2015 紅葉 3

2015年12月 7日 (月)

青蓮院 庭園 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

青蓮院のお堂を巡ったあと、庭園の散策をしました。庭園に入ると、青蓮院の主庭の「相阿弥の庭」に出ます。室町時代の相阿弥が作庭したとされます。

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池は「龍心池」、中央の大石は沐浴する龍の背を表していて、半円形に反った石橋を「跨龍橋」、石組みの滝(写真には写っていませんが)を「洗心滝」というそうです。

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散策路は、池に注ぎ込む小川に沿って北に向かいます。庭園全体が池泉回遊式となっています。

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振り返ると山(粟田山)の斜面が庭に迫っていることが分かります。山裾を利用して柔らかな曲線をえがいた築山が設けられていて、「築山泉水庭」ともいうそうです。

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このあたりは小堀遠州作の「霧島の庭」 山裾の斜面からこのあたり一帯に霧島つつじが植えてあり、五月の連休の頃には一面真っ赤になるそうです。

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散策路は一旦南に向きを変え、次第に山裾を上っていきます。

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「好文亭」 後桜町上皇が青蓮院を仮御所としたとき、学問所として使った建物です。明治以降は茶室として使用していましたが、平成5年に放火で焼失してしまいました。

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様々な方面からの協力もあって平成7年秋には再建されました。創建当初の平面図が残っていて、四畳半の茶室三部屋と六畳の仏間、水屋等の配置や造り、木材等の材質や工法も同じに建設して、完全に復元されたといえるそうです。

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好文亭の路地庭は大森有斐(ゆうひ)の作庭とされます。大森有斐は江戸時代中期の茶人で、下の写真では袈裟型燈籠と蹲踞が見えます。

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好文亭には、上村淳之画伯から奉納された花鳥図の障壁画十三画が納められているそうです。

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木の間から相阿弥の庭と華頂殿が見えます。

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この後、順路に沿うと竹林の坂道の真ん中あたりに出ます。坂道を下ると庭に降りることができますが、まずは上に行きます。

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坂道の上に、「日吉社」があります。鎌倉時代の天台座主、3世青蓮院門跡の慈円が天台宗の守護神として信仰して勧請した「十禅師社」で、江戸時代に再興されました。

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かっては、粟田口から東海道を行く旅人は、十禅師社に旅の安全を祈願したといいます。横に二つの摂社「稲荷社」と「秋葉社」があります(写真は稲荷社)。、

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鳥居の前から、庭や建物、向こうに市街や西山の方まで見渡せます。

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竹林の坂道を下りると、本堂と小御所をつなぐ渡り廊下のあたりに出ます。

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本堂の裏側に青不動(現在は複製写真)が納められています。

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散策路は本堂の表に回り、宸殿の前庭に入ります。

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庭の南側の塀に沿って西南隅にある鐘楼に向かいます。

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宸殿 右近の橘と左近の桜が見えます。この庭はかって白砂を敷いていたそうです。

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自由に鐘を撞くことができます。

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散策路は鐘楼の前から北に向かいます。その途中から本堂の表が見えます。

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右に見えるのは宸殿の「大玄関」で、青蓮院の正式の玄関になります。奧に孝明天皇が使用した輿が陳列されています。正面の「長屋門」は明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもの。

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神宮道に面している「四脚門」の前を通ります。

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青蓮院を訪れたのは11月30日ですので、現在は紅葉が見頃になっているかも知れません。

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2015年12月 6日 (日)

青蓮院 殿舎から 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東山の方もそろそろ紅葉が見頃かも知れないと思い、青蓮院を訪れました。

青蓮院は、古くから皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院とされています。古くは、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられています。

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天台宗の祖・最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊をいくつも造りました。その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であるといわれています。

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伝教大師から円仁(慈覚大師)、安恵(あんね)、相応(そうおう)など、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊でした。

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平安時代末期に、青蓮坊の第12代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇が帰依し、第七王子をその弟子にしました。そして、京都に殿舎を造営して「青蓮院」と改称したのが門跡寺院としての青蓮院の始まりで、行玄が第1世の門主になります。

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その後明治に至るまで、門主はほとんど皇族か五摂家の子弟に限られていました。拝観順路に従い、まず「華頂殿」に上がります。いわゆる客殿で白書院ともいわれます。

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木村英輝氏奉納の蓮の襖絵(60面)があります(上)。下は北側の部屋。

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南の部屋に行きます。

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こちらは「相阿弥の庭」に面していて、「龍心池」が見えます。

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東の方

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次は「小御所」に向かいます。渡り廊下の途中から西の方、拝観受付から庭園に行くときはこの下を通るようになっています。

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先ほど寄った華頂殿の南の部屋が見えます。

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「小御所」 平安時代末は門主の居間でしたが、後櫻町上皇が当院を仮御所とした際に、上皇も使用したそうです。

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ただし、明治時代に焼失したので、江戸中期の建物を移築しました。

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こちらは西の方、向こうの建物は宸殿。

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順路は小御所の東の縁を通って本堂に向かいます。向こうの石段は庭園の散策路です。

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「熾盛光堂( しじょうこうどう)」 西面して建つ方三間、宝形造の本堂。こちら側(東裏)にはかって国宝の青不動が安置されていました(現在は将軍塚の青龍殿に遷され、こちらは複製画像)。

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本尊「熾盛光如来」の曼荼羅(秘仏)をはじめ、不動明王木像、薬師如来、日光月光菩薩、十二神将像、歓喜天像、毘沙門天像、愛染明王像などが安置されています。こちらは宸殿の南庭。

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順路は、本堂から小御所まで戻り華頂殿への渡り廊下の途中から、宸殿に行くようになっています。

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宸殿は、青蓮院で最も大きな建物で、徳川家康の孫・東福門院(後水尾天皇女御)の御所を移築したもの。ただし、明治26年(1893)に焼失後復興。

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宸殿は門跡寺院特有のもので、主要な法要はここで行うそうです。有縁の天皇や歴代門主のご尊牌を祀っています。

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右近の橘、左近の桜は、平安宮内裏の紫宸殿の前庭をならっているそうです。ここは、親鸞聖人が第三代門主慈圓により得度をした場所でもあり、「お得度の間」ともいいます。

