拾翠亭 2015春
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京都御苑の南端にある拾翠亭(しゅすいてい)の一般公開に行ってきました。五摂家の一つであった九條家の屋敷跡 このあたりは私の好きな場所で、御苑に来る時にはいつも訪れています。
拾翠亭は、今から200年ほど前の江戸時代後期に九條家の別邸として建てられ、現存する貴族の茶室としては貴重な遺産です。九條池(勺玉池)の畔に建っています。
九條家は、藤原鎌足を遠祖とする藤原北家の流れをくみ、摂政関白を輩出した名門でした。拾翠亭は、かっては母屋から舟で行くような趣向だったそうです。
毎週金曜日と土曜日(12月28日から2月末日の期間を除く)に一般公開をしています。
まず、北側の庭を見に行きました。待合の屋根の上にシーサーが!?
ちなみに、「翠」は青緑色やカワセミという意味があり、「拾翠」という名は庭の草木や池に来るカワセミを愛でるという意味だそうです。
こちらは建物の北側 数奇屋風の書院造で2層からなっています。
九條家は、九条一帯に広大な土地を持っており、藤原基経創建といわれる九条殿に住んでいたことが家名の由来だそうです。
受付を済ませて、一階の部屋を見に行きます。西陣の機屋に宛てた千少庵の書状
秀吉の時代、都市改造にともなって公家町が形成され、九條家は御所の南に移されました。この日は他に誰もいませんでした。
「ほたる壁」 フォーカスが合っているのか分かりません。
北側には藤棚
南側の視界は更に広がり、かっては東山を借景とした眺めだったそうです。2階の広縁は老朽化で危険のため、出ることができませんでした。
幕末になると、関白・九条尚忠は開国派、その向かいに屋敷があった太政大臣・鷹司政道は譲位論を唱えて対立していました。
幕府との調停の交渉はこの九条邸で行われたそうです。南側の格子の透かしは「丁子七宝」と呼ばれ、面白い形をしています。
明治の初めに、明治天皇とともに九條家は東京に移り、公爵家となります。九条道孝公爵の四女の節子(貞明皇后)は、大正天皇の皇后です。
南側の庭に下ります。屋根の頂には鯱、その下に九条家の家紋のある鬼瓦が置かれています。
九條家の主な建物は、ほとんどがとり壊されて東京の九条邸に移築されました。そして、40坪余のこの拾翠亭だけが残されました。
東京の九条邸は、後に東京国立博物館に寄贈されて、九条館と名前を変えて現存しています。
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コメント
なんだろう。
古いのに、結構生活感が残ってるよね。
緑の綺麗な、いいところだね。
投稿: munixyu | 2015年5月 1日 (金) 13:43