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2015年9月 8日 (火)

南禅院 緑の名勝庭園

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事では南禅寺塔頭・最勝院を見たあと帰宅しました。その後、日を改めて南禅寺界わいを訪れました。水路閣の向こうに南禅院の勅使門が見えます。

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ここは亀山天皇の離宮の遺跡であり、南禅寺発祥の地と呼ばれています。

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鎌倉時代の文永元年(1264)、亀山天皇はこの地に離宮・禅林寺殿を造営しました。その後、禅林寺殿の一部が焼失し、その跡地に上の御所(松下殿)を建てます。焼失を免れた部分は下の御所と呼ばれるようになります。

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亀山天皇は文永11年(1274)に譲位して上皇となり院政を開始します。亀山上皇は弘安10年(1287)に上の御所に持仏堂・南禅院を建立しました。(方丈)

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亀山上皇は正応2年(1289)に出家して法皇となり、正応4年(1291)には離宮を寄進して禅宗寺院の禅林禅寺とし、無関普門を開山として迎えました。これが南禅寺の始まりです。

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その後、南禅院はたびたび火災にあい、応仁・文明の乱(1467-1477)以後は荒廃したとされます。(方丈前庭は、江戸時代の小堀遠州(1579-1647)作庭の枯山水式庭園で、名勝庭園になっています。)

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江戸時代の元禄16年(1703)になって、将軍徳川綱吉の母・桂昌院の寄進によって再建され、現在に至っています。

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方丈庭園 鎌倉時代末期に夢窓疎石が作庭したと伝わる池泉回遊式庭園で、国の史跡および名勝に指定されています。これから池の周りを一周します。

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茶室「龍淵窟」 昭和の数寄屋大工・岡田永斎作の書院風茶席で庫裏、方丈と廊下でつながっています。

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亀山天皇分骨所 亀山天皇の墓は天龍寺境内に亀山陵、亀山公園に火葬塚があり、ここは遺言により分骨埋葬された御陵です(宮内庁の管轄地です)。

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中国・元は2度の元寇の失敗の後、一山一寧を入貢督促(貢物の催促)の国使として来日させました。しかし鎌倉幕府の執権・北条貞時は、一山らを伊豆の修禅寺に幽閉します。

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その後、一山の本国における禅僧としての名声を知り、貞時はその幽閉を解いて一山に深く帰依しました。そして、建長寺10世に迎えられ、円覚寺の住持にもなりました。(龍門瀑、水は琵琶湖疏水ですが石組は鎌倉時代の形式とか。)

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正和2年(1313)に後宇多法皇に招かれて上洛し、南禅寺3世住持に任命されました。(滝の水は龍の形に造られたという上池・曹源池に注がれています。中央の鶴島に蓬莱石が置かれています。)

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一山は、朱子学を日本に伝え、書や文学にも優れ、五山文学の祖といわれました。(池の周りの道は山裾の木立の中を通ります。)

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そして、一山派として高峰顕日、虎関師錬、雪村友梅、夢窓疎石など多くの弟子を育てました。一山は文保元年(1317)南禅寺で亡くなり、享年71歳、来日して18年目でした。

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方丈の反対側に来ました。

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滝の水は下池に流れ込み、ここには小島を「心」の字に配した心字島が造られています。池ではなく島で字を造るのは珍しいそうです。

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実際には、どのように見たら「心」になるのか分かりませんでした。

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南池を一周して方丈に戻ってきました。

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こちらは、方丈の前にある西池です。

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向こうは勅使門(重文)で桃山城の遺構とか。方丈には「亀山法皇坐像」(重文)と「一山一寧坐像」(重文)が安置され、襖絵は狩野派によるもの。

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築地塀は筋塀で、門跡寺院や本山などの格調の高さを示す5本の定規筋があります。

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結局、南禅院は亀山天皇の離宮に建てられ、離宮が南禅寺(禅林禅寺)となってからも(南禅院として)この地に引き継がれてきました。瓦には菊の御紋があります。

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その歴史から、南禅院は南禅寺発祥の地とよばれ、塔頭ではなく南禅寺の別院であることが分かります。

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コメント

偉い方でも、初めはいろいろ大変なんですね。
偉い方が偉いってわかるまで、ですよね。

投稿: munixyu | 2015年9月 8日 (火) 14:49

水路閣は本当に溶け込んでますよね。。。今の建築家にこの調和が作れるのだろうか。。。などど門外漢ながら思ってしまいますw
龍淵窟が気になる!南禅寺はかなり昔に行ったけど、南禅院は前を通っただけだったので、またちゃんと確認しにいってみたいなぁ~

投稿: ばるさろ | 2015年9月 8日 (火) 22:04

★ばるさろ さん おはようございます♪
水路閣を設計した田辺朔郎は「建築物はすべからく美しくなければならない」と述べていたそうです。現代の新しい建物では奇をてらったデザインのものもありますが、はたして100年後にも評価に耐えられるのか疑問ですね。もっとも、構造物としてそんなに長く使用できるのか分かりませんが。

投稿: りせ | 2015年9月12日 (土) 06:21

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