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西の方は、四脚門(御幸門)が正面に見えます。明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもので、明治26年の火災をまぬがれたそうです。神宮道から見えるのはこの門です。

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2015年12月 5日 (土)

西本願寺 大銀杏と伽藍

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の養源院を出て、西本願寺に向かいました。境内の銀杏の巨木が、この季節にはきれいに黄葉します。

「御影堂門」(重文)から入ります。御影堂門は江戸時代初期(1636年)に建立され、最近では平成21年(2009)に修復工事が行われました。

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正面の「目隠塀」(重文)は、江戸後期の建築と言われています。今日は建物の説明だけですので、あしからず。

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門を入って左を見ると 大銀杏の向こうに「鐘楼」(重文) が見えます。安土・桃山時代の建造で、梵鐘は平成8年(1996)製。銀杏も色付きが例年よりも遅れているようです。

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鐘楼の後ろに金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つの「飛雲閣」があります。秀吉が建てた聚楽第の一部ともいわれており、三層からなる楼閣建築です。

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鐘楼の前から3本の大銀杏が見えます。

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「御影堂」(国王) 寛永13年(1636)の再建で中央に親鸞聖人の木像、左右に本願寺歴代門主の御影を安置し、重要な行事は、この建物で行われます。

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蓮の花の形の水盤

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御影堂前の大銀杏 天然記念物で「水吹き銀杏」、「逆さ銀杏」ともいわれています。

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「手水舎」(重文) 平成22年(2010)に修復されました。神社のものとは違い、長旅の参拝者が手だけでなく足も洗ったそうです。そのため水盤が大きく造られ、その周りに足の洗い場があります。

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向こうは「安穏殿」、新しい建物でブックセンターになっています。

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「阿弥陀堂」(国宝) 宝暦10年(1760)に再建された本堂で、中央に本尊・阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されています。


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「経蔵」(重文) 納められている『大蔵経(一切経)』は天海僧正の開版で、寛永12年(1635)江戸の寛永寺で発起し、12年をかけて完成したそうです。

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阿弥陀堂に上がります。

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大銀杏の向こうに「阿弥陀堂門」(重文)が見えます。江戸時代中期(1788年頃)大坂別院から移築され、昭和58年(1983)に檜皮の一部葺替、飾金具の修正、金箔押などの補修が行われ、創建当初の姿が再現されました。

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阿弥陀堂から渡り廊下を通って御影堂に行けます。

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御影堂の正面です。

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銀杏もそれぞれ枝ぶりが違いますね。

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御影堂の前で記念撮影。

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ところで、御影堂門と阿弥陀堂門の間に休憩所(総合案内所)がありますが、正式には「お茶所」(おちゃしょ)といい、歴史がある建物だそうです。

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寛延2年(1749)から宝暦10年(1760)にかけての阿弥陀堂再建の時、大阪堺の「泉州接待講」の方々が12年間にわたり工事にたずさわった職人らに食事の接待を続けました。

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その功績から、阿弥陀堂の余材をもらい受けて「お茶所」が建設されました。泉州接待講の方々は、それ以来350年以上にわたって、来訪者にお茶の接待を続けています。このカウンターのようです(今日は終了の貼紙)。当時の湯釜が展示してあります。

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2015年12月 4日 (金)

養源院 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

最近、琳派400年に関連して養源院が話題になっていますね。例年ならば参道の紅葉が見頃の時期なので出かけてきました。「表門」はいつも閉まっています。

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「養源院」は、豊臣秀吉の側室淀君が父浅井長政の追善のため文禄3年(1594)成伯法師(長政の従弟)を開山として建立しました。

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寺号は長政の法号養源院をとったもので、もとは天台宗でしたが、今は浄土真宗遣迎(けんこう)院派に属します。 表門の南(右)にある「通用門」から入ります。 

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ここからの参道が紅葉の名所の一つになっています。

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山門を入ると右に、「白衣弁財天」、

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左には手水舎があり、その向こうには

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表門からの「参道」

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通用門からの参道に戻り、少し進んだ左に「毘沙門天」があります。

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参道の正面を見ると、紅葉の色づきが例年よりもかなり遅いようです。11月25日の写真ですが、その後もあまり色づきが進んでいないようです。

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参考のために、昨年同じ場所で撮った写真(11月28日)を載せておきます。

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養源院は、建立後ほどなく(元和5年)火災にあい、元和7年(1621)徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の遺構を移して本堂を再建しました。

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本堂の左右と正面の廊下の天井は、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の前に、家康の命を受けて伏見城を死守した鳥居元忠らが自刃した時の板間を菩提のために張ったものといわれ、血天井として知られています。

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本堂の襖及び杉戸の絵(重要文化財)は俵屋宗達の筆と伝えられ、杉戸には唐獅子・白象・麒麟、襖には松が描かれています。(建物の中は撮影できませんので、周辺を見て回ります。)

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本堂以外に、護摩堂、鐘楼、表門、中門、通用門、奏者所、内仏の間も、建築年代も本堂より下がるものの、江戸時代前期の建造で、当時の養源院の形態と規模を伝えているそうです。(左の方を見ると)

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以後、養源院は徳川家の菩提寺および皇室の祈願所となります。(ここにも手水舎がありました。)

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「白鷹龍神」、「赤桃明神」、「白玉明神」を祀っています。

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このヤマモモの巨木は樹齢は400年で京都市指定保存樹です。伏見桃山城から移植された、あるいは秀吉が手植えしたものといいます。ご神木になっているようです。

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玄関に向かって右手には、立ち入り禁止ですが庭が見えます。

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「護摩堂」(重要文化財)も伏見城の遺構だそうです。

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右手の奥には「延命地蔵尊」

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この周辺には石仏が並んでいます。

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その右には「鐘楼堂」(重要文化財)があります。

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参道を通用門まで戻ります。

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南側(左)の紅葉が先に色づいているのは、日当たりがいいからでしょうか。

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境内を見て回って、神社かと思うほど沢山のお社があることが分かりました。それぞれ新しいお供え物がしてあって、近所の方がお世話をしているようです。養源院の違った一面を見た気がしました。

