河合神社 2015秋
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糺の森の馬場を南端まで歩いて、河合神社に来ました。日が暮れかかっていましたが、ここまで来たので覗いてみることにしました。
「河合神社」は下鴨神社の第一摂社ですが、創建の時期や経緯は不明です。平安時代(792年)の「延喜式」に「鴨川合坐小社宅(かものただすにいますおこそべ)神社」とあるのが河合神社だと考えられています。(舞殿)
祭神として玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀り、この女神は賀茂別雷神(かもわけいかずちのみこと)の母であり、鴨一族の祖先を祀る社です。(幣殿)
幣殿に祝詞屋(にのっとや)が繋がり、その北に本殿があります。
本殿の横に末社の貴布祢社(きふねしゃ、右)、任部社(とべしゃ、左)があります。伝説では、貴布祢社から流れる瀬見の小川に、丹塗(にぬり)の矢が流れ着きました。玉依姫命がその矢を床のそばに置くと身籠り、賀茂別雷神を産みます。
成人を祝う神集いの際に、祖父の賀茂建角身命が「父と思う神にこの酒を飲ませよ」と聞くと、賀茂別雷神は天に上り、丹塗の矢が乙訓の火雷命(ほのいかずちのみこと、雷神)であると分かり、賀茂別雷神と名づけられたそうです。(貴布祢社)
任部社の祭神は八咫烏命(やたからすのみこと)で、賀茂建角身命の化身とされます。神話では、神武天皇を大和まで案内したとされ、導きの神、勝負の神として信仰されています。日本サッカー協会のシンボルマークとしても知られています。
本殿の前から南門の外の「三井社(みついしゃ)」が見えます。賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと、中)、伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと、右)、玉依媛賣命(たまよりひめのみこと、左)を祀っています。
玉依姫命は美しい女神で「日本第一美麗神」として信仰されています。手鏡の絵馬に自分の顔を描いて奉納すれば、綺麗になりたい願いをかなえてくれるのだそうです。
拝殿の東に鴨長明の「方丈の庵」があります。長明は若くして河合神社の正禰宜惣官の父を失い、その後各地を転々とします。その間の住まいとした組み立て式の「方丈」が再現されています。
「日露戦役褒美ノ砲弾」 神社に砲弾とはちょっと?ですが、戦勝記念として勝負事に霊験があるとされる八咫烏に奉納されたものだそうです。
手水舎が東西の鳥居のそばにあります。
門の横にある授与所(休憩所) 下鴨神社でとれるカリンの実から抽出した美人(かりん)水を販売しています。
境内の西にある「六社(むつのやしろ)」 右から、諏訪社、衢社(みちしゃ)、稲荷社、竈神(かまどのかみ)、印社(いんしゃ)、由木社(ゆうきしゃ)
六社の横にある西門から出ると、昨日の記事で紹介した「古馬場」に出ます。ここは、かって「御陰祭」の「切芝神事」が行われた場所です。
御陰祭は、下鴨神社の御祭神が降臨した御陰山から、荒御魂(新しく生まれた神霊)を本社に迎える神事で、かつては御生神事(みあれしんじ)といわれていました。
糺の森に祭場となる切芝がつくられ、切芝神事が行われます。切芝神事では、神馬に乗った荒御魂に向かい舞楽(東游)が奉納されます。
永正14年(1517)以前はこの古馬場で行われ、元禄7年(1694)に再興されてからは現在のように表参道で行われています。
西の鳥居
瀬見の小川を渡り、表参道から御蔭通に出ました。
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コメント
冬枯れ、散紅葉。どんどん冬季語がでてきて
冬らしくなってきましたね。今日は急に冷え込んできたみたいで、いよいよ冬本番?だね。
投稿: munixyu | 2015年12月17日 (木) 15:28
河合神社も久しく行ってないなぁ。。。落ち葉が茅葺きの屋根に積もってますね~。神社の屋根は下の方が反って、平らに近いから、積もったままになったりしないかと心配に。。。w
玉依姫って、女神の総称みたいな所もあるみたいですね。他の神社で玉依姫が祭神になっている所があって、ここと関係あるのかな。。と調べてみたら、別の人をさしている様でした。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。。。でしたかね、方丈記。読んだのは中学生ぐらいで、いまいち無常観に共感できなかったのですが、語り口の漢詩のような雰囲気が好きでしたねぇ。。。今になって読んだらまた違った感想になるかも。。
投稿: ばるさろ | 2015年12月17日 (木) 22:51