本堂はジェーン台風(1950年)で倒壊した後、1953年に岡田永斉により再建されました。永斉は裏千家出入りの数寄屋大工です。

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本堂から書院の西に戻ります。面白い形の手水鉢。

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西庭に定家の塚があります。

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「柳の水」 この水で定家が和歌を書き為家も愛した井水とされ、現在も枯れずに残っています。

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順路は書院の南庭に向かいます。

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枯川があります。

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周囲には灯籠や歌碑が点在しています。

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庭から見る書院

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南庭の門

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南庭の端に石塔が並んでいます。

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これも飛石です。

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平成18年からは男性僧侶が庵主となったそうです。

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藤原定家の山荘「小倉山山荘」や「時雨亭」は、常寂光寺やニ尊院もその跡地だとしています。いずれも近い位置にあるので、このあたりであったということだけは確かなようです。

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厭離庵は紅葉の時期(11月から12月初旬)だけ公開しています。外国人の方が目立ったのはちょっと意外でした。

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2015年12月16日 (水)

糺の森 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事で下鴨神社の社殿を見た後、橋殿の裏の門から境内(糺の森)に出ました。ここから「御手洗川」は「ならの小川」と名を変え、流路が二つに分かれます。

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東西にならの小川が流れる中州は「舩島(ふなしま)」と呼ばれ、発掘調査によって祭祀跡(奈良社)が発見されました。周囲から奈良時代後期の土器が出て、西岸には細い参道跡が見つかったそうです。

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また、南からは井戸跡が見つかり、神社の記録(836年)にある雨乞の儀式が行われた跡ではないかと考えられるそうです。「鴨の七不思議」には、戦乱や旱魃にのときにこのあたりの水を掻き回すと、小石が跳ねて世相が落ち着くという

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舩島の南は、北から下鴨神社の東を流れて来た「泉川」が流れ、このように川が合流する地点は清浄で神聖な場所と考えられてきたのだそうです。

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泉川沿いの散策路を行くと、もう一つの古代祭祀跡があります。糺の森では平安遷都以前、縄文時代の遺跡も見つかっています。2001年から始まった発掘調査では、平安時代後期の方形状の祭壇遺跡が発見され、

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そのうちの二つを復元したものが下の写真です。建物の基礎に川原石を多用する工法は平安時代後期の天皇や上皇の建物に見られるそうです。

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石敷きの上に建つ二つの建物はそれぞれ、泉川とならの小川に面していることから、何らかの水に関した祭祀が行われたと推測されるそうです。(下は露出している石敷き。)

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境内を東西に横切る道で散策路は終わります。下は泉川にかかる橋。

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この東西の道を西に行くと、表参道と平行な馬場に出ます。ここではならの小川は「瀬見の小川」と名を変えます。このように川の名前が変わるのは、かって存在した4本の川の名を復活させたからです。

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4本の川の水源は、松ヶ崎付近の高野川(泉川)と御手洗池の湧水の二つしかなく、御手洗側が名を変えたならの小川も途中で泉川の水が加わっています。東西に横切る道は通学路になっているようです。

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馬場の南の方

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「第一蹴(しゅう)の地」 日本のラグビーは、明治33年(1899)に英国人E.B.クラークが慶応大学で指導したことに始まるそうです。慶大生の真島進がこの近くに下宿していた親戚の三高生・堀江卯吉を訪ね、その友人たちとこの馬場で練習しました。

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これがきっかけとなり、明治43年(1910)三高に国内2番目の蹴球部ができます。翌年には二校が対戦して、これが日本人同士の最初のラグビー試合でした。この碑は 三高蹴球部OBによって、昭和44年(1969)に建立されました。(私は蹴鞠発祥の地だと思っていました。)

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表参道

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馬場の西の道は「古馬場」で、奈良時代以前から平安時代後期まで使われたそうです。

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「鴨社神宮寺池跡」 かって河合神社の北に嵯峨天皇が建立した「神宮寺」があったそうです。

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本尊・本尊十一面観音および不動明王を祀り、鎌倉時代には本堂、経所、経蔵、待賢門院請願の西塔などがありました。

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明治時代の廃仏毀釈によって寺は壊され、今では森の中に基壇と礎石3個、この池跡が残るだけになりました。

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馬場の端に近づいてきました。

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2015年12月15日 (火)

下鴨神社 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

12月中旬になりましたが、下鴨神社の紅葉が見頃とのことで行ってきました。下鴨神社・糺の森は、紅葉が一番最後になるといわれていますが、今年は特に遅かったようです。御蔭通から入りました。

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毎年のように出かけていますが、それほど綺麗な紅葉に出会ったことがありません。楓以外に沢山の種類の樹木があって、あまり紅葉が目立たずそれも色がすっきりしないのです。(振り返って)

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ところが、今年は意外に綺麗な紅葉でした。よく見ると、既に他の落葉樹の葉が落ちていて、日当たりがよくなっていました。

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表参道にある二番目の鳥居が見えてきました。

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茶店「さるや」 かって下鴨神社の門前菓子といえば、「みたらし団子」と「申(さる)餅」でした。数年前に神社と「宝泉」が協力して休憩所を設け、申餅と豆茶を販売しています。

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南口鳥居

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「相生社」 男女の縁をはじめとする様々な縁結びの神だそうです。

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楼門

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「橋殿」から 下に御手洗川が流れています。

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「井上社」 別名を「御手洗(みたらし)社」といい、災難厄除けの神様です。この日は木が枯れていて真正面から写真が撮れました。

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何故か外国人の方が多いところです。

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このあたりに大きな銀杏の木があります。既に葉が落ちていて、橋の上に銀杏が・・・

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「中門」 中に幣殿・本殿があります。

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中門から舞殿

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今まで気がつきませんでしたが、摂社・三井神社の門の横に「擬雪」があります。寛政5年(1793)に光格天皇が下鴨神社に参拝した際、遺愛の白玉椿を奉納しましたが、長年の風雪で枯れてしまったそうです。

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平成27年の式年遷宮の奉祝記念として、三井グループから同種の椿が奉納されました。同椿は金工の名手であった後藤祐乗の屋敷(新町鞍馬口・擁翠(ようすい)園)にも下賜され、三井家に保存されていたそうです。

