金戒光明寺 山門から文殊塔へ
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金戒光明寺の蓮池の様子を見に朝早く訪れました。西にある高麗門は修復工事中でしたが、こちらの山門は2年前に修復されました。万延元年(1860)の建立で、桜上正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があります。
金戒光明寺は、「くろ谷」の名で親しまれる浄土宗大本山で、法然上人が初めて草庵を結んだ地とされます。幕末の京都守護職、会津藩主・松平容保が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地ともいわれます。正面に御影堂が見えますが、門を入って右手にある蓮池の方に向かいます。、
極楽橋が架かる蓮池 蓮池院は熊谷直実が出家して庵を結んだ場所で、直実が兜を置いたので別名を「兜之池」というそうです。
多くはありませんでしたが、きれいな形の蓮の花が咲いていました。
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極楽橋を渡り石段を登りきると文殊塔です。左手には
徳川秀忠夫人崇源院 江の供養塔があります。
その前には、江と対立した春日局の供養塔があります! 大河ドラマの放映中は注目を浴びたところです。
極楽橋から右手に行くと、法然上人御廟があります。法然は大谷に埋葬されましたが、嘉禄3年(1227)に大谷廟が破却され、信空により荼毘にふされその没後弟子によりこの地に埋葬されました。
御廟の前には、熊谷一族の墓所があり、こちらは熊谷直実(法力房蓮生)の供養塔 熊谷直実は平家に仕えていましたが、後に源頼朝の配下となり、義経に従い宇治川、壇ノ浦、一ノ谷と転戦します。
一ノ谷では、当時16歳の平敦盛(を討ったことで知られています。後に、頼朝に領地を減じられるなどの扱いを受け、出家して法力坊蓮生と改名しました。
向かい合うように、平敦盛の供養塔があります。
中央の石段を少し上ると、アフロ地蔵(仏)としてすっかり有名になった五劫思惟阿弥陀仏像があります。
もう少し上ると、山門が見えてきます。
ここは吉田山の南斜面なので、石段を上ると次第に見晴らしがよくなってきます。向こうに祇園閣が見えます。
京都タワーが意外に近く見えます。手前は京都市美術館と平安神宮の大鳥居。
文殊塔(三重塔) 江戸時代初期に徳川秀忠の菩提を弔うために建立され、くろ谷の西にあった中山文殊が安置されました(平成20年に御影堂に遷される)。本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作とされています。
塔の裏の最も高い場所に、清和天皇火葬塚があります。清和天皇は平安時代前期の天皇で清和源氏の祖とされます。この近くで火葬され、遺言により水尾に葬られました。
その横に、江戸時代の筝曲の祖・八橋検校(1614-1685)の墓があります。墓参に来る弟子たちのために、沿道にあった茶店が琴の形に似せた焼き菓子を出したのが、「八ッ橋」の始まりです。
塔の前に戻ると、西山の方までよく見えました。中央は愛宕山。
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コメント
熊谷直実、僕の師匠の住む、熊谷のヒーロみたいです。
平敦盛を討つ。大金星ですよね。
投稿: munixyu | 2015年8月 1日 (土) 13:54