金福寺 芭蕉庵と村山たか女
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
金福寺、こちらも詩仙堂の近くです。
詩仙堂に行くときのセットになっているお寺がここ金福寺と圓光寺、そして少し離れた曼殊院。他にも狸谷不動院、八大神社、野仏庵、鷺森神社など見所が多い地域です。
金福寺には与謝蕪村の墓所があり、松尾芭蕉が滞在したとされ、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって再興された芭蕉庵があります。
金福寺のサツキの斜面、今までで一番花が多い時に来ました。
金福寺 (こんぷくじ) 山号:佛日山 臨済宗南禅寺派
貞観6年(864)、慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が創建し、円仁自作の聖観音菩薩像を安置した。 当初天台宗であったが、後に荒廃したために元禄年間(1688年~1704年)に円光寺の鉄舟によって再興され、その際に円光寺の末寺となり、天台宗より臨済宗南禅寺派に改宗した。本尊は聖観音菩薩。
その後鉄舟と親しかった松尾芭蕉が、京都に旅行した際に庭園の裏側にある草庵を訪れ、風流を語り合ったとされ後に芭蕉庵と名付けられたましが、荒廃していた為、彼を敬慕する与謝蕪村とその一門が安永5年(1776)に再興しました。
「芭蕉庵」の扁額が架けられた庭園入口 (入って振り返っています)
サツキの築山と白砂の枯山水、3段の生垣ごしに芭蕉庵の萱葺き屋根が見えます。
まずは本堂の中から枯山水庭園。
そよ風にゆらゆら、涼しげな設えになっています。
舟橋聖一作歴史小説「花の生涯」のヒロイン村山たか女が、金福寺で出家し妙寿尼と名乗り、明治9年まで14年間ここで過ごし、67才の生涯を閉じました。法名は清光素省禅。
本堂では与謝蕪村と村山たか女の遺品が拝観できます。
村山たか(村山たか女) (Wikipedia)
1809年(文化6)、近江国犬上郡多賀町で、多賀大社にあった寺坊尊勝院の娘として生まれる。生後すぐに寺侍村山氏に預けられ、18歳の時に当時の藩主である井伊直亮の侍20歳になり京都に上って、祇園で芸妓となり、その際男子をもうけるが、私生児であった為に自らが引き取り生まれ故郷の彦根に戻る。その際彦根城下で蟄居生活を過ごしていた井伊直弼と出会い、その数年後直弼が長野主膳と出会いたかとも深い関係になったとされる。
やがて直弼が大老となり、江戸に移った後二人は別れたとされるが、安政の大獄の際には京都にいる倒幕派の情報を江戸に送るスパイとなり大獄に大きく加担した。日本の政権に属した女性工作員としては史上初めて名をとどめる存在である。
1860年(安政7)の桜田門外の変で直弼が暗殺された後、1862年(文久2)に尊王攘夷派の武士に捕らえられ三条河原に3日3晩晒されたが、女性ということで死罪を免れました。
その後金福寺で出家し妙寿尼と名乗り、1876年(明治9)に亡くなった。
かなり上って来て、市内が見えるようになりました。
「村山たか女の参り墓」です。
当時この寺は圓光寺の末寺であったので、本墓は圓光寺に建てられました。金福寺でも彼女の菩提を弔うための本墓の土を埋め、彼女の筆跡を刻み、参り墓としました。
こちらは与謝蕪村の墓
与謝蕪村(よさぶそん、よさのぶそん) 江戸時代中期の日本の俳人、画家。
芭蕉庵
庭園の東側に立つ茅葺き屋根の庵で、内部は千利休が造った待庵に似た三畳台目の茶室となっています。
背後の丘に与謝蕪村をはじめ近世の俳人の墓や句碑があります。
木の隙間から見ると、かなりの眺望で中央に左大文字が見えました。
山門脇に、たか女が慶応3年(1867)に建てた小さな弁天堂があります。
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コメント
満開のサツキ。ぽつぽつもいいけれど、
やっぱり満開は嬉しいよね。
投稿: munixyu | 2015年6月 2日 (火) 13:48
芭蕉庵の佇まいがステキ!!
この付近を訪れた時の写真を見返していたら
ちゃんとここと圓光寺の門だけ写真に撮ってましたwまだ開いてない時間で、曼殊院も開く前に着いたんだったなぁ。。と思い出しました
蕪村のお墓はここだったんですねぇ。師匠の夜半亭巴人のお墓は、北野天満宮の近くの地蔵院(椿寺)で見つけて こんなところに!と思いましたが。。
いろいろ廻ってると、繋がってきて面白いですね~
投稿: ばるさろ | 2015年6月 2日 (火) 21:31
★munixyuさん こんにちは♪
サツキの種類が違うのか?
剪定の仕方が違うのか?
どちらなんでしょうね。
投稿: りせ | 2015年6月 3日 (水) 19:20
★ばるさろさん こんにちは♪
ばるさろさんは良くご存じですね。
歴史上有名な方のお墓が本当にアチコチ・・・多いですね。
お墓だけじゃなく、供養塔とか、○○塚とか・・・。
投稿: りせ | 2015年6月 3日 (水) 19:23