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花は中輪で、半八重咲き、雪と間違えるほ花の色が白いので「擬雪」と名づけられたそうです。下は西参道の鳥居。

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外から

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ところで、「神服殿」の前にあった八咫烏(式年遷宮の行列で活躍した大行灯)が見当たりません。もう撤去したのかと思っていたら、その裏に移されていました。

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まるで、建物の陰に隠れて、こちらに来る参拝客を驚かせているようでした。

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2015年12月14日 (月)

圓徳院 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

高台寺を出て参道入口の向かいにある圓徳院に入りました。圓徳院は秀吉の妻ねねの終焉の地です。下は「長屋門」 敵から攻められた場合に備え右に侍長屋がつながっていて、ねねが住んでいたときの形が残されています。

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慶長3年(1598)豊臣秀吉が没すると、妻ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、高台寺建立を発願します。、

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慶長10年(1605)秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を、この地に移築して移り住みました。それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。(唐門)

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ねね58歳の時のことです。 これが今日の圓徳院の起こりで、ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送りました。(方丈前にある「南庭」)

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方丈は、兄・木下家定がねねを警護するために建立した居館の客殿で、平成6年に解体修理が行われました。庭は奈良国立文化財研究所・故森蘊博士の指導のもとで作庭されたものです。

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ねねの好みに合うように長屋門からこの南庭まで年中できるだけ花や紅葉を愛でられるように工夫されているそうです。路地及び周辺庭園の整備は庭師・北山安夫氏が行っています。

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兄の木下家定とその次男・利房は、亡くなるまでねねを支えました。ねねの没後の寛永9年(1632)に利房の手により圓徳院が建立され、木下家の菩提寺となりました。(方丈の北)

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高台寺の三江和尚を開基に迎え、高台寺の塔頭となりました。ねねの没後9年目のことです。(方丈南庭が見えます。)

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方丈と庫裡の間の坪庭

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渡廊下の下は「ねねの小径」 ねねの道から石塀小路に抜けられます。

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北書院に来ました。「北庭」はもともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園のひとつです。

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賢庭の作庭で後に小堀遠州が手を加えたとされ、国指定名勝になっています。

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「桧垣の手水鉢」 室町時代作とされる宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢としたものです。左の茶室では季節により、お茶席が開かれます。

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圓徳院のHPには「池泉回遊式ですが枯山水となっています」と書いてあります(どういう意味なのか分かりません)。

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庭の東北部(上の写真の左)を基点として枯滝石組を構成し、築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数群展開させ、一部に蓬莱石組を作っています。

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橋を構成しているのはかなりの巨石です。このように多数の巨石がふんだんに置かれている庭は珍しく、桃山時代の豪華さ、豪胆さを表しているとか。

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出口の付近からも北庭が見えます。ここから見ると瀧石組から続く溝が深くてかって水が流れていたように見えます。池泉回遊式で枯山水とはこのことかも知れません。

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拝観出口の木戸の外は「三面大黒天」の境内になっています。三面大黒天は、秀吉の念持仏、守り本尊で、大黒天・毘沙門天・弁財天の三つの顔を持つ尊像です。

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それぞれ、福の神、勝利・子宝の神、学問・芸術の神なので、これらの三天合体神を一度拝めば、福、健、徳の三つのご利益が得られるとされています。(三面大黒天御堂は京都御苑から移築したものです。)

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毎月3日の縁日には、秀吉が夢が叶う毎に瓢箪を集め千成瓢箪とした史実にちなんだお参りが行われます。まず、下の「歌仙堂」で瓢箪の形をしたお札に願い文を書きます。

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願い文を瓢箪の形をした手水鉢(奥の方)の水に浮かべると、お札は瓢箪に抱きとられるように溶けて沈み、「三面大黒天」の字だけが水面に漂うそうです。手水鉢に抱きとられた願い文は住職の手で集められ、瓢箪の型に流し込まれ祈願法要されます。

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そして型から取り出された願い文の瓢箪は、三面大黒天と共に奉られます。願い文の瓢箪が千成瓢箪になると、大法要をするそうです。

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ねねの道に出ました。

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2015年12月13日 (日)

高台寺 方丈から庭園へ 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事で高台寺の方丈まで来ました。かって伏見城の遺構を用いた「大方丈」と「小方丈」がありましたが火災で焼失、大正元年(1912)にこの方丈が再建されました。本尊の釈迦如来坐像(宝冠釈迦)を安置しています。

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方丈を出て庭に下ります。小堀遠州の作庭とされる池泉廻遊式庭園で国の史跡・名勝。左の渡廊下には秀吉遺愛の観月台、手前に鶴島、東山を借景とした蓬莱山水の庭園です。

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拝観順路は方丈前庭の横を通ります。左(南)に勅使門、西に唐門、南西隅に枝垂桜があります。この日は立砂と大きな円弧上の波紋を造っていました。

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枯山水庭園の東には広い苔地があり、草木が植えられています。

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方丈の東門を出て左手に、、

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中門があり、その先が開山堂です。

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「開山堂」(重文) 高台寺第一世の住持、三江紹益禅師(1527~1650)を祀る塔所です。

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左手は「偃月(えんげつ)池」 ここからは見えませんが、渡廊下の向こうに亀島があります。

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右手は「臥龍(がりょう)池」

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開山堂の左右壇上にはねねの兄・木下家定と家定の妻・雲照院の像も安置されています。下は開山堂と上の霊屋を結ぶ「臥龍廊」。

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礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられています。内部は撮影できません。

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開山堂を後にして、順路に従って山の方に向かいます。ここからは臥龍廊の龍が伏せた姿が分かります。

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ここから山の斜面を上ります。ちなみにこの裏山は「高台寺山」で、東山三十六峰のひとつです。北の峰は東大谷山、南は霊山です。

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ちょと上ったところにある「霊屋(たまや)」(重文) 北政所の墓所で、厨子内に秀吉と北政所の木像を安置しています。須弥壇や厨子には高台寺蒔絵とよばれる華麗な蒔絵が施され、桃山時代の漆工芸美術の粋を集めています。

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開山堂)と霊屋は高台寺建立の際に伏見城から移された建物です。臥龍廊のこちら側はかなり急です。

