醍醐寺 伽藍の春
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
春の醍醐寺の最後は下醍醐の伽藍です。主だった建物を見て回り、弁天堂までいくことにしました。総門から続く参道の突き当たりに仁王門があります。
豊臣秀頼が金堂再建の後に、慶長10年(1605)に再建したものです。
安置されている仁王像(重文)は、平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立され、もとは南大門に祀られていました。
仁王門から両側を天幕で仕切られた道が続き、やがて右手に清瀧宮本殿/拝殿が見えます。
清瀧宮本殿(重文)は、醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社です。永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐から分身を移しました。
その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになりましたが、文明の兵火により焼失。現在の社殿は永正14年(1517)に再建され、慶長4年(1599)から拝殿(下の写真)が整備されました。
毎年4月1日から21日まで「清瀧権現桜会(さくらえ)」として様々な法要が行われるそうです。拝殿横の枝垂桜は見事でした。
拝殿の横から、五重塔が見えます。五重塔は、醍醐天皇の冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。
高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています。京都府下で最も古い木造建築物だそうです。
初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。
五重塔の前から左手に金堂(国宝)が見えます。
醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建され、当時は釈迦堂といわれていました。永仁、文明年間に二度焼失しましたが、秀吉の命によって紀州湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。
*ブログランキングからお越しの方、ありがとうございます。できましたら、記事の最後のバナーをクリックしてからお帰りください(励みになります)。
不動堂・護摩道場 堂内には不動明王を中心に五体の明王が安置されています。また、堂前の護摩道場では修験道の柴燈護摩が焚かれ、様々な祈願を行っています。
祖師堂 慶長10年(1605)に建立され、弘法大師・空海と、その孫弟子で醍醐寺を開創した理源大師・聖宝が祀られています。弘法大師の誕生日、6月15日に降誕会が行われます。
この門の名前が分かりません。
観音堂(旧大講堂) この観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼びます。これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念して昭和5年(1930)に造築されたものです。
弁天堂 カエデやイチョウが色づく秋には、朱塗りの弁天堂が水面に映えて素晴らしい風景となります。
堂内には、音楽などの学芸や知識の女神の弁才天(七福神の一つ)が祀られています。
池の周囲を一周しました。
ここから、さらに上に行くと女人堂があり、上醍醐に登る登山口となっています。この日はここから引き返すことにしました。
・
仁王門まで戻って来ました。
いつも見に来ていただき、ありがとうございます。励みになりますので、ブログランキングの応援のクリック↓をお願いします(現在の順位が分かります)。
★こちらを是非よろしく→ ブログ村→
------------------------------------------------------------------
| 固定リンク
「☆★ 2015 桜 4」カテゴリの記事
- 伏見 柳の濠川と十石舟 長建寺・ぼたん桜(2015.04.29)
- 醍醐寺 伽藍の春(2015.04.24)
- 松尾大社 三玲の庭と磐座信仰(2015.04.28)
コメント
空、水、桜、そして空気と光。
春、全員集合だよね。
投稿: munixyu | 2015年4月24日 (金) 13:10
★munixyuさん こんにちは♪
色とりどりに美しい季節になってきました。
投稿: りせ | 2015年4月25日 (土) 09:47