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特に、通用門の横にある白衣弁財天はお参りの方が絶えず、11月13日(巳の日)には参道で秋季大祭(火焚祭)が行われたそうです。

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2015年12月 3日 (木)

秋のしょうざんと千寿閣

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しょうざん北庭園の出入り口・福徳門を出て右の橋を渡ると、和と鳥旬菜「わかどり」や「渓流床」(5月~9月)があります。

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福徳門の左には「染色工芸館」があります。オリジナル商品の「光悦梅」、お茶やお香の道具をはじめとする様々な工芸品、お菓子、調味料などがそろっています。

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2階以上は、昨年10月にオープンしたリゾートホテル「東急ハーヴェストクラブ京都鷹峯&VIALA」の客室になっています。こちらは「南館」で東に「本館」があります。*しょうざんの東門から出入りできなくなりました。

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ここから、左に史跡の御土居を見ながら南に行くと

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京料理の「千寿閣」があります。門は現代的ですが、

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中はこんな感じです。

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窓の外は御土居の堤が続いています。

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「昼の会席」をいただきました。写真を2枚だけ、先付と

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季節感のある「吹き寄せ」

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実は、昨日の北庭園は千寿閣でお食事した後に入りました。その後夕方近くになってから「しょうざんリゾート京都」のいろいろな施設がある南の方に向かいました。

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しょうざんの西は「紙屋川」が流れています。向こうは「セントオーガスティンチャペル」

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1883年に英国のドーヴァーコートに建てられた「聖オーガスティン教会」のゴシック・リヴァイバル様式の建物をしょうざんに持ってきたそうです。

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綺麗な教会ですが、(結婚式写真の会社が経営しているので)格安な結婚式をあげられるそうです。

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「しょうざんプール」は夏季のみ営業。その左(北)に結婚式場「紫水苑」があり、奥は御土居。

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上の写真の右手の建物です。一番手前に「チャイニーズレストラン楼蘭」、眺めや店内の雰囲気がよく、料理が美味しいという評判です。その奧はブライダル関係の施設や宴会場。建物の後ろには結婚式場「北山璃宮」があります。

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南の出入り口の方に向かいます。紙屋川の下流に結婚式場「ノベルヴィラガーデン」。

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紙屋川の紅葉、、今年の色づきを象徴しているようでした。

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「SHOUZANボウル」 ロビーが広く優雅で、レーンが美しいといわれる老舗のボウリング場。

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中央は「総合案内所」、左にカフェ「バウハウス」があります。

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暗くなってきました。

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2015年12月 2日 (水)

しょうざん北庭園 2015秋

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しょうざんリゾート京都に行ってきました。そこでお食事をするのが目的でしたが、まずは北庭園に入りました。「福徳門」。

「しょうざんリゾート京都」とは、光悦寺の南西で、紙屋川(かみやがわ)沿いの史跡御土居に隣接した広大なリゾート施設です。その北部にある庭園が「しょうざん北庭園」です。

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北山台杉の林に茶室をはじめとする日本建築が自然と調和して点在し、紀州青石、梅や楓を巧みに配した散策路をもつ回遊式庭園です。

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台杉は樹齢450年のものが3千本植えられ、紀州青石は雨に濡れると鮮やかな青緑色になる和歌山産の巨石だそうです。

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先日の「光悦寺」の記事のように、本阿弥光悦は、徳川家康から鷹ヶ峯の地を与えられ、芸術家、それを支える職人や商人たちを招いて、「工芸村」を築きました。

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その中心に位置した光悦の屋敷跡が「光悦寺」で、その南西部に隣接する3万5千坪の土地がこの「しょうざん」です。

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[しょうざん]は、西陣に生まれて戦後「ウールお召し」を開発して世に広めた故・松山政雄が、この地に庭園を造り各地から日本の建造物を移築したのがの始まりです。

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松山は戦後消失の運命にあった美しい日本の建造物を移築し、広く万人に訪れてほしいと庭園を公開しました。「玉庵」 大徳寺から移築した桂離宮風の茶室で、川端康成も訪れたそうです。

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「西陣の織物の美しい色や柄は、美しい環境から生まれる」という哲学のもと、広く着物への理解を深めるために役立つと考えたのです。「紙屋川別館 湧泉閣」 京料理のお店です。

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林の間から鷹峯三山が見えます。

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「湧泉閣」から清流が流れています。この水は紙屋川から引いているそうです。

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流れは、向こうに見える「峰玉亭」の池に注ぎ込みます。後でその前を通ります。

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このあたりからも鷹峯三山が見えます。

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「茶花園」の入口(入場無料) 山野草や盆栽の展示販売をしています。

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ここには喫茶もあります。

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「竹筆展」 竹筆以外の竹工芸品もありました。

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北庭園に戻ります。

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「酒樽茶室」 庭園にいくつかあります。醤油の醸造に使った樽だともいわれます。

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先ほど見た流れが池に注ぎ込みます。

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「峰玉亭」 昭和30年(1955)に建てられた数寄屋造の迎賓館です。南天の床柱や欅の一枚板の床板など、全国から選りすぐりの材を集めて建てられ、江戸期の狩野派の襖絵や竹内栖鳳による掛け軸があります。

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峰玉亭はときどき特別公開されます。前の池には花菖蒲が植えられていて、6月は見事だそうです。

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池の西にも酒樽茶室がありました。

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西の塀 散り紅葉の絨毯になっていました。

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「聴松庵(ちょうしょうあん)」の四阿(あずまや)?。

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「聴松庵」  裏千家宗匠・玄々斎設計の大徳寺の茶室でしたが、明治時代に各地を転々とした後に、しょうざんに移築されたそうです。

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福徳門のそばに、「福寿弁財天・福徳弁財天」が祀られています。

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2015年12月 1日 (火)

宝筐院 2015秋

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清凉寺の仁王門を出ると、西の方に宝筐院が見えます。

「宝筐院」は臨済宗の単立寺院で、庭園内には多くのモミジやドウダンツツジがあって紅葉の名所として知られています。ただし、今年は紅葉が色づきが遅く、まだ見頃とはいえない状態でした。

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宝筐院は、平安時代に白河天皇(1053~1129)の勅願寺として建てられました。勅願寺とは、勅願によって鎮護国家・玉体安穏のために建立された寺です。(散策路が真っすぐ西に延びています。)