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霊屋の石段下からさらに斜面を上ります。

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手前は「傘亭」(重文)、向こうは「時雨亭」(重文) 二つの茶室は土間廊下でつながっています。これらの茶室も伏見城から移されたものです。

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時雨亭は伏見城にあったときに、秀吉が時雨のように不意に訪れたことから名付けられ、傘亭と対になっていたそうです。下段の土間は竈があり台所、板間は待合として使われたそうです。廊下の端に上段への階段があります。

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上段の三方が突き上げで開き、伏見城ではここから景色を眺望したといいます。

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茶室には入れませんが、その前からでも西の方は眺望があります。

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順路は、茶室から下りになります。

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途中で竹林になり、

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霊山(りょうぜん)観音の横を通ります。

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山から下りたところに、甘味処の「雲居庵(うんごあん)」があります。

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鬼師・美濃邉恵一氏が鬼瓦で制作した「龍の頭」 3年前の夜間特別拝観で波心庭の白砂に置かれ「大海を泳ぐ親子龍」として話題になった作品です。

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順路の最後にちょっとだけ波心庭が見えます。

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2015年12月12日 (土)

ねねの道から高台寺へ 2015秋 お知らせも

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

長楽寺を出て、ねねの道を通って高台寺に向かいました。右は丸山公園、左は大谷祖廟、どちらもかって長楽寺の寺域でした。

記事の途中に---お知らせ---があります。読んで下さいね。

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「長楽館」 明治42年(1909)「煙草王」と呼ばれた実業家村井吉兵衛の迎賓館として建築された洋館(京都市有形文化財)、現在はカフェ・レストランになっています。平成20年にはホテル棟も建設されました。長楽寺と参道の両端で向き合っています。

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大谷祖廟の参道

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左に円山音楽堂、右に大雲院龍池会館があります。この道の突き当りを右に曲がります。

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右が「大雲院」 戦国時代の天正15年(1587)正親町天皇の勅命により、織田信長、信忠父子の菩提を弔うために貞安(じょうあん)上人が開山した浄土宗の寺です。信忠の法名に因んで大雲院と名づけられました。

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「祇園閣」 大倉財閥の創始者・大倉喜八郎が別邸を建設して、昭和2年に敷地内に展望台を兼ねた高閣を建てました。その後高島屋の所有を経て、現在は大雲院の所有となっています。

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「ねねの道」 正式には「高台寺道」というそうです。。

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旅館「元奈古」 元奈古とは万葉集に出てくることばで、元来は古い都という意味で、高貴な人々が集い、憩う社交場の名ともいわれています。ミシュランガイドにも載っているそうです。

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茶房「洛匠」 草わらび餅が名物で、涼しげな庭があります。

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高台寺塔頭・岡林院(こうりんいん) 江戸時代初め?1608年)久林元昌が創建、1616年に三江紹益が中興したといいます。丸窓の下にお地蔵様がいます。

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ねねの道沿いにいろんなお店や宿がありますが、人が多くて写真が撮れません。

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「高台寺塔中月真院」 江戸時代初めの元和5年(1619)に津和野藩二代藩主亀井茲政によって建立され、初代藩主政矩の墓所があります。

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この寺は「御陵衛士の最後の屯所」でもあります。熱烈な勤王主義者、伊東甲子太郎(かしたろう)は学問もでき剣は北辰一刀流の名手で、新撰組に入って参謀となりました。

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ところが、隊長近藤勇と意見があわず、慶応3年3月同志14名をつれて新撰組と分れました。孝明天皇の御陵衛士に任命されたのを契機に、同年6月からこの寺を屯所としました。

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それからは薩摩藩の援助をうけ、各藩を廻ってさかんに勤王を説きました。しかし新撰組との対立は深く、同年11月伊東は新撰組に謀殺され、同志3名も斬られて、御陵衛士隊の活動は終わります。

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高台寺の参道に来ました。

「高台寺」は正式には高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉の没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね)が慶長11年(1606)い開創した寺です。寛永元年(1624)には建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号しました。

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当時の政治的配慮から、徳川家康が造営に多大の財政的援助を行ったので、寺観は壮麗をきわめたといいます。(まだ青い葉が多いですが、写真は12月4日なので現在どうなっているか分かりません)

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庫裡 この左側に拝観受付があります。

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庭園に入る前に祇園閣が見える場所があります。

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「湖月庵」 その向こうに「鬼瓦席」があります。

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「遺芳庵」 鬼瓦席と共に、灰屋紹益と吉野太夫好みの、高台寺を代表する茶席だそうです。

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書院

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「偃月池?えんげついけ)」にある「観月台」に回廊がつながっています。

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---------記事の途中ですが、お知らせです---------
明日の12月13日(日)、BS朝日、朝8:00~8:55、
「熱中世代 大人のランキングという番組で、私が撮った写真(清水寺3枚と祇園白川の桜1枚)が使われるそうです。お時間があればご覧ください。

※ゲストはきたやまおさむさんです。

東京・八重洲のアンテナショップ『京都館』の取材で“いま注目している京都の名所ベスト5”の第一位が清水寺だったそうで、写真の依頼を受けました。
写真には「京都を歩くアルバム提供」と書かれます。
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拝観順路は、書院から入り方丈前庭を見るようになっています。

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正面に勅使門、白地の紋様はしばしば変わります。

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塀の向こうはお隣にある霊山(りょうぜん)観音

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2015年12月11日 (金)

長楽寺 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

円山公園の東にある安養寺を出て、前の通りを南に行くと長楽寺の参道に出ます。「長楽寺」は時宗の寺院で山号を黄台山(おうだいさん)といい、洛陽三十三所観音霊場第7番札所です。(狭い参道ですが、右は大谷祖廟。)

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平安時代の延歴24年(805)桓武天皇の勅命によって、伝教大師を開基、大師作の観世音菩薩を本尊として創建されました。

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当初(平安時代)は天台宗の寺で、比叡山延暦寺の別院として建てられ、山号は唐の長楽寺に景色が似ていることに由来するといいます。

