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2015年11月18日 (水)

鷺森神社 2015秋

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

鷺森神社に行ってきました。市内でも北の山沿いにあるので、一足早い紅葉が見られると思っていたのですが、やはり見頃はまだでした。

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「鷺森神社」(さぎのもりじんじゃ) 平安時代の貞観年間(859-77)の創建と伝えられ、最初は比叡山麓の赤山明神の付近に祀られていました。ところが、応仁の乱(1457-77)の兵火で罹災し、今の修学院離宮の山林中に移されました。

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江戸時代の元禄年間(1688-1704)に後水尾上皇によって離宮が造営され、それにともなって社地を賜り現在地に移されました(1689年)。

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以来、修学院・山端地区の産土神として現在に至っています。ちなみに、「鷺森」という地名は、このあたりに(神の使いとされる)鷺が群れていたことが由来だそうです。

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後水尾上皇や霊元法皇は、修学院を訪れる際には当社にも参拝したそうです。享保14年(1729)に霊元法皇が詠んだ「をりゐるを みし鷺の森 すきかてに わけきてけふは むかふ神垣」の歌碑があります。

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「八雲殿」

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境内に入ると、ご神木の杉の大木が目に入ります。

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「手水舎」 江戸時代(1775年)に造られたそうです。

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お札・御朱印の授与所

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舞殿から

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本殿は石段の上にあります。

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「拝殿」 本殿と拝殿も江戸時代(1775年)の建立です。

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「本殿」 祭神として素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀っています。

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いろんな干支の絵馬がありました。

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祭具庫(神輿庫) 5月5日の神幸祭は、管笠・紅襷姿の男児が「さんやれ さんやれ」と声を掛けて神輿を先導して御旅所を回り、「さんやれ祭」ともいわれています。

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左は縁結びのご利益があるという「八重垣」 この名の由来は、祭神の素盞嗚命が詠んだ歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」にちなんでいるそうです。「八雲殿」も同様です。

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先日紹介した石見神楽では、素戔嗚尊が大蛇を退治して櫛稲田姫を救うところまででした。その後、須賀神社と八重垣神社がある場所に新居を建て、その際に詠んだのが上の歌とされます。

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「御幸橋」(みゆきばし) 元は修学院離宮の正面入り口に架かっていたもので、昭和42年(1967)の本殿改築の際に請願して賜ったそうです。

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鷺森神社は修学院離宮に対して、特別な関係にあるようです。

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この小道を通って森を抜けると「曼殊院道」に出ます。

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2015 紅葉 2」カテゴリの記事

コメント

今年は暖冬らしいんで、紅葉も遅いのかな。
これだと、大阪は雪も降らないだろうね。
嬉しいような、寂しいような。

投稿: munixyu | 2015年11月18日 (水) 13:26

鷺宮神社の前を右に折れて曼殊院まで歩いて行ったことはあるのですが、一枚目の写真の感じと、記憶が全然違っていて、地図で確認してしまいましたw
前を通った時はもうちょっとさびれてる感じでしたが、なかなかどうして、立派で素敵ですねぇ。修学院が予約制なので、ついでに。。。って感じにならなかったのですが、案外一人でも予約でいけるようなので、ついでに行けるかも。。と思ったりもしています。雲母坂から比叡山に登ったことがありますが、修学院の反対側がここの裏側って感じかなぁ
すぐそこに街があるとは思えない所が好です~

投稿: ばるさろ | 2015年11月18日 (水) 18:46

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