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建立当時は「善入寺(ぜんにゅうじ)」という寺名でした。平安時代末から鎌倉時代にかけては、数代にわたって皇族が住持となりました。(庫裡の玄関、花の苗を販売していました。)

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南北朝時代の貞和年間(1345~50)に夢窓国師の高弟・黙庵周諭禅師が入寺し、衰退していた寺を復興しました。門弟の教化を盛んに行い、以後は臨済宗の寺となりました。

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室町幕府の二代将軍足利義詮(よしあきら)は、貞治4年(1365)に母の法要の席で黙庵から経典の講義を聞き、参禅問答したことを契機に黙庵に帰依しました。(本堂)

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本尊の十一面千手観世音菩薩立像を安置しています。

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義詮は、師のために善入寺の伽藍整備に力を入れ、東から西へ総門・山門・仏殿が一直線に建ち、山門・仏殿間の通路をはさんで北に庫裏、南に禅堂が建ち、仏殿の北に方丈、南に寮舎が建ちました。

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貞治5年(1367)に義詮が没すると、善入寺はその菩提寺となりました。そして、八代将軍義政の代になって、義詮の院号の宝筐院にちなみ、寺名が宝筐院と改められました。

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足利幕府の保護もあって、この時期の宝筐院は隆盛をきわめ。備中・周防などには寺領がありました。

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しかしながら、応仁の乱以後は幕府の衰えとともに宝筐院も衰退していきました。寺領も横領されるなど、経済的に困窮したからだそうです。

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江戸時代の宝筐院は天龍寺末寺の小院となり、幕末には廃寺となってしまいました。(通路が何度も枯川と交差し、境内全体が枯山水となっています。)

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ところで、南北朝時代に寺を復興した黙庵は、南朝の武将楠木正行(まさつら)と知り合いで、彼に後事を託されていました。

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正平3年・貞和4年(1348)正月、正行は四条畷の合戦で足利方の高師直の率いる北朝の大軍と戦って討ち死し、黙庵はその首級を生前の約束に従い善入寺に葬りました。

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後に、この話を黙庵から聞いた義詮は、正行の人柄を褒めたたえ、自分もその傍らに葬るよう頼んだといいます。(境内の西端に二人の塚があります。)

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右が楠木正行の首塚とされる五輪石塔、左は足利義詮の三層石塔。敵同士だった二人が並んで葬られています。

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明治24年(1891)京都府知事・北垣国道は、楠木正行の遺跡が人知れず埋もれているのを惜しんで、首塚の由来を記した石碑(欽忠碑)を建てました。(散策路に沿って北に行くと、滝の石組があります。)

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大正5年に、高木龍淵天龍寺管長や神戸の実業家・川崎芳太郎によって、楠木正行ゆかりの遺跡を護るため、宝筐院が再興されました。(本堂の裏)

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旧境内地を買い戻し、新築や古建築の移築によって伽藍を整え、屋根に楠木の家紋・菊水を彫った軒瓦を用いて、楠木正行ゆかりの寺であることを示しました。

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その後、更に茶室が移築され、現本堂が新築されました。(山門の中から)

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2015年11月30日 (月)

清凉寺 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大覚寺と大沢池を見た後、バスに乗って清凉寺まで来ました。「清凉寺」は、山号を五台山と称する浄土宗の寺院で、嵯峨釈迦堂の名でも知られています。

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「仁王門」は江戸時代(1783年)の建立で、初層左右に室町時代作の金剛力士像、楼上に十六羅漢像を安置しています。

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「釈迦堂」 本尊三国釈迦如来像(国宝)を安置する清凉寺の本堂です。安土桃山時代の慶長7年(1602)に豊臣秀頼によって寄進されました。寛永14年の嵯峨大火により諸堂宇が消失しましたが、桂昌院の発願、住友吉左衛門の援助によって元禄16年(1703)に再建されました。

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以下では、清凉寺の歴史を振り返りながら本堂の拝観や境内の散策をすることにします。

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清涼寺の歴史には、阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺という二つの寺院がかかわっています。(本堂裏の渡り廊下)

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この地は、もともと嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」の一部で、その皇子源融(みなもととおる)が山荘・栖霞観(せいかかん)を営みました。融は光源氏のモデルとされた人物です。

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源融の一周忌の寛平8年(896)に、彼が生前に果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と名付けました。

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その後天慶8年(945年)に、重明親王妃が棲霞寺に新堂を建て、等身大の釈迦像を安置しました。一説では、「釈迦堂」の名の由来はこの時であるといいます。「川中島」

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棲霞寺の創建から数十年後、当時の中国・宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(ちょうねん、938-1016)という東大寺出身の僧がいました。

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「弁天堂」 江戸末期頃の建築と推定され、そのまわりは池遊式庭園になっています。

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奝然は、宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させました。

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その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという霊像を模刻したもので、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」、釈迦に生き写しとされることから「生身釈迦如来」とも呼ばれています。

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奝然は、永延元年(987)日本に帰国し、同時に入宋のときにできた世界最初の大印刷物である蜀版一切経五千四十巻(現存せず)、十六羅漢画(国宝)、五台山文珠画像(現存せず)等も持ち帰りました。

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奝然は、愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦如来立像を安置する寺を建立しようとしましたが、延暦寺の反対にあい実現しないまま長和5年(1016)に亡くなりました。

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旧大方丈は、寛永14年(1637)に消失し、現在のものは享保年間(1716-1735)の造営と伝えられます。方丈の前庭は、枯山水の平庭で、小堀遠州作とされます。

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奝然の遺志を継いだ弟子の盛算(じょうさん)が、棲霞寺の境内に建立したのが現在の「五台山清凉寺」です。当初は華厳宗の寺でした。

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釈迦堂を出て、仁王門のあたりから境内を巡ります。「一切経蔵」 江戸時代中期の建立で正面に善慧大士座像、脇に普浄、普賢像を祀っています。

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「輪蔵」 一切の法、経典5408巻に収められており、法輪を一回転させると一切経をすべて読んだ功徳が得られるとされます。四隅で四天王像がにらんでいます。

