祇園祭 後祭・山鉾巡行 2015
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昨日24日は祇園祭の山鉾巡行・後祭でした。10基の山鉾が前祭とは逆コースで巡行します。河原町御池で撮影しました。『祇園会』の旗を先頭に橋弁慶山が来ました。
① 橋弁慶山 (はしべんけい山)
謡曲「橋弁慶」より取材、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわしています。
弁慶は鎧姿に大長刀を斜にかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っているます。橋は黒漆塗で特に牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えています。弁慶は永禄6年(1563)平安大仏師康運の銘、牛若丸は天文6年(1537)同じく仏師康運の銘を持ち、足駄金具は美濃国住人右近信国の銘があります。
② 北観音山 (きたかんのん山)
「上(のぼ)り観音山」ともいわれ、山の上には楊柳観音像と韋駄天立像を安置しています。もと舁山(かきやま)であったものを後に曳山に改めました。
鉾ではないので真木の代わりに真松を立て、松は毎年鳴滝から届けられます。松の左二の枝に尾長鳥をつけています。
破風の彫刻は天保4年(1833)片岡友輔の作で、上水引、下水引は雲龍文および人物風景の巧緻な刺繍です。
見送や水引、飾り金具など豪華な装飾品を数多く所有しています。巡行の時には見送の横から観音懺法の主旨にちなんで大きな柳の枝をさし出しています。
③ 役行者山 (えんのぎょうじゃ山)
山の御神体として役行者と一言主神と葛城神の三体を安置しています。役行者が鬼の顔の一言主神を使って葛城と大峯の間に橋架をけようとして、鬼を使ったとの伝説によります。
正面の洞に役行者が座り、葛城神は女神、一言主神は鬼形で赤熊(しゃぐま)をかぶり手に斧をもっています。役行者は、自ら修行するだけでなく庶民の中に入って医療などにつとめた僧で、古くから民衆に人気がありました。
④ 八幡山 (はちまん山)
町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請したもので、通常は町会所の庭にお宮を祀っています。山の上の小祠は総金箔で天明年間(1781~88)の製作といわれます。前面の鳥居の笠木のうえに八幡さんのお使いの、鳩が2羽、向かい合って止まっています。
*記事の最後にある「お願い」をよろしく。
⑤ 鈴鹿山 (すずか山)
鈴鹿権現をまつります。鈴鹿山は旧東海道の難所・鈴鹿峠を表します。商人を狙う盗賊が多く、この山の神・鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説の鬼退治のおはなしです。
大長刀を手に、立て烏帽子の凛々しい女神様。
⑥ 南観音山 (みなみかんのん山)
俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音”の行をされる」とのいい伝えがあり、「あばれ観音」の別名があります。
楊柳観音像と善財童子像を安置しています。楊柳観音は、三十三観音の筆頭とされ、姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生の苦難を救います。この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)しています。
辻回し
巡行には諸病を防ぐといわれる柳の大枝を差し、真松の枝には尾長鳥が止まっています。見送りは加山又造下絵の「龍王海渡図」。
⑦ 鯉山 (こい山)
鯉山は、中国黄河の難所である龍門の滝を登り切って龍となった鯉が出世開運の神としてまつられたという中国の故事(登龍門)にちなんで作られた山です。
御神体の鯉は全長1メートル50センチに及ぶ木彫の見事なもので、名工 左甚五郎作と伝えられています。
鯉山の周囲を飾る毛綴(タペストリー)は、B・Bのイニシャルがあり、16世紀にベルギーのブリュッセルで織られた壁掛であることが判明しました。元は1枚の壁掛から「見送」「胴掛」「前掛」「水引」が作られています。
また、最近の調査により、この壁掛の図柄は古代ギリシャの詩人ホーマー作で、トロイ戦史を綴った叙事詩「イリアッド」物語の中のプリアモス王と后がゼウスの神に鳥占いを乞うという重要な場面を描いたものであるとのこと。このように鯉山の毛綴は世界的にみても極めて貴重なもので、国の重要文化財に指定されています。別に旧胴掛として更紗のものが保存されています。
⑧ 黒主山 (くろぬし山)
謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人・大友黒主が志賀の桜を眺めるさまをテーマにしています。
御神体(人形)は寛政元年(1789)作の銘があります。山に飾る桜の造花は粽(ちまき)と同様に戸口にさすと悪事が入ってこないといわれています。
⑨ 浄妙山 (じょうみょう山)
平家物語の宇治川の合戦から取材しています。治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来(いちき)法師がその頭上を飛び越え「悪(あ)しゅう候、御免あれ」と前に進み出て先陣をとってしまったという故事です。
橋弁慶山に似て、その瞬間を表すアクロバティックな人形の姿が人目を引きます。
⑩ 大船鉾 【凱旋の船鉾】
蛤御門の変(1864年)の大火で建造物が焼失してから、長らく御神体や懸装品だけを飾る「居祭」として参加していました。2012年に唐櫃巡行で復帰し、昨年(2014)約150年ぶりに復興を果たし山鉾巡行に加わりました。
船鉾と同じく神功皇后の外征説話に取材しており、前祭の船鉾が「出陣の船鉾」といわれるのに対し、大船鉾は「凱旋の船鉾」といわれています。
船鉾と同じく龍神安曇磯良、住吉明神、神功皇后、鹿島明神を安置しますが、帰陣ということで、武装を解き、安曇磯良が合掌しています。
河原町御池での辻回しです
見ているこちらも力が入ります。
前祭は台風11号の雨の中で行われましたが、24日の後祭は梅雨も明けた猛暑日でした。この日は、山鉾巡行に続いて花傘巡行が行われ、夕方からは還幸祭が行われました。祇園祭は7月31日まで続きます。
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コメント
暑い中。みんな元気に、走り回っていいことですよね。
台風も吹き飛ばす祇園祭の力。凄いもんだよね。
撮影も大変だったでしょう。おつかれさまでした。
投稿: munixyu | 2015年7月25日 (土) 12:38
後祭は一転、酷暑の晴天ですね~
見物の人出はどのぐらいなんですか?後祭のほうが見安かったりするのかなぁ
投稿: ばるさろ | 2015年7月25日 (土) 21:06