駒ヶ瀧最勝院と駒大僧正
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
南禅寺の庭園を見た後、塔頭の最勝院を訪れました。そこは南禅寺創建にまつわる奇妙な話の舞台となった場所です。本坊を出て左にある水路閣の方に向かいます。
水路閣の下をくぐると、最勝院への道しるべがあります。
しばらく水路閣に沿って行くと、琵琶湖疏水(分線)がトンネルになって山の中に入る場所があります。
そこが最勝院の参道の入り口です。
最勝院の創建の詳細は分かっていませんが、鎌倉時代からこのあたりの山中は霊地として「神仙佳境」と呼ばれていたそうです。天台密教の僧・道智(どうち)が晩年この地に移り住んだのもその頃です。
道智は、摂政関白の九条道家(1193-1252)の子で、幼くして仏門に入り、比叡山で修行して天台密教の深奥を極めました。その後、三井寺の管長や禅林寺(永観堂)の住持も務めましたが、晩年になると世を嫌いこの地に隠棲したのです。
道智は、文永3年(1266)3月3日に法力を使って白馬にまたがって天空に消えてしまったといわれています。この話から道智は駒大僧正、山中の滝は駒ヶ滝と呼ばれるようになりました。
その後、亀山上皇はこの地に離宮(禅林寺殿)を造営しました。ところが、正応年間(1288-1293)の初め、離宮に昼夜を問わず白馬にまたがった駒大僧正の怨霊が出て「妖怪千変万化」したといわれます。本堂
上皇は高僧を召集して種々の加持・祈祷をさせましたが、一向に効き目がありません。そこで、東福寺第3世の無関普門を呼びました。普門は弟子20人と3カ月の間離宮で行を行い、ようやく怨霊が退散したといわれます。(本堂には、福徳円満大黒天と払災殖福不動尊が祀られているそうです。)
「縁結びの松」 樹齢300年の百日紅の木の根の間から樹齢100年の松が生え、絡み合っています。
駒大僧正はこの地に異常なほど執着していたと考えられ、離宮に駒大僧正を鎮守として祀ったそうです。
その後(1291)亀山法皇は離宮を禅寺に改めて、無関普門を住持として迎えます。その際には、駒大僧正を護法神として祀ったといわれています。
その後の詳しいことは分かっていませんが、1912年頃まで駒大僧正を祀ったお堂は現在の南禅寺寺務所の場所にあって、最勝院般若殿と呼ばれていたそうです。最勝院は駒大僧正の院号です。
1915年には南禅寺塔頭となり(最勝院)高徳庵とよばれます。1917年に駒大僧正のゆかりの現在地に移転しました。ここは、かって夢窓国師の塔所があった場所だそうです。
ちなみに、亀山法皇は、南禅寺の住持には最も優れた者を就けよと厳しい規約を定めたそうです。それも駒大僧正の怨霊退治の件があったからかも知れません。

後に南禅寺が五山を超えた別格寺院となり、その住持が禅僧の最高の地位とされたのもこの規約があったからだといわれています。
手水舎の横の門から駒大僧正が祀られている奥の院(駒ヶ滝)に行けますが、この日は遅くなったので止めました。
この地に執着するあまり没後はちょっと困った駒大僧正でしたが、現在はおとなしく祀られているようです。
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コメント
いつも拝見しておりました
今回は勇気を出してコメントさせて頂きます(笑)
南禅寺は春に秋にと訪れる場所です。
で、訪れた事のある最勝院です
大好きな場所なので 楽しく拝見させて頂きました
秋の紅葉の時期には また賑わう事でしょうね
お邪魔いたしました~
投稿: たくろう | 2015年9月 6日 (日) 11:42
お寺とかは結構、ここまで来るまでの歴史が
いろいろ複雑で大変なものですよね。
投稿: munixyu | 2015年9月 6日 (日) 15:07
★たくろうさん はじめまして♪
コメント、ありがとうございます。
紅葉の頃の最勝院は素敵ですね。これからもよろしくお願いします。
投稿: りせ | 2015年9月 6日 (日) 23:43
★munixyuさん こんばんは♪
いつもコメントありがとうございます。
ブログのおかげてお寺や神社の歴史を調べてみると、いろんなことを考えされられます。小さな寺社でもそれなりに歴史があって、今まで維持してこられた人々の苦労に頭が下がります。そんな寺社の建物を見ると、あちこちが痛んでいたりして、修復する資金はあるのだろうかと心配になったりします。
投稿: りせ | 2015年9月 7日 (月) 00:32