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鎌倉時代の弘安2年(1279)、大念仏中興上人と呼ばれる円覚が清凉寺で融通念仏を勤修して以来大念仏が盛んになり、融通念仏の道場となりました。「ゆどうふ竹仙」

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「阿弥陀堂」 かって棲霞寺の阿弥陀堂があった場所で、その後、釈迦如来像が安置され清凉寺の阿弥陀堂となりました。現在の建物は、江戸時代末期(1863年)の再建。

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室町時代の嘉吉3年(1443)には嵯峨大念仏が初めて行われました。その後、応仁の乱で伽藍は焼失しますが、文明13年(1481)に再興されました。「庫裡」

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戦国時代の享禄3年(1530)に円誉が清凉寺に入り、初めて十二時の念仏を勤修してから浄土宗の寺となりました。「桂昌院遺愛の井戸」

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「霊宝館」 源融の供養のために造られた本尊阿弥陀三尊像など、国宝や重要文化財が収蔵されています。阿弥陀如来像は、「光源氏移し顔」とか。4月、5月、10月、11月に特別公開されます。

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本尊の釈迦像は、前述のように10世紀に中国で制作されたものですが、中世頃からは模刻ではなく、インドから渡来した栴檀釈迦像そのものであると信じられるようになりました。(本堂の横の道から先ほど歩いた渡り廊下が見えます。)

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こうした背景もあり、元禄13年(1700)から本尊の江戸から各地への出開帳が始まりました。(この道がちょうど仁王門の正面になることが分かりました。)

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また、桂昌院の発願による伽藍の復興もあり、三国伝来の釈迦像は信仰を集め、清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」と呼ばれて栄えました。(本堂の前を通り、その左手(西)に「豊臣秀頼首塚」。)

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さらに西には「薬師堂」があります。平安時代(818年)に嵯峨天皇の勅により空海が建立した「竜幡山薬師寺」がその前身で、薬師如来像を安置し、疫病の平癒を祈願したといいます。

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「鐘楼」 江戸時代の建立、梵鐘は南北朝時代(1484年)の鋳造で、足利義政、日野富子など700-800人の銘があります。嵯峨八景一つに選ばれ、「清凉晩鐘」とか「五台晨鐘」といわれています。

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清凉寺が栄える一方で、母体であった棲霞寺は次第に衰微して、阿弥陀堂や阿弥陀三尊像(国宝、現在は霊宝館に安置)に、その名残りをとどめるだけとなりました。(西には、狂言堂もありますが行っていません。)

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ところで、昭和28年(1953)に本尊の胎内から中国僧が制作時に入れた、絹で作った五臓六腑・願文・経巻等々(すべて国宝)が発見され話題になりました.。(「多宝塔」 江戸時代(1700年)に江戸で造られ、1703年に清凉寺に移築されたそうです。)

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世界最古の内臓模型で医学史の資料としても貴重なものだそうです。そして、本尊が本当に「生身釈迦如来」だったことも分かったのです。茶店「大文字屋」

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ここも「あぶり餅」が名物ですが、甘いものが欲しくて栗ぜんざいをいただきました。

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2015年11月29日 (日)

大沢池 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大覚寺の伽藍を見たあと、大沢池をめぐりました。「大沢池(おおさわのいけ)」は、大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉です。林泉とは林や泉水などがある庭園のことだそうです。

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嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれました。

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大沢池は、池泉舟遊式庭園ともいわれ、当初から舟遊びが行われました。南の入口近くに船着き場があります。

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大覚寺の本堂(五大堂)の前にある桟橋の先端は、斎場や舞台になります。

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池の西には鳥居があり、「五社明神」の舞殿と本殿が建っています。それ以外に、多賀大神、気比大神、お稲荷さんなどの祠もあります。かっての神仏習合の名残りです。

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このあたりは、しばしば時代劇の撮影場所になっていて、特に江戸市中の設定が多いとか。今日もロケがあるようです。

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池沿いの道を行きます。

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「放生池」 向こうに「多宝塔」が見えます。

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大沢池の方 平安時代から池の形は変わっていないそうです。

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放生池のほとりに、平安時代後期のものといわれる20体以上の石仏群があります。それぞれがいろんな形をしていて、かなり大きなものです。

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「多宝塔」 1967年に建立された新しい建物ですが、鎌倉時代の毘沙門天立像が安置されています。前に車が停まっていて、

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後ろが、出演者の待機場所になっているようです。

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多宝塔の左手には馬に乗った数名の方が待機していました。

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池の周囲の道に戻ると、馬に乗った出演者が梅林を通って竹林の方に向かっていました。そこには幕で囲われた馬場が造ってありましたが、どのよう時代劇か分かりません。

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向こうは、大沢池の北にある「天神島」に渡る橋です。

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右が天神島、左が梅林です。向こうに見える広場の左手に、かっての庭園の遺跡があります。

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「名古曽の滝跡」(なこそのたきあと) 離宮嵯峨院の滝殿庭園内に設けられたもので、『今昔物語』では百済川成が作庭したと伝えています。でも、平安時代の中頃には既に枯れてしまったそうです。

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平成6年から行われた奈良国立文化財研究所による発掘調査で、中世の遣水が発見され、滝と鑓水が当時の様相に復元されました。滝から少し水が湧き出ています。

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「菊ヶ島」 大覚寺は、いけばな発祥の寺でもあり、「嵯峨御流」の総司所(家元)です。嵯峨天皇が、菊ヶ島に咲く野菊を手折り、器にいけたのがはじまりとされます。

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「庭湖石」 大沢池には上で紹介した二島一石があり、その配置が華道の嵯峨御流の基本型にも通じているのだそうです。

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ここから池の東になります。

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木の間から嵯峨野の田園風景が見えます。

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池の向こうに五大堂、後ろに小倉山が見えます。

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ところで、昨日の記事で初代住職となった恒貞親王ですが、順当にいけば天皇になる立場の人でした。それが、承和の変など藤原一族の政争に巻き込まれ、ついには皇太子の身分や命の保証までない、という立場に追い込まれてしまいました。

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亡き祖父の嵯峨天皇や父の淳和天皇の期待を一心に受け、幼少の頃からそれに応えてきた立派な親王だったそうです。(池の南に来ました。多宝塔の左上に見える白いものは、朝原山山頂にある嵯峨天皇山上陵への参拝道です。)

