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2015年9月10日 (木)

天授庵 二つの庭園

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

南禅院と水路閣を後にして、天授庵の前に来ました。正門の脇に「開山大明国師霊光塔」があります。大明国師とは、南禅寺の開山・第1世無関普門のことです。

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天授庵は、暦応2年(1339)に光厳天皇の勅許により虎関師錬が南禅寺開山・無関普門の塔所として建立されました。無関普門が亡くなってから48年後のことです。

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無関普門は、1281年から東福寺3世として住持を務めていましたが、1291年の南禅寺創建のおりに亀山上皇に開山として招かれました。

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しかしながら、病にかかり住坊であった東福寺・龍吟庵に移ります。上皇は普門を見舞い、手づから薬湯を与えるなどしましたが、同年龍吟庵で亡くなってしまいます。こうして、東福寺・龍吟庵は無関普門の塔所となりました(諡号が大明国師です)。

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室町時代の暦応2年(1339年)南禅寺15世・虎関師練(こかんしれん)は、南禅寺山内に開山の塔所がないことを遺憾に思い、光厳天皇から塔所建立の勅許を得て天授庵を建立しました。(本堂)

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この地は鎌倉時代に駒大僧正が建立した最勝院の最初の場所でした。駒大僧正の怨念を退治したことが、無関普門が南禅寺の開山に招かれるきっかけでしたので、因縁のある場所です。

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その後、天授庵は何回か火災に遭い、特に応仁・文明の乱(1467-1477)で焼失した後は荒廃してしまいます。(こちらは本堂東庭の枯山水庭園・淵黙庭で、鎌倉時代の創建時に造営されたと考えられています。)

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安土・桃山時代の1602年、南禅寺226世住持・玄圃霊三は、荒廃していた天授庵を再興するために、弟子の雲岳霊圭を天授庵主としました。(本堂の襖絵(重文)は、安土・桃山時代(1602)の長谷川等伯晩年の筆といわれています。)

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霊三は、知友の細川幽斎(1534-1610)に援助を求め、方丈、正門、旧書院、塔などが再興されました。それ以降、幽斎の廟所が造られるなど、細川家ゆかりの寺院となりました。(こちらの石畳は江戸時代(1610)に造られ、幽斎夫婦の墓所に向かいます。)

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細川幽斎(1534-1610)は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名で、当初は足利氏に仕え、後に織田信長のもとで大名となります。(この門からが池泉回遊式庭園の書院南庭です。 )

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書院南庭は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけてのもので、天授庵の創建当時のものといわれています。東の築山は、慶長期(1596-1615)に改修されました。

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書院南庭には東池(小)と西池(大)があり、滝や出島などが置かれています。こちらの東池の出島、滝付近には、作庭当初の石組が残されているといわれています。木漏れ日が池の水の中まで落ちています。

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細川幽斎は、後にに豊臣秀吉および徳川家康に仕えて肥後細川氏の祖となりました。さらに、近世歌学を大成させたた文化人でもありました。(書院は内部の工事中で入れませんでした。)

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二つの池の地割や一部の護岸石組なども創建当初の遺構とされます。こちらが西池です。

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明治初期には、全池にわたって護岸石組、蓬莱島、石橋、沢飛びが置かれるなどの改修が行われました。

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ところで、天授庵を創建した虎関師練とはどんな人物だったのでしょうか。彼は、京都に生まれ、父は藤原左金吾校尉、母は源氏の出でした。8歳で三聖寺・東山湛照(とうざんたんしょう)に師事し、1287年に10歳で比叡山で仏門に入ります。、

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その後、多くの寺で修行をするかたわら、何人もの学者のもとで学びました。1307年には円覚寺・無為、建長寺・一山一寧を尋ね、1312年には建長寺・約翁徳倹のもとに参じました。

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一山一寧を訪ねたときに、日本の名僧の業績について尋ねられて満足に答えられなかったことを反省して、元亨2年(1322年)に日本初の仏教通史・『元亨釈書』30巻を著しました。

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1313年後伏見上皇の命により歓喜光院の住持となり、その後東福寺(2度)をはじめ各地の寺の住持を務め、1339年に南禅寺第15世住持となりました。

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ところが、2年後(1341)には南禅寺住持を辞して、東福寺・海蔵院に退き海蔵和尚と呼ばれました。

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虎関師練は、博学で知られる仏教史家でもあり、儒学も修め、詩文を学び五山文学の先駆者とされています。康永元年(1342年)には後村上天皇から国師号を賜りました。

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虎関師練は、勉強家で行動力があったようです。そのお陰で、今まで南禅寺に無かった開山の塔所・天授庵を建立することができたともいえます。

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西池は水連の葉で水面がほとんど覆われていました。

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まだ咲いている水連がありました。

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受付に戻る途中に本堂が見える場所があります。本堂は安土・桃山時代(1602)に建立され、無関普門禅師等身大の木像(重文)や細川家歴代の位牌書などが納められています。

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紅葉の頃の庭園は特に美しく、11月15日~30日(17:30~20:45)には夜間特別拝観(ライトアップ)が行われます。

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コメント

緑満喫。これが紅葉すると思うと凄いよね。
まだ先だけど、紅葉、楽しみだよね。

投稿: munixyu | 2015年9月10日 (木) 12:48

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