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2015年12月28日 (月)

相国寺 境内を散策

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の天寧寺を出た後、相国寺を訪れました。特別拝観の期間ではなかったので、いくつかの建物の内部や庭園は見ていません。今日は相国寺の境内にある主要な建物を見て歩きます。(上の「総門」は京都御苑の今出川門の正面にあります。)

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相国寺は、足利義満が創建を発願し明徳3年(1392)に完成、夢窓国師を開山としました。臨済宗相国寺派の大本山で、正式名称は萬年山相國承天禅寺といいます。禅宗行政の中心的存在でしたが、何度も火災で焼失するなど衰退、再建を繰り返しました。(勅使門)

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「総門」 相国寺の創建当時は室町一条にあり、文正元年(1466)再建されました。その後、天明の大火などで焼失と再建を繰り返し、現在の建物は寛政9年(1797)に復興されたものです(京都府指定有形文化財)。

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「放生池」と「天界橋」 天界とは当寺と禁裏御所との中間に境界線の役目をはたしているところから名づけられました。天文20年(1551)に相国寺が焼亡した天文の乱はこの橋をはさんで始まっています。

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「勅使門」 この門は、天明の大火を免れたと伝えられ、慶長頃の再建と考えられています。平成16年(2994)修復されました(京都府指定有形文化財)。

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「三門跡」 天明8年(178)の大火で焼失した後再建されず、数個の礎石が残されています。

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総門から続く南北の道に沿って周囲の建物を見て歩きます。

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鐘楼 「洪音楼」 天明の火災で焼け、寛政元年(1789)古鐘を買って仮楼にかけ、天保14年(1843)現在の層楼を築成しました(京都府指定有形文化財)。「袴腰付鐘楼」としては、全国有数の大型なものだそぅです。

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「仏殿跡」 天文20年(1551)の石橋の乱で焼け落ちて以来再建されず、現在礎石だけが残っています。

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「法堂」 最初に建てられた当初(1391年)は「法雷堂」と称しました。その後4度の兵火等によって焼失し、現在の建物は慶長10年(1605)に徳川家康の命により豊臣秀頼が寄進したものです。最古の法堂建築で重要文化財に指定されています。

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「開山堂」 法堂の東にあり、開山の夢窓国師の木像を安置しています。応仁元年(1467)応仁の乱の兵火で焼失し、寛文6年(1666)後水尾天皇が、皇子桂宮第三世穏仁親王のために再建されましたが、又天明8年(1788)天明の大火で焼失します。

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現在の建物は江戸時代末期に桃園天皇の皇后、恭礼門院の黒御殿を賜って文化4年(1807)に移築、仏堂として用いられるように増築や一部改造を行なったものです。

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庫裏「香積院」  方丈と接続しており、文化4年(1807)の建立と伝わっています。バランスの良い立面を持つ相国寺の庫裏は、五山の大型庫裏の遺構として歴史的に貴重なものだそうですです(京都府指定有形文化財)。

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正面に向かって左側にある大玄関は、明治16年(1883)に二世国師の五百年遠忌に際して設けられたもので、それまでは韋駄天(いだてん)を祀る室であったと考えられています。

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「承天閣美術館」 相国寺創建600年記念事業の一環として昭和59年に開館しました。本山相国寺、金閣寺、銀閣寺、他塔頭寺院に伝わる美術品(国宝5点、重文143点を含む)、保存及び展示公開、修理、研究調査、禅文化の普及などを行っているそうです。

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相国寺方丈は、初建以来幾度も焼失して現在の建物は、天明の大火を経て文化4年(1807)に開山堂、庫裏と共に再建されたものです。(写真は方丈勅使門。)

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禅宗の伽藍の配置は南北に山門、仏殿、法堂、方丈が同一軸線上に並んで建てられているのが特徴で、南を向くと法堂があります。仏殿と山門(三門)が再建されていないのが寂しいですね。これから、西にあるもう一本の南北の道沿いに歩きます。

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浴室「宣明(せんみょう)」 現在のものは慶長元年(1596)に再建され、平成14年(2002)に復元修復されたものです。宣明とは皇室と将軍家にだけ許された浴室の別名で跋陀婆羅菩薩を祀っています。

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禅宗の修行において、浴室は「心」と「体」の垢を落とすという意味で重要な役割をはたしているそうです。こちらの道を先ほどとは逆に南に歩きます。

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鐘楼「天響楼」 平成22年(2011)に建立された新しい鐘楼です。この鐘は、中国開封大相国寺により二つ鋳造されて、その一つが日中佛法興隆・両寺友好の記念として寄進されたもので、「友好紀念鐘」の銘や「般若心経」の経文が刻されています。

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義満が寺の名を春屋妙葩と義堂周信に相談したところ、義満の地位「左大臣」が中国では「相国」といい、中国にも相国寺という立派な寺があると助言されました。中国の相国寺は現在も河南省開封市にあり姉妹寺院として交流しているそうです。

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「経蔵」 天明の大火によって焼失した宝塔の跡地に万延元年(1860)に建立されました。高麗版一切経(大般若は元時代の普寧版)が納められています(京都府指定有形文化財)。

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最後に、経蔵横の東西の道を伽藍の中心まで行まきした。ここからの法堂は相国寺の定番の写真ですが、

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来年1月9日から始まる「京の冬の旅」(非公開文化財特別公開)のテーマは「禅 -ZEN- ~禅寺の美 日本文化の美~」だそうです。(こちら側に三門がないのが寂しいですね。)

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来年が臨済宗を開いた臨済禅師の1150年遠諱にあたることから、日本の文化・芸術に大きな影響を与えた禅宗寺院を中心に、相国寺では法堂と方丈が公開されます。

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コメント

今も昔も火事は怖いよね。
最近、かなり冷え込んできたし、空気も乾燥してきてるし、
冬は特に火事に気をつけないとね。

投稿: munixyu | 2015年12月28日 (月) 15:39

相国寺は今も昔もほぼど真ん中ですからねぇ。火災の影響を多く受けたんだと思います。
同志社がすぐ横で、羨ましいなぁ。。と思いますw
ここは109mの七重塔があったんですよね~。法勝寺の八角九重塔と合わせて復元されたらすごいのになぁ。。。といつも思ってます。相当なお金がかかりそうですけど。。
承天閣美術館は若冲の作品が常設で展示されてるし、芦雪の絵もあったので、とてもお気に入りです~。金閣の模型や、夕佳亭の再現もされてて、人だらけの鹿苑寺に行くよりいいぐらいw
今回の冬の旅は、相国寺関係がすごいですね。。法堂・方丈以外にも山外塔頭も含めて3ヵ寺ですからね。まずは年明けに一回行って何か所かめぐって、3月までにもう一回行って全部制覇しようと思ってます~~

投稿: ばるさろ | 2015年12月28日 (月) 21:51

 京都在住のフリーライター兼フリーカメラマンの二階堂 新と申します。面白くてためになるブログですね。小生、京都のD大出身者(笑)です。大学時代、相国寺の参禅教室にも参加したことがあります。  
 2016新春以降、京都の神社仏閣・史跡を巡るミニ・ツアーの開催を企画しています。本日、勝ってながら私のブログにリンク設定させて頂きました。これからもヨ・ロ・シ・ク!

投稿: 二階堂 新 | 2015年12月28日 (月) 23:51

★二階堂さん 初めまして♪
京都を巡るミニ・ツアーを企画されているとのことで、ご成功をお祈りしています。これからもよろしくお願いします。

投稿: りせ | 2015年12月29日 (火) 23:33

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