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母の淳和天皇皇后(正子内親王)は落胆して、父の嵯峨天皇が建てた離宮嵯峨院をお寺にして、住職とすることによって親王を守ろうとしたのです。(天神島の祠には菅原道真を祀っています。)

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それに尽力したのが道真で、離宮を大覚寺にすべく上奏文を起草しました。そうして無事、に勅許を得て「大覚寺」が誕生して真言宗の寺院として再出発したのです。

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池を一周しました。

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2015年11月28日 (土)

大覚寺 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

直指庵を出て、約15分ほど歩いて大覚寺を訪れました。大覚寺は、弘法大師空海を宗祖とする真言宗大覚寺派の本山です。

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平安時代の初期、嵯峨天皇と檀林皇后の新居として離宮嵯峨院が建立されました。嵯峨天皇が帰依していた空海が、離宮内に五大明王を安置するお堂を建てたのが大覚寺の前身です。(この日は「玄関門」あたりが工事中で、「明智門」から入りました。)

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嵯峨天皇が崩御して30数年後の貞観18年(876)、嵯峨天皇皇女の正子(せいし)内親王が離宮を寺に改め、清和天皇から寺号を贈られて大覚寺としました。(左の庫裡玄関から入ります。右は「式台玄関」)

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淳和天皇と皇后・正子内親王の皇子・恒貞親王(ごうじゃく)が開山(初代住職)となりました。(式台玄関は後水尾天皇の中宮・東福門院の女御御所の一部が移築されたといいます。)

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以後、大覚寺は歴代の天皇や皇族が住持をつとめる門跡寺院となり、嵯峨御所とよばれました。(「宸殿」も後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物で、東福門院和子の女御御殿の宸殿として使用していたものとか。)

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宸殿前で「嵯峨菊展」が行われていました。

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TOPの写真は嵯峨菊展の方から宸殿を見たもの。

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東の外縁からは「五大堂」が見えます。お堂や回廊の回りにも嵯峨菊の鉢が並べられていました。

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各伽藍を結ぶ回廊は、柱をにわか雨に、直角に折れ曲がる回廊を稲光にたとえて「村雨の廊下」と呼ばれています。床は鴬張りで、低い天井は刀や槍を振り回せないようにするためとか。

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宸殿の北の苔庭

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「正寝殿(しょうしんでん)」 書院造りで12の部屋があります。

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上段の間は後宇多法皇が院政を執った部屋で、執務の際は冠を傍らに置いたことから、「御冠(おかんむり)の間」とも呼ばれています。南北朝の媾和会議がここで行われたそうです。

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北に行く回廊 左の建物は「庭湖館」 かって大沢池の畔にあった江戸時代中期の建物を1868年に移築しました。

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右手に「勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)」が見えます。大正14年に法隆寺の夢殿を模して再建されたもので、嵯峨天皇をはじめ、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の勅封心経を納め、薬師如来像が祀られています。

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境内の北西にある池の周囲は紅葉の色づきが進んでいました。

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回廊の突き当りを右に行くと「霊明殿」があります。

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綺麗な朱塗の建物で江戸時代末期の建立。1958年に東京の寺から移築したそうです。

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ここには、嵯峨御流関係者の位牌が安置されています。(振り返って回廊の方を見ると)

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外縁を一周します。

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先ほど来た回廊に戻ります。

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正寝殿の横を通って

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「御影堂」 大正14年の建造。大正天皇の即位に際して建てられた饗宴殿を、式後に賜って移築したもの。前庭は白川砂により大海を表し、右近の橘、左近の桜が植えられ、中央に舞楽台、奥に勅使門が見えます。

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勅使門は嘉永年間(1848~54)の再建。一般に勅使門は天皇関係者にしか開けられませんが、数年に一度の嵯峨御流の献花式には開門されるそうです。

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御影堂には、嵯峨天皇、秘鍵大師(弘法大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王など大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた人々の尊像を安置しています。

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御影堂は勅封心経殿の前殿でもあり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてあるそうです。

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また、心経殿に五色の絹布を結び、それをお祀り する御影堂(心経前殿)」まで通して、その先端に法具を結びつけています。

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「五大堂」 江戸時代中期の天明年間に創建され、現在の大覚寺の本堂です。不動明王を中心とする五大明王を祀っています。正面には吹き抜けの広縁があります。

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大沢池に面する東面には、池に張り出すように広いぬれ縁(観月台)があり、ときどきお茶席になります。