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平安時代中頃には勅願寺となり歴代天皇が帰依し、特に宇多天皇により本堂などが整備され、藤原氏をはじめとする当時の貴族が参詣、菩提寺ともなったとの記録があります。拝観受付をすませて、まず「拝観所」に入ります。

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この庭は室町時代に相阿弥が足利八代将軍義政の命により銀閣寺の庭を作る時、試作的に作ったと伝えられます。

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苑内に東山(長楽寺山)をとりいれ、山腹からの湧水を滝として落として苑池としています。

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平家物語の「灌頂巻」によると、文治元年(1185)には高倉天皇の中宮、安徳天皇の生母、建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後、この寺で出家したとされます。

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鎌倉時代(1213年)比叡山衆徒が下山して当寺に立て籠もり清水寺を焼き討ち、南北朝時代(1352年)足利義詮の兵が近江から入り当寺の上峯に布陣したといいます。(拝観所の前にある客殿の「双龍舞閣」)

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室町時代の至徳2年(1385)国阿(こくあ)上人が寺に入り時宗に改宗し、現在に至ります。
本堂は、延歴年間に創立されその後修復・再建されましたが明治18年に廃却、明治23年正伝寺の法堂(桃山城の遺構)を譲り受けたものです。(本堂への石段)

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本尊の准胝(じゅんてい)観世音菩薩は最澄(767-822)作と伝えられます。最澄が唐からの帰国の際に、暴風で難破しかけた船中で示現したという二頭の龍にまたがる観世音を刻んだものといいます。

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歴代天皇が信仰し、勅封の秘仏として、天皇の即位式にだけ開帳されるそうです。洛陽七観音の一つに数えられます。

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「十一重石塔(建礼門院毛髪塔)」 建礼門院は1185年5月に長楽寺の印西を戒師として出家して直如覚と称し、同年10月に大原・寂光院に移りました。

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「鐘楼」 梵鐘は南北朝時代(1378年)および江戸時代(1657年)に鋳造されたという記録があり、「長楽寺の鐘」として知られていました。

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太平洋戦争中に供出されましたが、昭和31年(1956)新たに設計、鋳造されました。大晦日の除夜の鐘は誰でも撞くことができます。

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「平安の滝」 水は「八功徳水」と呼ばれ、専修念仏を広めた隆寛が「嘉禄の法難」で陸奥国配流される際に、ここに青蓮華が生えたといいます。青蓮華は仏や菩薩の目にたとえれるそうです。

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周囲の石壁には平安時代に刻まれた石仏(八体)が組み込まれています。鐘楼や滝は本堂のそばにあります。

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平成20年(2008)に収蔵庫が火災によりほぼ全焼しましたが、一遍木像(重要文化財)を始めとする全ての文化財は住職らによって運び出されて難を免れました。下は再建された収蔵庫です。

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境内の散策路はさらに上に行きます。

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竹林を越えてしばらくすると分かれ道に来ます。右は「尊攘苑」といい、かなり上ったところに尊王攘夷運動が盛んだった水戸藩関係者の墓があります。左の「外史橋」を渡ると、

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「頼山陽」とその親族の墓があります。頼山陽は江戸後期の歴史家・思想家で、著書の「日本外史」は尊王攘夷運動に影響を与え、「日本史上のベストセラー」といわれています。

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頼山陽の墓からの帰り道に見晴らしのよい場所があります。受付で境内の地図をいただき、この場所を教えていただきました。

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下には円山公園の池のあたりが見えます。ずいぶん高いところまで登ってきました。

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かって長楽寺は円山公園の大部分や大谷祖廟を含む広大な寺域を持っていました。江戸時代には、幕命によって大谷祖廟の敷地として寺域を割かれ、明治時代には、残った境内の大部分が円山公園に編入されました。

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ところで、八坂神社の斜め向かいに長楽寺が経営する宿坊「遊行庵(ゆぎょうあん)」があります。誰でも気軽に利用できる宿で、朝食には朝がゆがでるそうです。

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2015年12月10日 (木)

円山公園を溯る 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

八坂神社を出て円山公園に来たら、思っていた以上に紅葉が色づいていました。東山の斜面にある円山公園を上っていくと、ちょっとした歴史散歩になりました。

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かってこの場所は、祇園社(後の八坂神社)、安養寺、長楽寺、双林寺など寺社が建ち並んでいました。池の橋の上から南

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明治維新の廃仏毀釈による寺院の跡地を整備して、明治19年(1886)に京都市初の公園が造られました。橋の上から北

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安養寺の山号・慈円山から「円山公園」と名づけられました。安養寺は江戸時代には円山安養寺あるいは単に円山と呼ばれていたそうです。池の北から写真を撮るために小川を渡ります。

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円山公園は小川治兵衛により作庭された回遊式日本庭園で、昭和6年(1931)に国の名勝に指定されました。

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もう一度、橋を渡って中央の道を溯ります。

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「坂本龍馬と中岡慎太郎の像」 昭和11年(1936)に京都高知県人会有志により建立され、第2次大戦中に供出されましたが、昭和37年に再建。

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この小川の源はもっと上のようです。

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坂が石段になり、その途中に

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小川の湧き出し口がありました。かっては琵琶湖疏水の水でしたが、現在は地下水をくみ上げているそうです。

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さらに石段を上ると赤穂藩医・寺井玄渓の「夢」の碑があります。玄渓は仇討ちの話を聞いて自分も参加しようとしましたが、老体と医者であることから止められ京都に留まりました。

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内蔵助たち旧知の同僚の切腹を知り、「人生ははかない夢のようだ」と感じて、近くの岩に「夢」の字を彫ったといわれています。ただし、これがその岩かどうかは書いてありません。

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かってこのあたりには、安養寺の六つの塔頭、春阿弥、連阿弥、重阿弥、也阿弥、左阿弥、正阿弥があり、「円山の六坊」「六阿弥」と呼ばれました。後に貸席、料亭、ホテルなどに変わり、重阿弥では赤穂浪士が討ち入りを決定した「円山会議」が開かれました。

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「左阿弥」は、明治維新以降の御前会議(天皇が出席する重要会議)にも使われました。現在、左阿弥だけが残り、料亭として営業しています。 

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さらに坂道を上ると、右手に「其中庵(きちゅうあん)」があります。

