高台寺 方丈から庭園へ 2015秋
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昨日の記事で高台寺の方丈まで来ました。かって伏見城の遺構を用いた「大方丈」と「小方丈」がありましたが火災で焼失、大正元年(1912)にこの方丈が再建されました。本尊の釈迦如来坐像(宝冠釈迦)を安置しています。
方丈を出て庭に下ります。小堀遠州の作庭とされる池泉廻遊式庭園で国の史跡・名勝。左の渡廊下には秀吉遺愛の観月台、手前に鶴島、東山を借景とした蓬莱山水の庭園です。
拝観順路は方丈前庭の横を通ります。左(南)に勅使門、西に唐門、南西隅に枝垂桜があります。この日は立砂と大きな円弧上の波紋を造っていました。
方丈の東門を出て左手に、、
中門があり、その先が開山堂です。
「開山堂」(重文) 高台寺第一世の住持、三江紹益禅師(1527~1650)を祀る塔所です。
左手は「偃月(えんげつ)池」 ここからは見えませんが、渡廊下の向こうに亀島があります。
右手は「臥龍(がりょう)池」
開山堂の左右壇上にはねねの兄・木下家定と家定の妻・雲照院の像も安置されています。下は開山堂と上の霊屋を結ぶ「臥龍廊」。
礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられています。内部は撮影できません。
開山堂を後にして、順路に従って山の方に向かいます。ここからは臥龍廊の龍が伏せた姿が分かります。
ここから山の斜面を上ります。ちなみにこの裏山は「高台寺山」で、東山三十六峰のひとつです。北の峰は東大谷山、南は霊山です。
ちょと上ったところにある「霊屋(たまや)」(重文) 北政所の墓所で、厨子内に秀吉と北政所の木像を安置しています。須弥壇や厨子には高台寺蒔絵とよばれる華麗な蒔絵が施され、桃山時代の漆工芸美術の粋を集めています。
開山堂)と霊屋は高台寺建立の際に伏見城から移された建物です。臥龍廊のこちら側はかなり急です。
霊屋の石段下からさらに斜面を上ります。
手前は「傘亭」(重文)、向こうは「時雨亭」(重文) 二つの茶室は土間廊下でつながっています。これらの茶室も伏見城から移されたものです。
時雨亭は伏見城にあったときに、秀吉が時雨のように不意に訪れたことから名付けられ、傘亭と対になっていたそうです。下段の土間は竈があり台所、板間は待合として使われたそうです。廊下の端に上段への階段があります。
上段の三方が突き上げで開き、伏見城ではここから景色を眺望したといいます。
茶室には入れませんが、その前からでも西の方は眺望があります。
順路は、茶室から下りになります。
途中で竹林になり、
山から下りたところに、甘味処の「雲居庵(うんごあん)」があります。
鬼師・美濃邉恵一氏が鬼瓦で制作した「龍の頭」 3年前の夜間特別拝観で波心庭の白砂に置かれ「大海を泳ぐ親子龍」として話題になった作品です。
順路の最後にちょっとだけ波心庭が見えます。
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コメント
夕日と紅葉がマッチしてますね~。円形の波紋が、水面に何かが落ちたと時の形になっていて、ステキですね~ただの円じゃないところが珍しい!
傘亭、時雨亭は伏見城にあったんですか~。城内に茶室ってのもなんか不思議な感じがしますね。もう戦うためじゃなくて隠居用として使ってたってことでしょうね。伏見城の戦いより先にこっちに移してたんですかね。。。何回か作り直されてるなんて話も聞いた気がするので、戦いがあった時は別物だったのかなぁ。。。ちゃんと調べてみますw
投稿: ばるさろ | 2015年12月14日 (月) 00:21