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など □7 【紅葉】 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 □7' 【紅葉 2 】 三尾(高雄 槙尾 栂尾) □7' 【紅葉】 三尾(高雄 槙尾 栂尾) □8 【紅葉】 伏見 宇治 □8' 【紅葉】 鷹ヶ峰 上賀茂 北区 上京区 □9 【紅葉】 大原 古知谷 八瀬 □9'【雪の日】 洛北 洛東 □9'【雪の日】 洛西 □ 【紅葉】 市中 下鴨神社 □ 桜 2 右京 西陣 嵐山 西山 □ 桜 2 哲学の道 洛北 □2【雪の日】 洛北 洛東 □2【雪の日】 洛西 嵯峨野 美山 □3【雪の日】 洛北 洛東 □3【雪の日】 洛西 嵯峨野 美山 □4【雪の日】 洛北 洛東 □5【雪の日】 洛北 洛東 ○ 1 京都御苑とその界隈 Imperial Palace ○ 2 仙洞御所 (特別参観) ○ 3 桂離宮 (特別参観) ○ 1 京都御所(特別参観)Imperial Palace ○ 1 桂離宮 Katsura Imperial Villa ○ 2 南禅寺・塔頭・水路閣 ○ 2 天龍寺 塔頭 ○ 2 建仁寺 塔頭 ○ 2 東福寺 塔頭 ○ 3 御所(御苑) 界隈 Imperial Palace ○ 3 東福寺 塔頭 ○ 4 東福寺・塔頭 ○ 5 東福寺 塔頭 ○0 京都五山 別格 南禅寺・ 塔頭 水路閣 ○1 京都五山 第一位 天龍寺・ 塔頭 ○2 京都五山 第二位 相国寺 ○3 京都五山 第三位 建仁寺 ○4 京都五山 第四位 東福寺・ 塔頭 ○5 京都五山 第五位 万寿寺 ○1 修学院離宮 ○2 修学院離宮 ● 1 法然院の四季 ● 2’ 下鴨神社の四季 ● 2 上賀茂神社 社家 深泥池 ● 2 泉涌寺と界隈 ● 2 法然院の四季 ● 2 清水寺の四季 Kiyomizu Temple ● 2 真如堂の四季 ● 3 泉涌寺と界隈 ● 二条城と近辺 Nijo-jo Castle ● 伏見稲荷大社 ● 北野天満宮 上七軒 ● 大徳寺・塔頭 今宮神社 ● 大覚寺 大沢の池 ● 妙心寺・ 塔頭 他 近隣 ● 御室 仁和寺 ● 智積院 ● 東寺 塔頭 界隈 ● 東本願寺 ● 泉涌寺と界隈 ● 清凉寺(嵯峨釈迦堂)と界隈 1  ● 西本願寺 ● 西本願寺 2 ● 金閣寺 Kinkakuji Temple ● 銀閣寺 Ginkakuji Temple ● 黄檗山 萬福寺 ● 龍安寺 等持院 ● 1 下鴨神社の四季 ● 2 大徳寺・塔頭 今宮神社 ● 2 大覚寺 大沢の池 ● 2 平安神宮 四季 Heian shrine ● 2 東寺 塔頭 界隈 ● 3’ 下鴨神社の四季 ● 3 上賀茂神社 社家 深泥池 ★ 2010 紅葉 1 ★ 2010 紅葉 2 ★ 2010 紅葉 3 ★ 2010 紅葉 4 ★ 2010 紅葉 5 ★ 2010 紅葉 6 ★ 2011 紅葉 1 ★ 2011 紅葉 2 ★ 2011 紅葉 3 ★ 2011 紅葉 4 ★ 2011 紅葉 5 ★ 2011 紅葉 6 ★ 2012 紅葉 1 ★ 2012 紅葉 2 ★ 2012 紅葉 3 ★ 2012 紅葉 4 ★ 2012 紅葉 5 ★ 2012 紅葉 6 ★ 2012 紅葉 7 ★ 2012 紅葉 8 ★ 嵐山・花灯路 2 ★ 2011 桜 1 ★ 2011 桜 2 ★ 2011 桜 3 ★ 2011 桜 4 ★ 2012 雪景色 1 ★ 2012 雪景色 2 ★ 京都つれづれ日記 ★ 2011 雪景色 1 ★ 2011 雪景色 2  ★ 2011 雪景色 3 ★ 2011 雪景色 4 ★ 2013 雪景色 1 ★ 2013 雪景色 2 ★イベント情報 ★ライトアップ寺院 お祭り ★東山・花灯路 2 ★東山・花灯路 3 ☆ 2012 桜 1 ☆ 2012 桜 2 ☆ 2012 桜 3 ☆ 2012 桜 4 ☆★ 2015 桜 1 ☆★ 2015 桜 2 ☆★ 2015 桜 3 ☆★ 2015 桜 4 ☆☆2015 雪景色 1 ☆☆2015 雪景色 2 ☆ 2013 桜 1 ☆ 2013 桜 2 ☆ 2013 桜 3 ☆ 2013 桜 4 ☆ 2013 秋 紅葉 1 ☆ 2013 秋 紅葉 2 ☆ 2013 秋 紅葉 3 ☆ 2013 秋 紅葉 4 ☆ 2013 秋 紅葉 5 ☆ 2014 桜 ☆ 2014 秋 紅葉 1 ☆ 2014 秋 紅葉 2 ☆ 2014 秋 紅葉 3 ☆ 2014 秋 紅葉 4 ☆ 2014 雪景色 1 ☆ 2014 雪景色 2  時代祭 1  1  広沢の池 嵯峨野・田園風景 他  1 三千院  1 京の山を歩く  1 京大・界隈  1 京懐石 普茶料理 他  1 京都の大学を訪ねて  1 京都の教会  1 京都の眺望  1 京都クイズ 壁紙・投票  1 伏見 御香宮神社  1 伏見 稲荷 藤森 鳥羽  1 写真集 話題  1 吉田山 散策  1 周山 美山 北山 京都北部  1 地蔵 鐘馗 名水 絵馬堂  1 壁紙 Wall Paper  1 大文字山 五山送り火  1 寺町通り (出町から北)  1 平等院  1 庭 夢想国師の庭  1 庭 小堀遠州の庭  1 庭 小川治兵衛の庭  1 庭 相阿弥の庭  1 庭 重森三玲の庭  1 庭 重森三玲の庭 2  1 庭 重森三玲の庭 3  1 庭園めぐり・・・洛北 Ⅰ (北部)  1 庭園めぐり・・・洛北 Ⅱ (東部)  1 庭園めぐり・・・洛西 Ⅰ (北部)  1 手づくり市  1 植物園 花だより  1 空 犬・猫・鳥 その他  1 糺の森 河合神社 流鏑馬  1 車窓から  1 近代建築を訪ねて  1 高台寺 圓徳院  2  広沢の池 嵯峨野・田園風景 他  2 ご挨拶  2 三千院  2 京の川 鴨川 桂川 高野川  2 京大・界隈  2 京都の眺望  2 京都御苑 御所 Imperial Palace  2 他府県  2 仙洞御所  2 伏見 御香宮神社  2 伏見 稲荷 藤森 鳥羽  2 伏見稲荷大社 摂社  2 会席 甘党  2 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池  2 出町 三角州 川端通り  2 北野天満宮 上七軒 平野神社 他  2 博物館~六波羅蜜寺 