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初めてでも親戚の家に来たような気持ちになる2組限定の宿とか。朝食のみの片泊りの宿です。

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坂道の正面の「吉水(きっすい、よしみず)弁財天堂」 安養寺の境外仏堂で「吉水さん」とも呼ばれ、かって霊泉が湧いていたそうです。弁天財と共に宇賀神将尊を祀り学術向上にご利益があるとか。

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平安時代後期-鎌倉時代の建久年中(1190-1199)、青蓮寺の慈鎮(慈円)が安養寺を再興した際に、寺の鎮守として弁財天を勧請したのが始まりです。裏に慈鎮の仏塔があります。

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この横にさらに坂道があって

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「天青庵」 数十年もの間無人の家を、陶芸家・原口卓士さん夫妻が改装して数年前にオープンした片泊りの宿です。原口さんの作品が客室にも置かれていて、寛げる雰囲気だそうです。

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隣の「吉水」 料理旅館だった建物をそのままに数年前にオープンした片泊まりの宿です。余計なものを置かず、歯ブラシやタオルはお客が持参、布団の上げ下ろしはセルフサービス、テレビはなく、冷蔵庫も共用のシンプルな宿だそうです。

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もう一度弁財天の前に戻り、さらに一段高いところに水平な南北の道があります。下の道は敷紅葉になっていました。

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南北の道の北に「安養寺」があります。

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平安時代の延暦年間(782-806)に、最澄が開創して吉水坊と称し、平安時代末(1174年)から30数年間法然はここを本拠に称名念仏を興し(吉水教団)、親鸞もここで入信し、両上人念仏発祥の地としても知られています。

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鎌倉時代中頃に起こった「建永の法難」(あるいは承元の法難)によって、法然率いる吉水教団が既存仏教教団から弾圧されました。

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そして、後鳥羽上皇によって専修念仏の停止、門弟4人の死罪、法然と親鸞ら中心的な門弟7人が流罪に処され、安養寺は荒廃してしまいした。

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平安時代末期から鎌倉時代にかけての建久年間(1190-1199)になって、青蓮院の慈鎮(慈円)が安養寺を中興して、天台系に改め青蓮院傘下となりました。

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室町時代の至徳年間(1384-1387)には、国阿(こくあ)と弟子の宣阿が(せんあ)が安養寺に入り、時宗霊山派に改宗しました。

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室町時代の応仁・文明の乱(1467-1477)では廃絶しましたが、その後再興され、安土・桃山時代には豊臣秀吉により寺領が寄進されました。

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明治の廃仏毀釈によって上知となり(1868年)、境内の大部分、伽藍、塔頭の多くが失われ、境内は山の斜面の現在地に移され、本堂、書院、弁財天堂を残すのみになりました。

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もう一度南北の道に下り南に行くと「東観荘」があります。かって安養寺の塔頭の一つがあった場所で、幕末(1860年)に建てられた建物と広い庭園がある老舗料亭です。

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2015年12月 9日 (水)

八坂神社 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

八坂神社に行ってきました。

向こうの鳥居は摂社の「疫(みやみ)社」で蘇民将来を祀ります。蘇民将来は疫病除けの神で、祇園祭の粽(ちまき)の護符には、「蘇民将来之子孫也」と書かれています。

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西楼門からの参道には屋台が出ていて、年末かお正月のような雰囲気でした。

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摂社の「太田社・白髭社」 猿田彦神(さるたひこのかみ)と天天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀ります。猿田彦神は、天孫降臨に際して先導した導きの神。天鈿女命は天岩戸の前で神楽を舞った芸能の神です。

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「蛭子社」 祇園蛭子社あるいは北向蛭子社ともいい、大国主の子である事代主神(ことしろぬしのみこと)を祀り、商売繁盛、福の神としてご利益があるとか。

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振り返って、西楼門から参道

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「大国主社」 大国主命、事代主命、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀り、これらは福の神、縁結び、恋愛成就の神です。ここはお参りの人が多いです。

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社務所

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本殿の西 正面は「神馬舎」。左手前の「大年社」に祀られている、大年神、巷社神、大年神は穀物守護の神、農耕の神です。左奥には伊邪那岐命を祀る多賀社をはじめとする「十社」があります。

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「本殿」 中御座に素戔嗚尊、東御座にその妻神・櫛稲田姫命、西御座に夫婦神の8人の子供・八柱御子神を祀っています。...

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これらの祭神は、祇園祭の神輿渡御で八坂神社から御旅所まで三基の御神輿で遷され、還幸祭では、別のルートを通って八坂神社に戻ります。山鉾巡行は、これらの御神輿の露払いとして街を清める儀式なのです。

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「舞殿」の向こうに「南楼門」が見えます。

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一旦南楼門から出て、「石鳥居」から入り直します。

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「二軒茶屋 中村楼」 創業は室町時代末期とされ、向かいに「藤茶屋」があったことから「二軒茶屋」と呼ばれていました。後に、「藤茶屋」は廃業し、中村楼は料亭を営みますが、北隣には茶屋も残っています。

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向かいの建物?

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「南楼門」

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正面は「舞殿」

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こちらは本殿の東

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「大神宮社(だいじんぐうしゃ)」 祭神は天照大御神と豊受大神です。天照大御神は皇室の祖神で素戔嗚尊の姉神、豊受大神は天照大御神の食事を司る神です。

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「悪王子社」 素戔嗚尊の荒魂(あらみたま)を祀ります。悪とは強いという意味で、荒魂は現実に姿を顕した神の意味だそうです。かっては、東洞院四条下ル元悪王子町にあり、その後各地を転々として、江戸時代にここへ遷されました。

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「美御前社」 多紀理比売命、多岐都比売命、市杵島比売命の宗像三女神を祀ります。素戔嗚尊の持っていた十拳剣を振り漱いで生まれた、美を象徴する神です。右は「美容水」で、江戸時代に天然痘を患った女性の顔を治したといういい伝えがあります。 

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奥に「日吉社」があります。祭神は大山咋神 (おおやまくいのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)です。大山咋神は素戔嗚尊の三世の孫、大物主神は7世の孫で、大国主命の分魂(わけみたま)とされ、京の北東の鬼門を守る方位除けの神です。

