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2015年11月10日 (火)

出町三角州 秋景色

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事では、高野川の西岸を下って河合橋まで来ました。橋をくぐると出町三角州に出ます。向こうは加茂大橋。

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以下では、このあたりの歴史を振り返りながら歩くことにします。「出町」とは西岸のあたりの古い地名で、かっては京都町の北東の端でした。(あちこちから楽器の音が聞こえてきます。)

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叡電の駅名となっている「出町柳」は、「出町」と東岸の古い地名「柳」を合わせたことばです。今でも、上柳町、下柳町など「柳」のつく地名が残っています。

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昭和の初めごろまで、京都の市街地は、北は鞍馬口通あたり、東は鴨川まででした。鴨川の東は農村地帯で地名も「村」が付きました。

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出町からは三つの街道(若狭街道、鞍馬街道、山中越)が出ていて、京の北の玄関口でした。いろんな産物が集まり市場町となり、その歴史が今の「出町商店街」に引き継がれています。

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このあたりにある橋を「出町四橋」といい、加茂大橋、河合橋(右)、出町橋(左)、葵橋(出町橋の上)です。

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明治時代以前には三角州が今より短く、高野川と賀茂川は出町橋・河合橋のあたりで既に合流していました。そして「出町橋」が出町と出町柳を結んでいました。こちらは鴨川の西岸

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大正時代になると三角州が伸びてきたので、大正7年に出町橋を今のような出町橋と河合橋に分ける工事が行われました。

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大正10年の水害で葵橋が流出してしまいます。それは復旧されず、新しくできた出町橋を「葵橋」と呼ぶことになりました。出町橋の上から

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向こうに見えるのが葵橋(昨日の記事で”葵橋”と書いたのは”御蔭橋”の間違いでした。)

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一方、大正時代の都市開発で今出川通が幹線道路となります。それまでは細い通りで、東は河原町の伏見宮家の屋敷で終わっていました。カラスも川で餌を探していました。

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昭和6年に屋敷を撤去して加茂大橋が造られ、ようやく今出川通の東西が貫通しました。設計は京都大学教授の武田五一で、橋の欄干が石燈篭となっているなど斬新なデザインでした。

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昭和10年の集中豪雨で鴨川が氾濫して、無事だった橋は5つだけといいます。出町橋(葵橋)と河合橋も流され、コンクリート製の加茂大橋に引っかかっていたそうです。

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昭和13年に河合橋が復旧し、出町橋(葵橋)は昭和29年にコンクリート製となるまで何回か流されたそうです。

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昭和31年に市電専用の葵橋が現在地にできます。昭和35年には通常の橋となり、河原町通と下鴨本通が南北につながりました。そのとき、葵橋と出町橋が現在の名前に戻されました。

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昭和10年の水害を契機として、鴨川の川底を約2m掘り下げるなど河川の大改修工事が行われました。河川敷を緑地化して、運動広場や芝生地が造られました。

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堤防上にはサクラやマツ、カエデ、ムク、エノキなどが植えられ、今では老木の並木として鴨川の秋を彩っています。

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2015 紅葉 1」カテゴリの記事

コメント

川も橋も、水害で大変だったんだね。
今でも豪雨が来ると、氾濫とか起きてるところも
あるもんね。
自然ってほんと怖いよね。

投稿: munixyu | 2015年11月10日 (火) 14:10

地名の由来や変遷て、地形やその土地の特徴や特産物、歴史や人物等といろいろな形で絡んでいて探ると楽しいですよね~~。古い地名が残っている所は尚更かも。。。出町は京都の出口にある街って意味かもしれませんね。出町の商店街は、豆餅が有名なふたばさんのある所ですよね??アーケードの中のお店もこじんまりしてるけど色々あって好きです~
京都駅の伊勢丹で行列してる事もある阿闍梨餅が、すんなり買えるのに驚いた!w
高野川の上流は結構力強い流れなのに、三角州の辺りだと浅瀬で緩やかに見えるのは、大改修のおかげだったんですね~。太田垣連月さんの事を思い出しました。。昔は大変だったんだなぁ。。。

投稿: ばるさろ | 2015年11月11日 (水) 00:56

★ばるさろさん こんばんは♪
古い地名も一つの遺産ですね。調べてみると、地元の私も知らなかった由来があって、誇らしく思うこともあります。そう考えると、市町村の合併で古い地名が無くなるのは寂しいですね。

投稿: りせ | 2015年11月11日 (水) 20:00

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