神泉苑祭 静御前の舞
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
5月3日の夕方に神泉苑に行ってきました。神泉苑は、平安京造営の時に設けられた宮中附属の禁苑(庭園)です。御池通に面して鳥居がありますが、東寺真言宗の寺院です。
善女龍王社 空海が雨乞いのために北インドからまねいた神で、善女は池の中に棲んでいるとか。
2日から4日の期間に神泉苑祭が行われ、4日には雅楽と静御前の舞の奉納がありました。
雅楽の奉納は午後4時から行われていて、かろうじて最後の曲に間に合いました。
かっての大池には天皇や公家が船を浮かべ、歌や花、音楽を楽しみ、御池通の名前の由来にもなったとか。
この船は、苑内にある料亭「神泉苑平八」の座敷として使われています。
明るいうちに境内を見て回ることにしました。歳徳神、「恵方廻し」でおなじみです。
先ほどの船は平八の前に着いていました。船首は龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)になっていて、「鷁」は想像上の水鳥だそうです。、
池のほとりのツツジ満開で、きれいでした。
日が暮れてきて、法成橋の上で「静御前の舞」が始まりました。「義経記」にある「静御前と神泉苑」のエピソードを舞にしたものです。
寿永元年(1182)、大日照りとなり賀茂川や桂川の水も絶えて、日本中の人々が苦しんでいました。
慣例によって神泉苑に各寺院の高僧が100名集められ、経を読み雨を祈ったが効験がありませんでした。
そこで、龍神様を喜ばせようと見目麗しい百人の白拍子を神泉苑に集め、後白河法皇の行幸を仰いで、九十九人が舞いを舞ったがやはり効験はありませんでした。
「あと一人舞ったくらいで龍神様が雨を降らせるだろうか」という意見もありましたが、法王は静御前に舞わせてみました。
静御前が舞い始めたところ、にわかに黒雲が出てきて、三日間大雨が降り続いて国土は安穏になりました。法王は感激されて、静御前に「日本一」の称号を与えたとされます。
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このとき、静御前と義経は神泉苑の池のほとりで出会い、一目ぼれした義経は静御前を側室に迎え入れたと伝えられています。
雨乞いの舞なのでしょうか、舞っている間に本当に雨が降り出してちょっとビックリしました。
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最後に橋のたもとで撮影会
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コメント
船。風情があっていいよね。
白拍子さん、おつかれさまです。
投稿: munixyu | 2015年5月 5日 (火) 12:31
★munixyuさん こんにちは♪
長い長い袴が凄く動きにくかったみたいです。
投稿: りせ | 2015年5月 6日 (水) 10:21