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ここまで、目につく摂社を見て回りましたが、その多くが主祭神の素戔嗚尊にゆかりのあることが分かりました。本殿の北には、「刃物神社」、「五社」、「祖霊社」、「厳島社」が並んでいます。これらの説明は別の機会に。

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「東北門」 ここから円山公園に入ります。

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2015年12月 8日 (火)

知恩院三門と友禅苑 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

青蓮院を出て、神宮道を円山公園の方に向かいます。

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知恩院の「黒門」

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正面は華頂通で、 得浄明院(とくじょうみょういん)や華頂短期大学などがあります。下の門は白川の橋のたもとにある「知恩院古門」

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三門の前に来ました。

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こちらは知恩院道で、向こうの門は「知恩院新門」。

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三門の南に「友禅苑」への石段があります。見ると中は紅葉が色づいていたので、立ち寄ることにしました。

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この門の手前に拝観受付があります。

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友禅苑は友禅染の始祖宮崎友禅の生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園されました。門を入ると、目の前に「補陀落池」があります。

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高村光雲作の「聖観音菩薩立像」 が池の中央に立っています。

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西に向かって斜面を下ると枯山水。

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白砂が大河を表しているようです。

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もう一度斜面を上ると

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枯山水の東端に「宮崎友禅斎」の銅像があります。

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「兎門」 東の方にある池泉式庭園の入口になります。

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東山からの湧き水が流れています。

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「華麓庵」 裏千家ゆかりの茶室。

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こちらは付随の建物?

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更に斜面を上ったところに、茶室「白寿庵」があります。

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知恩院第86世・中村康隆猊下の白寿を記念して移築したものだそうです。

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ここから入口に引き返し、三門に向かいます。

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知恩院三門(国宝) 元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠の命を受け建立され、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚、現存の木造建築として最大級の二重門だそうです。

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上層部(楼上)内部は仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像(いずれも重文)が安置されているほか、知恩院の七不思議の「二つの白木の棺」が安置されています。

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将軍家より三門造営の命をうけた造営奉行の五味金右衛門は、立派なものを造ることを心に決め、夫婦の自作の木像を刻み命がけで三門を造りました。

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やがて三門が完成しましたが、工事の予算が超過し、夫妻はその責任をとって自刃したと伝えられています。この夫婦の菩提を弔うため、木像を白木の棺に納めて楼門に置いたのです。

