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2015年6月26日 (金)

桔梗の寺 天得院・東福寺塔頭

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東福寺塔頭の天得院は通常非公開ですが、桔梗の咲く頃と紅葉の秋に特別公開されます。
天得院は「方広寺鐘銘事件」により取り壊されますが、後に再建されて現在は「桔梗の寺」として親しまれています。今日はその歴史を振り返りながら拝観していきます。

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天得院  山号:万松山(ばんしょうざん)  臨済宗東福寺派
南北朝時代の正平年間(1346~1370)に、東福寺第30世住持 無夢一清(むむいっせい)禅師が開創した東福寺五塔頭のひとつです。

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その後、年と共に寺は荒廃していきましたが、大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興されました。

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慶長19年(1614)に東福寺 文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住菴となり、豊臣秀吉や秀頼の五山の学僧として手厚い扱いを受けていました。

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清韓は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての臨済宗の僧です。伊勢国に生まれ出家した後、慶長5年(1600)東福寺227世、その後南禅寺の長老も歴任し、「韓長老」とあがめられました。

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清韓は朝鮮語に堪能で、文禄の役では通訳として加藤清正に従い朝鮮半島に渡りました。

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清韓は漢詩文にも秀でていたので、秀頼の請に応じて方広寺の鐘銘を撰文することになりました。なお、「方広寺」は後につけられた名で、当時は単に大仏(殿)と呼ばれていました。

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豊臣秀吉の没後、秀頼は大仏殿の再建に取り掛かり、慶長17年(1612)には大仏に金箔を押すところまで完成、慶長19年(1614)には梵鐘が完成して徳川家康の承認を得て、開眼供養の日を待つばかりとなっていたのです。

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ところが、同年7月26日に家康は梵鐘の銘文中に不吉な文字があるとして、開眼供養の延期を命じます(方広寺鐘銘事件)。

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銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が、家康を引き裂き豊臣家の繁栄を願うものとして、家康の怒りを招き、徳川家を冒涜するものと看做され、後に大坂の役による豊臣家滅亡を招いた遠因とされています。

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実際には、銘文に「家康」という諱(いみな)を記したこと自体を問題にされたという説が有力です。諱は正式な名称のことですが、朝廷や正式文書以外に名指しして用いることはタブーとされていたのです。

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五山の僧たちは諱を避けなかったことを非難しましたが、清韓はあえて「かくし題」として縁語を取り入れたと弁明しており、見解の相違ともいえるものでした。

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境内には、歌人の荻原井泉水の句碑が建っています。

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なお、銘文には「豊臣」の諱も入っていて、しかも逆さまになっています。いずれにしても、「方広寺鐘銘事件」により、清韓は南禅寺から追放されて、住坊の天得院は廃絶、破却されてしまいした。

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この事件は、豊臣家攻撃の口実とするために家康が以心崇伝らと画策して問題化さたと考えられています。坐禅石

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以心崇伝は南禅寺住職でしたが、幕府の寺社行政に携わり、キリスト教の禁止、寺院諸法度、武家諸法度、禁中並公家諸法度などの制定に関わり、家康のブレーンの一人でした。

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事件の翌年(1615)清韓は捕らえられ駿河に送られます。蟄居中に林羅山と知り合い、次の年には林羅山の取りなしなどにより赦免されました。しかしながら、これ以降に清韓の名が歴史に現れることはありませんでした。

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現在の堂宇は、その後の天明9年(1789)に再建されたもので、明治元年(1868)には、山内の塔頭 本成寺を合併して今日に至っています。

現在墓地には、普円国師の無縫塔をはじめ、文英清韓長老、東福寺242世南宗祖辰和尚等の墓も現存しています。

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お抹茶とお菓子(800円)と精進料理(要予約・3000円)があります。

天得院の「桔梗を愛でる特別公開」は、7月10日までです。

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桃山時代に作庭されたとされる庭園は、昭和43年中根金作師の指導により一部補修され、現在に至っています。杉苔に覆われた枯山水の庭に、青や白の桔梗の花が美しく、「桔梗の寺」として知られるようになりました。

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門の前の慈母観音

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門の外には見事な柏葉紫陽花が花をいっぱい付けていました。

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コメント

こんにちは
「ききょうの庭」といえば、私が最初にここを訪問したのが紫式部の「桔梗の庭」でした。4~5年前確か「桔梗」で検索していて「ききょうの映像」が出てきたのです。きれいだな、と思いブログを見させていただきました。こういうブログがあることを初めて知ったのでした。パソコン教室のブログで「京都を歩くアルバム」を紹介したところ、静岡の先生からいいブログを紹介してくれて「ありがとう」と感謝されました。その後その先生は「京都」を訪問されました。すごく得をした気分になるブログだとおっしゃっていました。

投稿: レモン | 2015年6月26日 (金) 06:31

桔梗。紫陽花とはまた違う静けさがあっていいよね。
桔梗のほうが、より高級な静けさかな。

投稿: munixyu | 2015年6月26日 (金) 12:34

★レモンさん こんにちは♪
宣伝して下さってありがとうございます。
廬山寺は白砂に源氏雲の苔、こちらはギッシリ緑の苔の中・・・それぞれ趣が違いますね。
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投稿: りせ | 2015年6月26日 (金) 13:04

★munixyuさん こんにちは♪
桔梗は清楚な上品な感じがしますね。

投稿: りせ | 2015年6月26日 (金) 13:05

もう、たくさん咲いていますね。
早く行かないと?でしょうか・・・

桔梗のお菓子、白と紫がありますね(^-^)
昨年は白をいただいたので、今年は紫にしようかな。

投稿: 桜 | 2015年6月26日 (金) 22:37

そうか!去年廬山寺で桔梗を見たのはいつだっけ。。と考えたら7月末でした。この時期なんですねぇ。。花の咲く時期とか全然覚えてられないけど、これで覚えられた気がします~
天得院て東福寺の境内図とかで見るけど、特別拝観なんですね~。の花頭窓の先にこんなに綺麗に庭が見られるところって今ではなかなか少ない気がします。。。

投稿: ばるさろ | 2015年6月26日 (金) 23:24

★ 桜さん こんにちは♪
桔梗は2度咲くって仰ってましたから、まだまだ大丈夫。公開最終日の10日まで大丈夫なのではないでしょうか。

投稿: りせ | 2015年6月27日 (土) 11:39

★ばるさろさん こんにちは♪
廬山寺の桔梗、いつも後ろを向いているんです。朝早く行けばこっちを向くのでしょうか・・・
桔梗は秋のイメージがあったのですが、梅雨から夏にかけてですね。
以前は花頭窓の横に花が活けてあって・・・申し訳ないけれど無粋だなあと思っていました。

投稿: りせ | 2015年6月27日 (土) 11:43

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