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2015年6月 1日 (月)

圓光寺 庭園から境内山上へ

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日は圓光寺の庭に下りて散策路に沿って境内の山上まで上ります。何回か訪れているのですが、この日は特別な思いがありました。

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先日、朝のワイドショーを見ていたときのことです。山本石材店「石俊」(葉山馬頭観音の前)を訪れて職人さん(3代目)の話を聞いていました。

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そのとき、初代(祖父)が偉大であったという話が出て、マレーシアのマハティール首相(1991年当時)が突然石材店を訪れてきたそうです。向こうは書院

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70年前に日本に来たマレーシアの王族が戦火に巻き込まれて京都で亡くなり、先代がそのお墓を作ったことを聞いて、感謝の意を伝えに来たそうです。お寺の名前は出ませんでしたが、チラッと画面に出たお墓に見覚えがありました。

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その人は、サイド・オマールさんです。マレーシア・ジョホール州の出身で祖父はジョホール州の首相をつとめ、その一族は政治・経済・教育の分野で名をなしていました。

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昭和18年、当時の東條英機内閣の要請で南方特別留学生の一人としてサイド・オマールさんは来日して広島大学に留学しました。在学中の昭和20年8月6日、原子爆弾に被爆してしまいます。竹林の横を通って、

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彼自身も重傷だったにも関わらず、重い被爆者の救護にあたりました。8月下旬に米軍司令部の命令で帰国のためにオマールさんは東京に向かいます。石段を上ると墓地があります。

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京都まで来たところで病症が悪化して京大病院に運ばれますが、既に末期症状で9月3日に亡くなりました。彼を知る人によると、優秀で心が優しい美青年だったそうです。サイド・オマールさんの墓

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そして、当時の市営墓地であった南禅寺・大日山に埋葬されました。昭和35年になってこのことが週刊誌に掲載され、事情を知った八瀬平八茶屋のご主人らが墓の建立を計画して、

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遺族の許可を得て、翌年9月3日にイスラム教式の墓碑を圓光寺に建立したのです。毎年9月の第1日曜日には供養が行われているそうです。墓の左の金属製の碑は広島大学が建てたものです。下は武者小路実篤氏の追悼文

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オマールさんのことは、近隣諸国との友好や平和の大切さを教えてくれる気がします。寺の案内板やしおりにも書かれるようになりましたが、もっと多くの人に知って欲しいと思っています。この墓地には、村山たか女の墓もあります。さらに石段を上がると、

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視界が開けてきます。右手の鳥居は東照宮で、奥に開基・徳川家康の歯を埋葬しています。

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下を見ると、寺全体が見渡せます。

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奥には愛宕山 手前の緑は賀茂川の土手

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その左には、左大文字がはっきり見えました。

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右には、船形

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更に右には「法」が直ぐ近くに見えます。市内北部から西山まで見渡せ、ベンチも置かれていて、ゆっくりしたいところです。

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帰りは、竹林の中の道を歩きます。

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長くはないのですが、両側に石仏が置かれていてなかなかいい雰囲気の場所です。

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この竹林は十牛之庭の借景にもなっていて、円山応挙は「雨竹風竹図」として描き残しています。

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最後に、寺宝が展示してある瑞雲閣に入りました。

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応挙の竹林図屏風や出版に使用された木活字なとの重要文化財が展示してありました。

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 6 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓」カテゴリの記事

コメント

原爆、悲しい歴史ですよね。
僕のおばあちゃんは広島の軍需工場が
たまたま、お休みで助かったらしい。
営業してたら・・・だったみたい。

投稿: munixyu | 2015年6月 1日 (月) 13:34

名前はうっすら覚えていましたが。。。お墓の話は知りませんでした 応挙好きでもあるので、ここも是非訪れてみたい所に成りました~~
景色もいいですねぇ。。。
と、地図で場所を確認したら、詩仙堂から曼殊院への矢印が書いてある道沿いだった!確かにいくつかお寺が並んでいたなぁ。。これは曼殊院再訪と併せて訪れるモチベーションが上がってきました~
帰りは東大路でラーメン!w

投稿: ばるさろ | 2015年6月 1日 (月) 22:37

★munixyuさん こんにちは♪
人の命は奇跡みたいなものですね。
この世に産まれ出たのも奇跡だと思います。

投稿: りせ | 2015年6月 2日 (火) 13:22

★ばるさろさん こんにちは♪
一乗寺から比叡山麓、たくさん寺社がありますよ、自転車で廻るのが効率良いです。
ラーメン街道が一乗寺、お店の前に行列ができてます。

投稿: りせ | 2015年6月 2日 (火) 13:26

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