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この話を知ってからは、悲しげな門に見えてしまいます。

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□1 【桜 花】 右京区 嵐山 嵯峨野 | □2 【桜】 御所 市中 賀茂川 高野川 | □3 【桜】 東山区 左京区 疏水沿い | □4 【桜 花】 東山(南) 円山 伏見区 宇治 | □4' 【夜桜】 祇園 高瀬川 他 Gion | □5 【紅葉 2】 吉田山 東山 | □5 【紅葉】 吉田山 東山 | □5' 【紅葉】 哲学の道 寺院も | □6 【紅葉】 嵐山 嵯峨野 洛西 | □6' 【紅葉】 大徳寺 など | □7 【紅葉】 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 | □7' 【紅葉 2 】 三尾(高雄 槙尾 栂尾) | □7' 【紅葉】 三尾(高雄 槙尾 栂尾) | □8 【紅葉】 伏見 宇治 | □8' 【紅葉】 鷹ヶ峰 上賀茂 北区 上京区 | □9 【紅葉】 大原 古知谷 八瀬 | □9'【雪の日】 洛北 洛東 | □9'【雪の日】 洛西 | □ 【紅葉】 市中 下鴨神社 | □ 桜 2 右京 西陣 嵐山 西山 | □ 桜 2 哲学の道 洛北 | □2【雪の日】 洛北 洛東 | □2【雪の日】 洛西 嵯峨野 美山 | □3【雪の日】 洛北 洛東 | □3【雪の日】 洛西 嵯峨野 美山 | □4【雪の日】 洛北 洛東 | □5【雪の日】 洛北 洛東 | ○ 1 京都御苑とその界隈 Imperial Palace | ○ 2 仙洞御所 (特別参観) | ○ 3 桂離宮 (特別参観) | ○ 1 京都御所(特別参観)Imperial Palace | ○ 1 桂離宮 Katsura Imperial Villa | ○ 2 南禅寺・塔頭・水路閣 | ○ 2 天龍寺 塔頭 | ○ 2 建仁寺 塔頭 | ○ 2 東福寺 塔頭 | ○ 3 御所(御苑) 界隈 Imperial Palace | ○ 3 東福寺 塔頭 | ○ 4 東福寺・塔頭 | ○ 5 東福寺 塔頭 | ○0 京都五山 別格 南禅寺・ 塔頭 水路閣 | ○1 京都五山 第一位 天龍寺・ 塔頭 | ○2 京都五山 第二位 相国寺 | ○3 京都五山 第三位 建仁寺 | ○4 京都五山 第四位 東福寺・ 塔頭 | ○5 京都五山 第五位 万寿寺 | ○1 修学院離宮 | ○2 修学院離宮 | ● 1 法然院の四季 | ● 2’ 下鴨神社の四季 | ● 2 上賀茂神社 社家 深泥池 | ● 2 泉涌寺と界隈 | ● 2 法然院の四季 | ● 2 清水寺の四季 Kiyomizu Temple | ● 2 真如堂の四季 | ● 3 泉涌寺と界隈 | ● 二条城と近辺 Nijo-jo Castle | ● 伏見稲荷大社 | ● 北野天満宮 上七軒 | ● 大徳寺・塔頭 今宮神社 | ● 大覚寺 大沢の池 | ● 妙心寺・ 塔頭 他 近隣 | ● 御室 仁和寺 | ● 智積院 | ● 東寺 塔頭 界隈 | ● 東本願寺 | ● 泉涌寺と界隈 | ● 清凉寺(嵯峨釈迦堂)と界隈 1  | ● 西本願寺 | ● 西本願寺 2 | ● 金閣寺 Kinkakuji Temple | ● 銀閣寺 Ginkakuji Temple | ● 黄檗山 萬福寺 | ● 龍安寺 等持院 | ● 1 下鴨神社の四季 | ● 2 大徳寺・塔頭 今宮神社 | ● 2 大覚寺 大沢の池 | ● 2 平安神宮 四季 Heian shrine | ● 2 東寺 塔頭 界隈 | ● 3’ 下鴨神社の四季 | ● 3 上賀茂神社 社家 深泥池 | ★ 2010 紅葉 1 | ★ 2010 紅葉 2 | ★ 2010 紅葉 3 | ★ 2010 紅葉 4 | ★ 2010 紅葉 5 | ★ 2010 紅葉 6 | ★ 2011 紅葉 1 | ★ 2011 紅葉 2 | ★ 2011 紅葉 3 | ★ 2011 紅葉 4 | ★ 2011 紅葉 5 | ★ 2011 紅葉 6 | ★ 2012 紅葉 1 | ★ 2012 紅葉 2 | ★ 2012 紅葉 3 | ★ 2012 紅葉 4 | ★ 2012 紅葉 5 | ★ 2012 紅葉 6 | ★ 2012 紅葉 7 | ★ 2012 紅葉 8 | ★ 嵐山・花灯路 2 | ★ 2011 桜 1 | ★ 2011 桜 2 | ★ 2011 桜 3 | ★ 2011 桜 4 | ★ 2012 雪景色 1 | ★ 2012 雪景色 2 | ★ 2011 雪景色 1 | ★ 2011 雪景色 2  | ★ 2011 雪景色 3 | ★ 2011 雪景色 4 | ★ 2013 雪景色 1 | ★ 2013 雪景色 2 | ★イベント情報 | ★ライトアップ寺院 お祭り | ★東山・花灯路 2 | ★東山・花灯路 3 | ☆ 2012 桜 1 | ☆ 2012 桜 2 | ☆ 2012 桜 3 | ☆ 2012 桜 4 | ☆★ 2015 桜 1 | ☆★ 2015 桜 2 | ☆★ 2015 桜 3 | ☆★ 2015 桜 4 | ☆☆2015 雪景色 1 | ☆☆2015 雪景色 2 | ☆ 2013 桜 1 | ☆ 2013 桜 2 | ☆ 2013 桜 3 | ☆ 2013 桜 4 | ☆ 2013 秋 紅葉 1 | ☆ 2013 秋 紅葉 2 | ☆ 2013 秋 紅葉 3 | ☆ 2013 秋 紅葉 4 | ☆ 2013 秋 紅葉 5 | ☆ 2014 桜 | ☆ 2014 秋 紅葉 1 | ☆ 2014 秋 紅葉 2 | ☆ 2014 秋 紅葉 3 | ☆ 2014 秋 紅葉 4 | ☆ 2014 雪景色 1 | ☆ 2014 雪景色 2 |  時代祭 1 |  1  広沢の池 嵯峨野・田園風景 他 |  1 三千院 |  1 京の山を歩く |  1 京大・界隈 |  1 京懐石 普茶料理 他 |  1 京都の大学を訪ねて |  1 京都の教会 |  1 京都の眺望 |  1 京都クイズ 壁紙・投票 |  1 伏見 御香宮神社 |  1 伏見 稲荷 藤森 鳥羽 |  1 写真集 話題 |  1 吉田山 散策 |  1 周山 美山 北山 京都北部 |  1 地蔵 鐘馗 名水 絵馬堂 |  1 壁紙 Wall Paper |  1 大文字山 五山送り火 |  1 寺町通り (出町から北) |  1 平等院 |  1 庭 夢想国師の庭 |  1 庭 小堀遠州の庭 |  1 庭 小川治兵衛の庭 |  1 庭 相阿弥の庭 |  1 庭 重森三玲の庭 |  1 庭 重森三玲の庭 2 |  1 庭 重森三玲の庭 3 |  1 庭園めぐり・・・洛北 Ⅰ (北部) |  1 庭園めぐり・・・洛北 Ⅱ (東部) |  1 庭園めぐり・・・洛西 Ⅰ (北部) |  1 手づくり市 |  1 植物園 花だより |  1 空 犬・猫・鳥 その他 |  1 糺の森 河合神社 流鏑馬 |  1 車窓から |  1 近代建築を訪ねて |  1 高台寺 圓徳院 |  2  広沢の池 嵯峨野・田園風景 他 |  2 ご挨拶 |  2 三千院 |  2 京の川 鴨川 桂川 高野川 |  2 京大・界隈 |  2 京都の眺望 |  2 京都御苑 御所 Imperial Palace |  2 他府県 |  2 仙洞御所 |  2 伏見 御香宮神社 |  2 伏見 稲荷 藤森 鳥羽 |  2 伏見稲荷大社 摂社 |  2 