« 乙訓寺 牡丹と弘法大師の古刹 | トップページ | 日向大神宮 シャガの花 »

2015年5月 1日 (金)

拾翠亭 2015春

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jmr_9039a
※写真は全てクリックで拡大します。

京都御苑の南端にある拾翠亭(しゅすいてい)の一般公開に行ってきました。五摂家の一つであった九條家の屋敷跡 このあたりは私の好きな場所で、御苑に来る時にはいつも訪れています。

Jmr_8901a

拾翠亭は、今から200年ほど前の江戸時代後期に九條家の別邸として建てられ、現存する貴族の茶室としては貴重な遺産です。九條池(勺玉池)の畔に建っています。

Amp_3817a

九條家は、藤原鎌足を遠祖とする藤原北家の流れをくみ、摂政関白を輩出した名門でした。拾翠亭は、かっては母屋から舟で行くような趣向だったそうです。

Jmr_9053a

毎週金曜日と土曜日(12月28日から2月末日の期間を除く)に一般公開をしています。

Jmr_9050b

まず、北側の庭を見に行きました。待合の屋根の上にシーサーが!?

Amp_3903a

ちなみに、「翠」は青緑色やカワセミという意味があり、「拾翠」という名は庭の草木や池に来るカワセミを愛でるという意味だそうです。

Jmr_8920a

こちらは建物の北側 数奇屋風の書院造で2層からなっています。

Amp_3824a

九條家は、九条一帯に広大な土地を持っており、藤原基経創建といわれる九条殿に住んでいたことが家名の由来だそうです。

Jmr_8915a

受付を済ませて、一階の部屋を見に行きます。西陣の機屋に宛てた千少庵の書状

Amp_3849a

秀吉の時代、都市改造にともなって公家町が形成され、九條家は御所の南に移されました。この日は他に誰もいませんでした。

Jmr_8933a

「ほたる壁」 フォーカスが合っているのか分かりません。

Amp_3884a

南側の窓

Jmr_8955a

東側は九條池と高倉橋が見えます。

Jmr_8945a

北側には藤棚

Jmr_8931a

広縁から南の方

Jmr_8942a

2階に上がります。

Amp_3867a

南側の視界は更に広がり、かっては東山を借景とした眺めだったそうです。2階の広縁は老朽化で危険のため、出ることができませんでした。

Jmr_8966a

幕末になると、関白・九条尚忠は開国派、その向かいに屋敷があった太政大臣・鷹司政道は譲位論を唱えて対立していました。

Jmr_8986a

幕府との調停の交渉はこの九条邸で行われたそうです。南側の格子の透かしは「丁子七宝」と呼ばれ、面白い形をしています。

Jmr_8973a

明治の初めに、明治天皇とともに九條家は東京に移り、公爵家となります。九条道孝公爵の四女の節子(貞明皇后)は、大正天皇の皇后です。

Jmr_8978b

南側の庭に下ります。屋根の頂には鯱、その下に九条家の家紋のある鬼瓦が置かれています。

Jmr_9010a

九條家の主な建物は、ほとんどがとり壊されて東京の九条邸に移築されました。そして、40坪余のこの拾翠亭だけが残されました。

Jmr_9037a

東京の九条邸は、後に東京国立博物館に寄贈されて、九条館と名前を変えて現存しています。

Jmr_9025a

最後に、ブログランキングの応援のクリック↓をしてくださると励みになります(一日一回有効です)。

  ★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jmr_8935a

|

« 乙訓寺 牡丹と弘法大師の古刹 | トップページ | 日向大神宮 シャガの花 »

 6 御所(京都御苑) 四季」カテゴリの記事

コメント

なんだろう。
古いのに、結構生活感が残ってるよね。
緑の綺麗な、いいところだね。

投稿: munixyu | 2015年5月 1日 (金) 13:43

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 乙訓寺 牡丹と弘法大師の古刹 | トップページ | 日向大神宮 シャガの花 »