青蓮院 庭園 2015秋
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青蓮院のお堂を巡ったあと、庭園の散策をしました。庭園に入ると、青蓮院の主庭の「相阿弥の庭」に出ます。室町時代の相阿弥が作庭したとされます。
池は「龍心池」、中央の大石は沐浴する龍の背を表していて、半円形に反った石橋を「跨龍橋」、石組みの滝(写真には写っていませんが)を「洗心滝」というそうです。
散策路は、池に注ぎ込む小川に沿って北に向かいます。庭園全体が池泉回遊式となっています。
振り返ると山(粟田山)の斜面が庭に迫っていることが分かります。山裾を利用して柔らかな曲線をえがいた築山が設けられていて、「築山泉水庭」ともいうそうです。
このあたりは小堀遠州作の「霧島の庭」 山裾の斜面からこのあたり一帯に霧島つつじが植えてあり、五月の連休の頃には一面真っ赤になるそうです。
「好文亭」 後桜町上皇が青蓮院を仮御所としたとき、学問所として使った建物です。明治以降は茶室として使用していましたが、平成5年に放火で焼失してしまいました。
様々な方面からの協力もあって平成7年秋には再建されました。創建当初の平面図が残っていて、四畳半の茶室三部屋と六畳の仏間、水屋等の配置や造り、木材等の材質や工法も同じに建設して、完全に復元されたといえるそうです。
好文亭の路地庭は大森有斐(ゆうひ)の作庭とされます。大森有斐は江戸時代中期の茶人で、下の写真では袈裟型燈籠と蹲踞が見えます。
好文亭には、上村淳之画伯から奉納された花鳥図の障壁画十三画が納められているそうです。
木の間から相阿弥の庭と華頂殿が見えます。
この後、順路に沿うと竹林の坂道の真ん中あたりに出ます。坂道を下ると庭に降りることができますが、まずは上に行きます。
坂道の上に、「日吉社」があります。鎌倉時代の天台座主、3世青蓮院門跡の慈円が天台宗の守護神として信仰して勧請した「十禅師社」で、江戸時代に再興されました。
かっては、粟田口から東海道を行く旅人は、十禅師社に旅の安全を祈願したといいます。横に二つの摂社「稲荷社」と「秋葉社」があります(写真は稲荷社)。、
鳥居の前から、庭や建物、向こうに市街や西山の方まで見渡せます。
竹林の坂道を下りると、本堂と小御所をつなぐ渡り廊下のあたりに出ます。
本堂の裏側に青不動(現在は複製写真)が納められています。
宸殿 右近の橘と左近の桜が見えます。この庭はかって白砂を敷いていたそうです。
自由に鐘を撞くことができます。
散策路は鐘楼の前から北に向かいます。その途中から本堂の表が見えます。
右に見えるのは宸殿の「大玄関」で、青蓮院の正式の玄関になります。奧に孝明天皇が使用した輿が陳列されています。正面の「長屋門」は明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもの。
青蓮院を訪れたのは11月30日ですので、現在は紅葉が見頃になっているかも知れません。
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コメント
秋は、水の色がよくて、池がより美しく見えるよね。
やっぱり天高い秋の空色が、水面に映るからだろうね。
投稿: munixyu | 2015年12月 7日 (月) 16:38
そういえば、しばらく上の方まで行ってませんでした。。久々に行ってみたくなったなぁ。。。
好文亭がいつも見られないので、そっちの方に行くのもダメなのかと思ってましたが、結構行けそうですね~ 今度行ってみます!
青不動の護摩堂の所が、まるで能舞台のようになってるところが結構好きです。隣の。。。花園天皇陵でしたっけ。。。その坂道の途中から見える感じが好きですねぇ
投稿: ばるさろ | 2015年12月 7日 (月) 22:46