会席 甘党 |  2 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池 |  2 出町 三角州 川端通り |  2 北野天満宮 上七軒 平野神社 他 |  2 博物館~六波羅蜜寺 大和大路 |  2 吉田山 散策 |  2 周山 美山 北山 京都北部 |  2 地蔵 鐘馗 名水 絵馬堂など |  2 大文字山 五山送り火 |  2 妙心寺・ 塔頭 他 近隣 |  2 寺町通り (出町から北) |  2 平等院 |  2 御室 仁和寺 |  2 御所界隈 梨木神社 蘆山寺 他 |  2 智積院 |  2 東大路通 丸太町通 聖護院 |  2 東山七条 三十三間堂 |  2 松尾大社 梅宮神社 苔寺 |  2 植物園 北山 |  2 比叡山 延暦寺 |  2 清凉寺(嵯峨釈迦堂)と界隈 |  2 清水寺~高台寺 八坂の塔 |  2 滋賀県 福井県 奈良県など近県 |  2 知恩院と界隈 |  2 空 鳥 猫 犬 |  2 糺の森 河合神社 流鏑馬 |  2 西本願寺 |  2 蹴上から南禅寺境内 永観堂 |  2 蹴上まで |  2 車窓から |  2 近代建築 |  2 銀閣寺 |  2 青蓮院 将軍塚 |  2 鞍馬 貴船 |  2 高台寺 圓徳院 |  2 龍安寺 等持院 |  3 ねねの道 八坂神社 石塀小路 |  3 三条 四条 木屋町 新京極 |  3 京の川 |  3 京都駅界隈 壬生 他 |  3 伏見 稲荷 藤森 鳥羽 |  3 八幡市 加茂町 城陽 府下 |  3 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池 |  3 出町 三角州 川端通り |  3 北野天満宮 上七軒 平野神社 他 |  3 南禅寺 塔頭 水路閣 |  3 博物館~六波羅蜜寺 大和大路 |  3 吉田山 散策 |  3 哲学の道 寺院 |  3 哲学の道 疏水沿いの道 |  3 大原 宝泉院 勝林院ほか |  3 大徳寺 今宮神社 船岡山 |  3 大覚寺 大沢の池 |  3 天龍寺 塔頭 |  3 妙心寺・ 塔頭 他 近隣 |  3 寺町通り (出町から北) |  3 岡崎公園 岡崎疏水 |  3 平安神宮の四季 |  3 建仁寺 塔頭 |  3 御所界隈 梨木神社 蘆山寺 他 |  3 智積院 |  3 東大路通 丸太町通 聖護院 |  3 東寺 塔頭 界隈 |  3 東山七条 三十三間堂 |  3 植物園 北山通り |  3 比叡山 延暦寺 |  3 清水寺の四季 |  3 清水寺~高台寺 八坂の塔 |  3 真如堂の四季 |  3 空 犬 猫 鳥 |  3 糺の森 河合神社 流鏑馬 |  3 西山 大山崎 大原野 |  3 西陣 市中 |  3 西陣 白峰神宮ほか |  3 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 |  3 蹴上から南禅寺境内 永観堂 |  3 近代建築 |  3 青蓮院 将軍塚 |  3 鞍馬 貴船 |  3 食事 懐石 甘党 |  4 三条 四条 木屋町 新京極 |  4 上賀茂神社 深泥池 他 |  4 下鴨神社の四季 |  4 京の川  |  4 京都駅 界隈 |  4 伏見 稲荷 藤の森 鳥羽 |  4 八幡市 加茂町 城陽 府下 |  4 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池 |  4 北野天満宮 上七軒 平野神社 他 |  4 南禅寺 塔頭 水路閣 |  4 吉田山 散策 |  4 大覚寺 大沢の池 |  4 天龍寺と塔頭 |  4 妙心寺・ 塔頭 他 近隣 |  4 宇治 |  4 岡崎公園 岡崎疏水 |  4 嵐山 渡月橋 保津川 |  4 嵯峨野 鳥居本 |  4 平安神宮の四季 |  4 建仁寺 塔頭 |  4 御所(御苑) 界隈 Imperial Palace |  4 比叡山 延暦寺 |  4 泉涌寺 その界隈 |  4 真如堂の四季 |  4 空 犬 猫 鳥 |  4 糺の森 河合神社 流鏑馬 |  4 西陣  |  4 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 |  4 蹴上から南禅寺境内 永観堂 |  4 鞍馬 貴船 |  4 食事 懐石 甘党 |  5 下鴨神社の四季 |  5 京の川  |  5 伏見 酒蔵 濠川 |  5 八幡市 加茂町 城陽 府下 |  5 南禅寺 塔頭 水路閣 |  5 吉田山 散策 |  5 宇治 |  5 嵐山 渡月橋 保津川 |  5 嵯峨野 北嵯峨 鳥居本 |  5 御所(京都御苑) 四季 |  5 真如堂の四季 |  5 空 犬 猫 鳥 |  5 糺の森 河合神社 |  5 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 |  5 蹴上から南禅寺境内 永観堂 |  5 醍醐 山科 |  6 下鴨神社の四季 |  6 京の川  |  6 吉田山 散策 |  6 嵯峨野 北嵯峨 鳥居本 |  6 御所(京都御苑) 四季 |  6 東福寺 塔頭 |  6 糺の森 河合神社 |  6 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 |  6 醍醐 山科 |  7 下鴨神社の四季 |  7 京の川 |  8 京の川 | おみくじ お守り | ご挨拶 | その他 | 一休寺 京田辺市 | 京都めぐり 1 | 京都めぐり 2 | 京都めぐり 3 | 京都めぐり 4 | 京都めぐり 5 雪特集 | 京都めぐり 6 | 京都めぐり 7 | 光明院の四季 1 (東福寺・塔頭) | 光明院の四季 2 (東福寺・塔頭) | 嵯峨野 竹林 1 | 携帯・デジカメ | 松ヶ崎疏水 春秋 | 滋賀県 琵琶湖 福井県など近県 | 石峰寺 (五百羅漢・伊藤若冲) | 祇園祭 2009 2010 | 祇園祭 2011 | 祇園祭 2011 2  | 祭 行事 ライトアップ 冬 1 | 祭 行事 ライトアップ 冬 2 | 祭 行事 ライトアップ 冬 3 | 祭 行事 ライトアップ 夏 1 | 祭 行事 ライトアップ 夏 2 | 祭 行事 ライトアップ 夏 3 | 祭 行事 ライトアップ 夏 4 | 祭 行事 ライトアップ 夏 5 | 祭 行事 ライトアップ 夏 6 | 祭 行事 ライトアップ 春 1 | 祭 行事 ライトアップ 春 2 | 祭 行事 ライトアップ 春 3 | 祭 行事 ライトアップ 秋 1 | 祭 行事 ライトアップ 秋 2 | 祭 行事 ライトアップ 秋 3 | 祭 行事 ライトアップ 秋 4 | 祭 行事 ライトアップ 秋 5 | 花の京都 初夏 1 | 花の京都 初夏 2 | 花の京都 初夏 3 | 花の京都 初夏 4 | 花の京都 初夏 5 | 花の京都 初夏 6 | 花の京都 初夏 7 | 花の京都 夏 1 | 花の京都 夏 2 | 花の京都 夏 3 | 花の京都 夏 4 | 花の京都 夏 5 | 花の京都 新緑 青もみじ 1 | 花の京都 新緑 青もみじ 2 | 花の京都 春 1 | 花の京都 春 2 | 花の京都 春 3 | 花の京都 春 4 | 花の京都 春 5 | 花の京都 春 6 | 花の京都 秋 1 | 花の京都 秋 2 | 花の京都 秋 3 | 著作権 | 葵祭 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