建仁寺・塔頭 両足院 毘沙門天
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両足院の特別公開「半夏生の庭園」を見に行って来ました。
両足院は「半夏生の庭園」として知られる書院前庭や、枯山水の方丈庭園、伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」などの美術品も所蔵しています。
両足院へは毘沙門天堂から入るようになっています。
毘沙門天堂には、本尊の毘沙門、脇仏に魔王、不動明王が安置されています。
毘沙門天(びしゃもんてん)は、梵名:ヴァイシュラヴァナというインドの神様。日本では四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の一尊とする場合は「多聞天」とされ、独尊像とする場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例です。
両足院の毘沙門天は、鞍馬寺毘沙門天の胎内仏(7cm、5cmとも)でした。
戦国時代 比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が尊像の安全を危惧し、比喜多養清(室町将軍の茶家、筑前黒田家京都御用達)のところへ、尊像を疎開させたものです。
関が原の合戦(1600)に黒田長政が、関東方として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で明治10年ごろ当院に寄進されました。
以後、勝利の神として商売繁盛、合格祈願、良縁成就、誓願成就などの功験があるとされました。戦前には祇園の芸妓・舞妓に、「祇園の縁結び」としても知られていました。
毘沙門天堂の狛犬は、「寅」。香炉や灯篭にも寅が浮き彫りされています。毘沙門天の使者のムカデも彫られています。
毎月第2日曜日には、寅市という手作り市が開かれています。(8月はありません)
両足院 (りょうぞくいん)
建仁寺の開山・明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法脈・黄龍派を受け継ぐ、龍山徳見禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。
閼伽井庭
1358年に龍山徳見禅師が入滅し、その墓所として、新手馬手護国院(栄西の墓所)と区別して現在の寺域となりました。
1536年の天文年間の火災までは知足院という名でしたが、再建に伴って両足院と改称しました。
方丈東庭 枯山水庭園
右に唐門前の庭が少し見えています。
以前は両足院の門を入って、唐門の前からここに来るのが順序でしたが、今は毘沙門天堂が入口になりました。
唐門までの前に広がる白砂と緑の松と苔。そして菱形の敷石。とてもモダンさを感じる庭園です。今はここは通れません。
立砂
方丈前の庭園に出て行きます。
丸窓から
明日は府指定名勝の池泉回遊式庭園、半夏生が見事な美しい庭をお届けします。
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コメント
もう半夏生かぁ。はやいもんだよね。
それにしても、今年の梅雨は長いよね。まだ、じめじめだよね・・・汗。
投稿: munixyu | 2015年6月29日 (月) 13:21
お~ 両足院きましたね!半夏生の時は門前の看板も変わりますね~
昨年の冬の特別拝観で訪れた時は、半夏生はもちろんまだ白くなってませんでしたが、黒田長政が兜の中に入れて戦った毘沙門天や、もちろん若冲の雪梅雄鶏図も見ました!その時は公開してなかったけどすぐ後に東京国立博物館で展示された奥田頴川の香炉がすごかったので、是非ここでも公開してほしい~
半夏生の写真 楽しみにしてますよ~~
投稿: ばるさろ | 2015年6月29日 (月) 21:46
★munixyuさん こんばんは♪
半夏生といえば夏近しですね。
今年はシッカリ梅雨ですね。
投稿: りせ | 2015年7月 1日 (水) 19:43
★ばるさろさん こんばんは♪
半夏生だけではなく襖絵などの公開もされてるみたいですが、今回は半夏生だけ見に行きました。
撮影OK部分しか行かないので、私にはちょっと勿体ない拝観料です。
投稿: りせ | 2015年7月 1日 (水) 19:47