大和大路  2 吉田山 散策  2 周山 美山 北山 京都北部  2 地蔵 鐘馗 名水 絵馬堂など  2 大文字山 五山送り火  2 妙心寺・ 塔頭 他 近隣  2 寺町通り (出町から北)  2 平等院  2 御室 仁和寺  2 御所界隈 梨木神社 蘆山寺 他  2 智積院  2 東大路通 丸太町通 聖護院  2 東山七条 三十三間堂  2 松尾大社 梅宮神社 苔寺  2 植物園 北山  2 比叡山 延暦寺  2 清凉寺(嵯峨釈迦堂)と界隈  2 清水寺~高台寺 八坂の塔  2 滋賀県 福井県 奈良県など近県  2 知恩院と界隈  2 空 鳥 猫 犬  2 糺の森 河合神社 流鏑馬  2 西本願寺  2 蹴上から南禅寺境内 永観堂  2 蹴上まで  2 車窓から  2 近代建築  2 銀閣寺  2 青蓮院 将軍塚  2 鞍馬 貴船  2 高台寺 圓徳院  2 龍安寺 等持院  3 ねねの道 八坂神社 石塀小路  3 三条 四条 木屋町 新京極  3 京の川  3 京都駅界隈 壬生 他  3 伏見 稲荷 藤森 鳥羽  3 八幡市 加茂町 城陽 府下  3 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池  3 出町 三角州 川端通り  3 北野天満宮 上七軒 平野神社 他  3 南禅寺 塔頭 水路閣  3 博物館~六波羅蜜寺 大和大路  3 吉田山 散策  3 哲学の道 寺院  3 哲学の道 疏水沿いの道  3 大原 宝泉院 勝林院ほか  3 大徳寺 今宮神社 船岡山  3 大覚寺 大沢の池  3 天龍寺 塔頭  3 妙心寺・ 塔頭 他 近隣  3 寺町通り (出町から北)  3 岡崎公園 岡崎疏水  3 平安神宮の四季  3 建仁寺 塔頭  3 御所界隈 梨木神社 蘆山寺 他  3 智積院  3 東大路通 丸太町通 聖護院  3 東寺 塔頭 界隈  3 東山七条 三十三間堂  3 植物園 北山通り  3 比叡山 延暦寺  3 清水寺の四季  3 清水寺~高台寺 八坂の塔  3 真如堂の四季  3 空 犬 猫 鳥  3 糺の森 河合神社 流鏑馬  3 西山 大山崎 大原野  3 西陣 市中  3 西陣 白峰神宮ほか  3 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓  3 蹴上から南禅寺境内 永観堂  3 近代建築  3 青蓮院 将軍塚  3 鞍馬 貴船  3 食事 懐石 甘党  4 三条 四条 木屋町 新京極  4 上賀茂神社 深泥池 他  4 下鴨神社の四季  4 京の川   4 京都駅 界隈  4 伏見 稲荷 藤の森 鳥羽  4 八幡市 加茂町 城陽 府下  4 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池  4 北野天満宮 上七軒 平野神社 他  4 南禅寺 塔頭 水路閣  4 吉田山 散策  4 大覚寺 大沢の池  4 天龍寺と塔頭  4 妙心寺・ 塔頭 他 近隣  4 宇治  4 岡崎公園 岡崎疏水  4 嵐山 渡月橋 保津川  4 嵯峨野 鳥居本  4 平安神宮の四季  4 建仁寺 塔頭  4 御所(御苑) 界隈 Imperial Palace  4 比叡山 延暦寺  4 泉涌寺 その界隈  4 真如堂の四季  4 空 犬 猫 鳥  4 糺の森 河合神社 流鏑馬  4 西陣   4 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓  4 蹴上から南禅寺境内 永観堂  4 鞍馬 貴船  4 食事 懐石 甘党  5 下鴨神社の四季  5 京の川   5 伏見 酒蔵 濠川  5 八幡市 加茂町 城陽 府下  5 南禅寺 塔頭 水路閣  5 吉田山 散策  5 宇治  5 嵐山 渡月橋 保津川  5 嵯峨野 北嵯峨 鳥居本  5 御所(京都御苑) 四季  5 真如堂の四季  5 空 犬 猫 鳥  5 糺の森 河合神社  5 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓  5 蹴上から南禅寺境内 永観堂  5 醍醐 山科  6 下鴨神社の四季  6 京の川   6 吉田山 散策  6 嵯峨野 北嵯峨 鳥居本  6 御所(京都御苑) 四季  6 東福寺 塔頭  6 糺の森 河合神社  6 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓  6 醍醐 山科  7 下鴨神社の四季  7 京の川  8 京の川 おみくじ お守り ご挨拶 その他 一休寺 京田辺市 京都めぐり 1 京都めぐり 2 京都めぐり 3 京都めぐり 4 京都めぐり 5 雪特集 京都めぐり 6 京都めぐり 7 光明院の四季 1 (東福寺・塔頭) 光明院の四季 2 (東福寺・塔頭) 嵯峨野 竹林 1 携帯・デジカメ 松ヶ崎疏水 春秋 滋賀県 琵琶湖 福井県など近県 石峰寺 (五百羅漢・伊藤若冲) 祇園祭 2009 2010 祇園祭 2011 祇園祭 2011 2  祭 行事 ライトアップ 冬 1 祭 行事 ライトアップ 冬 2 祭 行事 ライトアップ 冬 3 祭 行事 ライトアップ 夏 1 祭 行事 ライトアップ 夏 2 祭 行事 ライトアップ 夏 3 祭 行事 ライトアップ 夏 4 祭 行事 ライトアップ 夏 5 祭 行事 ライトアップ 夏 6 祭 行事 ライトアップ 春 1 祭 行事 ライトアップ 春 2 祭 行事 ライトアップ 春 3 祭 行事 ライトアップ 春 4 祭 行事 ライトアップ 秋 1 祭 行事 ライトアップ 秋 2 祭 行事 ライトアップ 秋 3 祭 行事 ライトアップ 秋 4 祭 行事 ライトアップ 秋 5 花の京都 初夏 1 花の京都 初夏 2 花の京都 初夏 3 花の京都 初夏 4 花の京都 初夏 5 花の京都 初夏 6 花の京都 初夏 7 花の京都 夏 1 花の京都 夏 2 花の京都 夏 3 花の京都 夏 4 花の京都 夏 5 花の京都 新緑 青もみじ 1 花の京都 新緑 青もみじ 2 花の京都 春 1 花の京都 春 2 花の京都 春 3 花の京都 春 4 花の京都 春 5 花の京都 春 6 花の京都 秋 1 花の京都 秋 2 花の京都 秋 3 著作権 葵祭 1 葵祭 2